徳川家康 一敗地 三方ヶ原の合戦
元亀三年(1572年)十二月二十二日、寒風吹き荒ぶ遠江の国、浜松城で、徳川家は存亡の危機を迎えていた。
「甲斐の龍」
近隣の諸国に神の如く畏れられた武田信玄が、京の都をめざすべく侵攻し、敵対勢力である徳川家の、この浜松城に迫っていたのである。
物見の知らせによると、武田軍は二俣城からこの浜松城に進路を取り、六里の距離にまで近づいていた。
家康は鎧甲冑に身を固め、浜松城内の評定の場にあった。
物見が見たときが六里の位置なら、今はもう五里にはなっているだろう。
家康は苦渋に満ちた心境にあった。
近くに控えている諸将の顔を見ると、酒井忠次、石川数正、大久保忠世もあきらかに苦悩していた。また、榊原康政は若さ特有の興奮を見せていた。同じく若き本多忠勝は、覚悟を決めたような、思い詰めた表情であった。
酒井忠次が口を開いた。
「殿、籠城でよろしいですな。」酒井は声色に少し動揺が現れていた。歴戦の強者でもその動揺をさすがに隠しきれぬようであった。
家康は「昨夜のうちに準備は整えてあるのだろう。」と落ち着いて言い返した。
「もちろん。左様でございます。」酒井が答えた。
『では、なにゆえ今更、籠城と尋ねる。』家康は心の中でそう思った。
「信玄は風林火山を謳い、『疾きこと風の如し、徐かなること林の如し』と兵に説いている。まさに風のように速く、林のように静かに、この城に近づいて、いつ攻め来るかもわからぬ。まだ距離があると油断せず、しっかり城を固めるよう、兵どもに念を押しておけ。」
家康は強い口調で言った。
「はは。」酒井が伝令に目配せし、数人の伝令が下知に走った。
『信玄か。』家康は敵の将を思った。
武田信玄の軍勢は昨年の十月に甲府を出発した。諏訪に軍勢を寄せたので、そのまま西の美濃から京へと向かうのかと思いきや、一転、この遠江の国へ南下、武田家の拠点となっていた犬居城を経て、徳川家の遠江北部の要所である二俣城に襲いかかってきた。
その二俣城を援護すべく、家康は兵を出したが、間に合わず、それに加え、武田軍と不本意に衝突したため、敗走を余儀なくされ、なすすべもなく撤退した。
二俣城は少ない城兵でよく持ち堪えていたが、十二月十九日、ついに落城していた。
それが三日前。
その次が、この浜松城である。
偵察の報告では、武田軍は総勢三万。
対する徳川軍は、直前に援軍に駆けつけた織田勢三千を加えても総勢一万一千に過ぎなかった。およそ三倍の兵力差である。
首に刀を突きつけられるという表現があるなら、このときの家康の状況ほど、それにあてはまるものはなかったであろう。
『せめて、同じ兵力であれば。』家康はこうも思った。
家康は初陣から、「戦上手」との評判が高く、二年前の元亀元年(1570年)の姉川の合戦の浅井朝倉連合軍との戦いにおいても、織田家の援軍としてではあるが、対朝倉軍を担当し、朝倉軍より少ない兵力で互角以上の戦いをし、織田徳川連合軍の勝利に貢献した。
三河国内に起こった一向一揆とその残党処理についても着実に成果をあげ、小規模戦闘の経験も数多く重ねてきた。
家康には、その実績に裏付けされた自信もあった。
いくら相手が周辺諸国に畏れられている武田信玄であったとしても、全く勝ち目がない戦いではない。
『だが、兵力差がありすぎる。』
三倍の兵力差では、もし相手が凡将であったとしても、数に圧倒されて負けることもあり得る兵力差である。
相手が、武田信玄なら、なおさらである。
だから、戦略としては、籠城しかなかった。
援軍を派遣してくれた盟友織田家は、国力の差から言えば、武田家を圧倒し、総動員兵力は六万を数えていた。
総力戦となれば、織田家と徳川家の連合軍が武田家に勝てる。
