婚約破棄? あたしの未来のために阻止します
息抜きです
ルウェリアという王国があった。
小さくもなく、大きくもなく、豊かな緑に囲まれた穏やかな国だった。
はやくに妃を亡くしたルウェリアの国王には、ひとりの青年の年頃の王子とひとりの幼い王女がいた。
王子と王女は、親子ほどではないけれど、ひとまわり以上年齢が離れていた。
王子は、いつも友人や側近のものたちに囲まれ、賑やかで充実した日々を送っていた。
王子は今は亡き妃に似て、聡明でとても優しく、慈悲深い性格をしていたので、政略で縁を結んだ婚約者の大公家の姫との間に、たいへん穏やかな関係を築いていた――まるで長年連れ添った老境の夫婦みたいに。
王子と婚約者の姫は、確かに強い信頼という名の絆で結ばれていたのだ。
けれども、ある日王子は知ってしまう。
国中から貴族の子女を集め、学問や貴族としてのマナー、矜持などを学んでいく学校で、恋に落ちて(笑)しまったのだ。
あくまでも恋に落ちて(笑)なものだから、端から見たら「恋に恋した」状態、つまり恋ではないとは明白だった。
けれども、恋に落ちた(笑)相手が悪かった。とても猫を被ることが上手いご令嬢で、狡猾に王子を手のひらで転がして、あの手この手や自演を駆使し、大公家の姫を陥れ、王子に婚約破棄を決めさせたのだ。これにより、大公家の姫は泣き、いまでもなお王子の目が覚めるのを待っていた。それだけ、大公家の姫は王子を信じていた。
王子は、今宵開かれる年迎えの大祭での舞踏会にて、たくさんの耳目の前で婚約破棄をするつもりらしい。
王子は先ほど、国王陛下にその旨を告げ、国王陛下と喧嘩をし――国王陛下は悲しそうな顔で廃嫡の件を考え始めてしまった。
おおやけの場での婚約を破棄するという愚行の意味を、政略という意味を理解することない愚かさを、恋に落ちて(笑)目が曇った愚かさを、王子は気づかない。
「あ、これやばいよね」
兄王子の愚行を見て、王女は自身の未来を予想した。結果、やばいと判断した。
王女は、六つという年齢のわりに大人びていた。
「にいさま、バカじゃね」
そして口が悪く、己に害が及ぶものなら全力で回避する根性とアグレッシブさを持っていた。
「にいさま、廃嫡されちゃったら、あたしが継ぐの? ないわー。ほんっとないわー」
王女には思い描く未来があった。その未来には、王女が女王になる絵はない。もしも女王になったら、王女はその未来を実現することができない。できないったらできない。素敵未来計画を頓挫させるような存在は、早急に潰さないとならないのだ。
だから。
「いっちょ、やりますか」
王女は兄王子のもとへ向かうべく、メイドを呼んだ。
王子は、庭園を歩いていた。この場所は、舞踏会の会場となる大広間への近道だった。
突如として、王子を阻むもの(物理)が出現した。
「ユニカか」
障害物に構えたものの、王子はすぐに警戒を解いた。
「はあい、にいさま〜」
王子の進路を阻むように現れたのは、ポニーに跨がったユニカエラ王女(六歳)であった。しかも王女、ドレスで跨がっていた。
「何の用だい、ユニカ。兄さんは少し急いでいるんだ」
もうすぐで舞踏会が始まってしまう。王女は幼いため、夜会でもある舞踏会には出席は強制されていない。昼の記念式典には出ていたけれども。
「あら、偶然。あたしも急いでいるんです、にいさま」
王女はポニーを前へ進ませ、王子との距離を縮めた。
「唐突ですが、にいさま。赤い糸を信じますか」
真顔の王女の発言に、王子は、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。。「え、何いっちゃってんのこいつ」と顔に書いてあるのである。
王女、そんな兄王子をスルーして話を進めた。兄は「え、無視すんの?」と目を真ん丸に見開き驚愕した。
「今は亡き王大后様(おばあ様)は、赤い糸を見えるとおっしゃいました」
ふたりのおばあ様は、王女がみっつの頃に天へ召された。みっつの頃のことを覚えている辺り、王女は物覚えが良すぎであった。
