1P
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
川端康成氏『雪国』の冒頭だ。
これを今の状況に当てはめるとこうなる。
路地裏の少女で自由落下すると砂浜であった。
わけが分からない。
有名なフレーズを無理矢理使うのはやめよう。
空へと落ちるうちに意識が途絶え、気付いたらその場所にいた。
目の前には波の音を立ててその雄大さを表現する大海原。
透き通った海水からは磯臭さが漂っていた。
照りかえる白浜は降り注ぐ太陽に焼かれ、今が真夏だと感じさせる。
「どこだ、ここ」
そのひとりごとは波の音にかき消され、周囲には誰もいない。
こういう場所は女の子と来るべきであって、男一人で来ても全然嬉しくない。
釣りの道具とかあれば別なんだけどな。
何となく、寄せては返す波間の砂をすくい上げてみた。
「お。この砂は見たことあるな」
それは星砂とよばれる生物の殻だった。
日本では沖縄県でよく見られ、瓶詰にしてお土産にされるアレだ。
「いやいや」
観賞している場合じゃない。
俺は手についた砂を払う。
とりあえず何が起こったかを整理してみよう。
「路地裏の少女で自由落下すると砂浜であった」
うん。整理しても分からない。とりあえず置いておこう。
可能性としては夢か。
それとも忍術か何かによってワープさせられたか、幻を見せられているかってことだ。
感覚的に幻や夢ではない。
ここは現実だ。
それくらいは忍者なら分かる。
だとすれば、次に何をするか。
忍でなくてもすべきこと。
現在地の確認だ。
スマホを取り出す。
当然のように圏外。
「知ってた」
電源を切って、辺りを見渡す。
前を見る。地平線まで続く海。
右を見る。延々と続く海岸線。
左を見る。上に同じ。上空じゃない。ややこしい。
後ろを見る。
森だ。
「えっ」
ごしごしと目をこする。
後ろには森があった。
ただし、規模が尋常じゃなくでかい。
広さもさることながら、1本1本の木の大きさも異常だ。
シャーマン将軍の木というものをご存じだろうか。
アメリカ合衆国カリフォルニア州にある地球上でもっとも巨大な木だ。
地面からの高さは80m以上で、およそ20階建てのビルほどになる。
さらには1本1本の枝ですら直径2mもある巨木。
それが目の前で森を形成しているといえば分かりやすいだろうか。
木々の多くは葉に遮られ、奥はかなり薄暗いであろう雰囲気が出ている。
時折吹く海の匂いに吹きさらされ、真夏の木陰で枝が涼しげな音を立てていた。
それで分かること。
「……日本ではないな」
波と枝が擦れる音に消され、やはり俺の声は誰にも届かなかった。
とりあえず、近くにある木陰に逃げ込む。
ここがどこかは未だに分からないが、制服で、しかも冬服とくれば、さすがの現代忍者でも暑い。
暑い。上着を脱ぐ。
コートはあの少女に着せたままだ。あのコートも本望だろう。
まだ暑い。
Yシャツを脱ぐ。彼シャツって憧れませんかね。
まだ暑い。
Tシャツを脱ぐ。夏服で透ける下着の色は青が風情を感じます。
まだ暑い。
ズボンを膝上までまくる。俺は女性のすね毛もイケる派です。
何の話をしてたんだっけ。
ポニテで見えるうなじの汗の成分表についてだったかな。
「首筋ぺロぺr……いかんいかん」
いやんいやん。欲望とは心の中だけで垂れ流すもの。
暑さで少し流れ出てしまったか。気を引きしめねば。
下に着込んだ鎖帷子とズボンになりもうした。
ついでに靴も脱いでHA☆DA☆SHIスタイルになったころ。
「ん?」
森の中から足音が聞こえる。
誰かがこちらに向かってきているらしい。
「しまった。ここだと丸見えか」
すぐに、近くの木の根元に隠れる。
巨大な木は地表に絡みついている根の部分があり、その中は空洞だ。
水が吸い上げられる根に囲まれているからか一層涼しくなった中で、足音のする方向を凝視する。
「見えてきたな……」
暗い中から出てくる人物が徐々に露わになる。
(ほあっ!?)