だが、この時、その頼りになる盟友織田家は四方を敵に囲まれ、兵力をその対応に割かれていた。
俗に言う、「信長包囲網」である。
織田家には武田家との戦いに総力を結集する余裕はなかった。
その状況のもとでは、徳川家としては、織田家が包囲網を各個撃破をして、総力を武田家に向けられるようになるまで持ちこたえる必要があった。
また、今まさに武田軍に包囲されようとしているこの状況下においては、半農の雑兵が多い武田家は春になると兵を国に戻さなければならない必要に迫られるから、その春まで持ちこたえればよいという目算もあった。
だから、「籠城」であった。
家康もこれに異議はない。
だから、家康は籠城の方針に迷いがないことを改めて自覚した。
『さぁ、来い、信玄。守って守って守り抜いてやる。』
家康の心は奮い立った。
そして、『今は籠城し、守るしか手はないが、いつか時がくれば、織田軍と共に信玄を攻め立ててやる。』と期する思いも当然わいてきた。
武田軍はもう目と鼻の先まで迫って来ていた。
「殿、忠広が報告とのこと。」酒井が家康に声をかけた。
『いよいよだな。』家康は武田軍がいよいよ城下に達したのだと思った。
物見の役を仰せつかっている鳥居忠広が評定の場に姿を現し、片膝を落とし、控えた。
「忠広どうした、申せ。」家康は忠広に言った。
その場にいた全員が、忠広の報告を聞き逃すまいと、聞き耳を立てた。
「は、武田勢、浜松城北1里のあたりで、隊列を転じ、西へと進軍しましてございます。」
家康をはじめ、評定の場にいた一同がその報告にあいた口がふさがらなかった。深刻な顔をしていた本多忠勝さえも間抜けづらをさらしていた。
「なんと。」酒井が声を上げた。
「それはまことか。間違いないのか。」家康は再度確認をした。
「拙者の後に城に到着した物見も同じことを申しております。」忠広が答えた。
「つまりは、武田軍は遠ざかっておる、ということか。」重臣の石川数正が尋ねた。
「左様でございます。」
「おお。」一同がうなるような声を上げ、場がざわついた。
家康はうつむいて思案した。
「なにはともあれ、これで危急は脱したということだ。」重臣の一人、大久保忠世の言葉である。
「まことに。」石川は相づちを打っていた。
本多忠勝は家康の思案顔を見逃さなかった。
忠勝の視線に気づき、酒井は振り返って、家康の様子を見た。
「殿、これはいったいどういうことでございましょう。」と尋ねてきた。
一同も酒井の言葉で、家康の思案顔に気づき、静まり返った。
家康は酒井の顔を見た。
そして『難しいことを聞く。』と思った。
「敵の進軍の様子はどうだ。ぐずぐずしているのか、速いのか。」家康は忠広に尋ねた。
「偵察によりますと、遅くもなく速くもありません。」
事態が思わぬ展開を見せているため、当然、鳥居忠広は複数の偵察隊の報告をまとめてこの評定の場にあがっている。武田軍のわなを警戒してのことである。
家康が鳥井忠広に偵察を任せるのはそれだけの配慮ができるからである。その上での情報なので、武田軍がこの浜松城を捨て置いて、やりすごしているということだけは確かなようであった。
「なるほど」家康は更に思案顔になった。
家康は信玄の考えを読もうとしていた。
攻められる家康の側から考えれば、有利な立場で押し寄せていた敵が、突然、方向を転じて離れていったことは、不思議なことである。
だが、信玄の立場になって冷静に考えれば妥当な行動でもあった。
こちらの徳川家が籠城することにより、武田軍をこの浜松城に足止めすることを上策と考えているのなら、その策に乗ることは武田にとっては下策である。
『こちらの思惑に乗らぬ、ということか。』家康は考えた。
「殿。」本多忠勝が間合いを計ったように声を上げた。
家康は顔を上げ、忠勝を見た。
「なんじゃ。」