そして、ふたりのおばあ様は時折電波を受信していた模様で、時が時であれば巫女か聖女ともてはやされていたかもしれない不思議ちゃんであった。
そして、不思議ちゃんなおばあ様の血を引く王女、彼女も実は電波を受信できる不思議ちゃんであった。不思議度合いは、おばあ様のそれとは比べるべくもないが。
「あたし、見えるの。その指に、運命の赤い糸が」
王女は、王子の指をじっとりと見つめ始めたが、その両目は焦点があっていなかった。王女は、ここではないどこかを見ているようである。
――そんな王女は、なんともいえぬオーラを放っていた。近寄ってはいけない何か、そんなオーラだ。このオーラのせいで、王子はごくりと唾を飲み込み、場を見守るしかできなかった。
ちなみに赤い糸というものは、ルウェリアの国周辺に、古くから伝わるおとぎ話に出てくるものだ。
――おとぎ話いわく、人は皆生まれるときに、愛の女神様から赤い糸を結びつけられているのだという。その糸は、まだ見ぬ最愛の運命の相手へとつながり、いつかは必ず結ばれるのだ。
「にいさまの糸は、アリアシア姫に繋がっているの。グレンダ嬢とは繋がってないわ、にいさま」
アリアシア姫は大公家の姫の名前、グレンダ嬢は例の、王子が恋に落ちた(笑)猫かぶり令嬢の名前である。
婚約者の名前と恋人(笑)の名前に、王子は反射的に口を開いた。愛する(笑)令嬢と赤い糸がつながっていないなど、赤い糸を信じていなくとも聞き逃せるものではなかったのだ。
「撤回しなさい、ユニカエラ。未来の義姉に何てことを――」
しかし王女は兄に容赦無かった。
「だまらっしゃい、バカ兄!」
二十歳になる王子は、十四も下の妹の怒声にびびってしまった。
「撤回するのはそっちよ、バカ兄!
おおやけの場での婚約を破棄するという愚行の意味を、政略という意味を理解することのない愚かさを、恋に落ちて(笑)目が曇った愚かさを、どーして気づかないのよ!
あんた、廃嫡されかかってるっていうのに、何呑気に婚約破棄しよーとかしてんの!」
廃嫡という語句に、王子は目を見開いた。
王女は、その反応を見てさらに口を開いた。
「グレンダ嬢とは、廃嫡されてまで一緒になりたいの!?」
――たった六歳の妹の正論に、兄王子はおばあ様を思い起こした。
『いい、マルちゃん――マルセル王子。あなたには女難の相が出てる。とくに学園に入ったらお気をつけなさい。あなたは肉食令嬢からみたら、良いカモだから。騙されて、遊ばれて廃嫡にでもされてみなさい? 捨てられるわよ、あなた』
王子はあの頃は鼻で笑っていたが、今は全く笑えなかった。誰に捨てられるかなんて、あの頃は馬鹿馬鹿しかったが、いまは「誰に」捨てられるかがはっきりと見えてしまうのだ。
「グレンダ嬢は、あんた以外にもたくさん男に言い寄って、貢がせてるわよ! 実際、あたしの護衛兵のアレクが被害に遭ったんだから!」
アレクは最近恋人に捨てられ傷心と噂になっている、朴訥な雰囲気の王女の護衛をする近衛兵のひとりである。
「まさか……」
顔を青ざめさせた王子に、
「本当にあったことです……」
にゅっと、どこからともなく現れたアレクが肯定した。王子の心臓は、アレクの登場の仕方と、グレンダ嬢への不安などで早鐘のごとしだった。
「ですから、考えなおしてください」
心労で痩せこけた顔で、アレクは続ける。
「今しか、チャンスはありませんから」
ルウェリア王国の年迎えの大祭の舞踏会にて、仲直りをした王子とその婚約者の姿が見られた。仲違いを乗り越えたふたりは、やはりどこから見ても、長年連れ添った老年の夫婦にしか見えなかったらしい。
そして、王子をたぶらかし、未来の王妃を貶めたとし、グレンダという名の低位の貴族の令嬢が、国で一番厳しいと有名な修道院に一生幽閉の罪となった。
「これでアレクを落とせるってもんよ」
そして、己の指と護衛アレク(十六歳)の顔を見比べるユニカエラ王女が見られたとか、なかったとか。
「ひっ?!」
――ただ、アレクが頻繁に鳥肌を感じるようになったのは確からしい。