その姿を見て思わず声が漏れそうになるが、口を押さえて回避。
出てきた人物は女の子だ。
そう、女の子。しかも高校生くらいの歳。
もうこれだけで説明は要らないだろうがとりあえず補足しよう。
肌は健康的な濃褐色が多い。
そりゃそうだ、こんな真夏の炎天下で過ごしていたらそうなるだろう。
だが、お腹周りや手足の先は真っ白な肌が覗いている。
水着で遮られた日焼けた感じのアレだよアレあれあれ。
スタイルはかなりグラマーだ。
長い手足に引き締まった体躯のボンキュッボンってやつです。
何故そんなに見えるかって。
彼女の衣類は局部を隠す白い布切れだけなのですよ奥さん。
もうこの時点でお腹いっぱいですがお替わりは欲しいのですよ奥さん。
髪の色は黒。
流れるような絹糸さらさらストレート。
前髪から垂れる2本の絹糸がアホ毛みたいで可愛い。
その隣にはクリーム色の花が髪飾りのように刺されていた。
顔は超絶美人。スッと通った少し赤い鼻筋に、小さな桜色の唇。
褐色の瞳は昼にもかかわらず眠そうだが、それがまたいい。
そして、彼女にはバーサーカーソウルが備わっていた。
俺のHPはもうゼロだが、漢にはルールに則ってドローを続けなければならない時がある。
彼女に猫耳としっぽがついていた。
猫耳は茶色。
ピンッと立った耳に、黒で縁取られたオレンジ色の斑紋が見て取れる。
尻尾も同じく茶色で、黒とオレンジの斑紋。
白い布に開いた穴から飛び出して、ゆらゆらと左右に揺れている。
犬とは違い、猫は不機嫌な時に尻尾を左右に揺らすらしい。
眠そうな目と合わせて十中八九不機嫌なのだろう。
思わず極めて小さい声で、
「猫耳美人は不機嫌でも絵になるな」
と言った瞬間。
「誰っ!?」
飛んできた日本語と何かを反射的に掴み取る。あぶな。
投げつけられたものは漁で使われるモリだった。
身体しか見ていなかったが、よく見てみれば彼女は漁にでも出るような格好と装備をしている。
「そこにいるんでしょ。出てきなさいよ」
さっきまで眠たげにしていた目を見開き、こちらを凝視する猫耳少女。
まさか聴力まで猫レベルなのだろうか。
ぴくぴく動いている耳を見ると間違いでもなさそうだ。可愛い。
両手を挙げて木の根元から出ると、俺は猫耳少女に近づいた。
彼女は予備のモリを掴み、いつでも投擲できるよう構えていた。
「失礼、驚かせてしまったな。別に危害を加えるつもりはない」
近くで見ると、身長は172cmの俺より少し低いくらい。
女性としてはそこそこ高いだろう。
すぐに彼女の体から目線を逸らして声をかける。
女性の嫌がることはしない。
それが紳士だ。
「あんた、誰? どこの種族?」
「質問の意味が分からないんだが、どういうことだ?」
妙な問いかけをする猫耳少女。
尻尾は相変わらず不機嫌そうに揺れている。
「あたしは猫人族のオセロって言うの。名乗ったんだから、あんたも名乗りなさいよね」
「オセロ……なるほどね、良い名前だ」
「ふっふーん。そうでしょそうでしょ」
「俺は九頭龍仁。仁って呼んでくれ」
両手を下ろしながら横目で見ると、猫耳少女のオセロは満足げな顔をしていた。
尻尾も立てているな。
加えて、今の発言で何となくこの場所のことがつかめてきた。
あの薄暗い路地で出会った少女は、本当に望んだ世界に飛ばす力持っていたのだ。
そして、俺はその力でこの世界にやって来た。
予想が合っていれば、俺がオセロの顔見ていないのは二つの意味で好都合だ。
一つは単純に俺の息子がバーニンラヴしないためのもの。
もう一つは、猫や犬に対して目を合わせ続ける行動は、いわば『敵対行動』とされているからだ。
「あんた、さっきから目線反らしっぱなしね。舐めてんの?」
ごめん。好都合じゃないらしい。また尻尾がゆらゆらし始めた。
「いや、舐めてるとか舐めてないとかじゃなくてな。女性の身体を凝視しないのは男として当然で」
「『じょせい』とか『おとこ』とか、よくわかんないんだけど」
「え、あー」
どうしよう。
こういう時の対処法なんて習ってこなかったよ。
「その、オセロはオスって言葉に聞き覚えは?」
「知らないわよ」
オゥ。
「ま、いいわ。魚獲ってから帰るつもりだったけど、予備はあるから。とりあえずあたしの家に来なさいよ、ジン」
まさかのお呼ばれイベント発生である。
ギャルゲーで言えば、オープニングが終わった直後に個別ルート入りしたくらいの省略っぷりだ。
好感度は初期値なのに。
「珍しい服着てるし、耳がないし、尻尾もないし。パパとママは珍しいもの好きだから」
知ってた。
絶対、興味本位だって。
行った直後に殴られないといいけどな。
娘に取り入ろうとする悪い虫めーって。
「それに、何でか分かんないんだけど、あんたは信頼できる気がするの」
「お、おう」
にぱっ。
花の咲くような笑顔で不意を突かれるとドキッとしてしまう。
くそぅ。
かわいいな、この娘。
「あたしの家は涼しいわよ。水もあるし、魚もあるから。話すにしても、そっちにしましょ」
「そうだな。ありがたく上がらせてもらうよ」
もう一度クスリと笑ったオセロは、先導するように森の中へと消えていく。
その後を追いながら、俺は裏路地の少女に感謝しているのだった。