本田忠勝が神妙に進言した。
「機を見て、攻め出るのはいかがでしょうか。」
その言葉を聞いて、一同が再びざわついた。
「何を申しておる。こちらが城を出れば、向こうも待ち構えるに決まっておる。それではこの兵力差で野戦をすることになってしまうわ。」重臣の石川数正が本多の言葉に反論した。
評定の場は数正の言葉によって、ざわつきが収まった。多くの者が数正の出兵反対に同調しているようだった。
だが、家康には忠勝の言葉によって一瞬のひらめきがあった。
「確かに、攻める手もある。」家康は言い放った。
「と、殿まで、何を仰せです。」数正が反応した。
家康は石川数正を諫めるように見た。その視線に数正は口をつぐんだ。
「忠勝はなぜ、攻め出ると思ったのだ。申してみよ。」家康が忠勝の方に向き直り、尋ねた。
「はは。」忠勝は平伏し、「古今東西、己の城の真横を敵勢に通り過ぎられて、黙って傍観していたなどという話は聞いたことがございません。そのようなことを許していたのなら、この徳川家、末代までの笑い草となりましょう。それは徳川家の恥。ここは末代の恥となる前にその芽を刈り取らねばなりません。」と訴えた。
「おお」評定の場の一同がうなった。利害を別にして、忠勝の主張には説得力があったのである。
徳川家の譜代には、お家のためなら己の命さえ顧みずに献身的になるという特性があった。今の忠勝の主張にはその特性を大いに刺激する効果があった。
評定の場には徳川家の恥を雪ぐために、負けとわかっていても打って出るという空気が支配し始めた。
「待たれよ。」
この評定の場にあって、家康に次ぐ、そのすぐわき、つまり、上の位置に座しながら、これまで黙していた男がようやく言葉を発した。
織田家援軍の大将、佐久間信盛である。
徳川の一同は同盟関係とはいえ、盟主の立場に近い織田家の大将に敬意を払い、しずまった。
「わが主君、信長様にはこの浜松に向かうにあたり、わたくしに念を押されたことがございます。」
『信長公が念を押したこと』その内容によって、信長公のこの徳川家に対する考えの一端を知ることができる。
「信長公には、いかなる仰せであったか。」家康は信盛に尋ねた。一同も当然それを知りたいと身構えた。
「はは、信長様は武田家を迎え撃つにあたって、『決して城から出てはならない。』と仰せになりました。」信盛は家康に答えた。
その答えを聞いて、評定の諸将はお互いの顔を見合わせた。
「左様か。」家康はそう答えて、黙った。
「つまり、討って出る策には、承伏致しかねます。」信盛はたたみかけて反対した。
徳川家の諸将に動揺の気配が走った。たった今、徳川家の恥を雪ぐため、城を討って出ることを覚悟した矢先に、織田家の大将に引き留められたからである。
織田家は、徳川家にとって、実質的には盟主であった。その織田家の大将の意見をないがしろにするわけにはいかない。
徳川家の諸将もその事情はわかっていたので、何とも言えなかった。
自然、一同の視線は主君である家康に集まることとなった。
その視線の先、家康は。
うつむいて考えていた。
家康は信長の言葉をその言葉通りにとらえている佐久間を『甘い』と感じた。
そもそも、信長は期待以上の働きを見せる部下を重用する傾向があり、それだけに信長の部下に対する評価は辛辣であった。
佐久間は信長に『討って出るな』と命ぜられたかもしれないが、それは籠城が前提の命令であったはず。敵が城下を素通りしていても『討って出るな』と命じていたわけではない。
『信長公に討って出るなと命ぜられたから、どんな状況にあっても絶対に討って出ないとするのが、佐久間信盛か。』
家康は佐久間という人物の一面、甘さ、を知ったと思った。
『だが、この家康は違う。』
家康は顔を起こして、一同を見た。
全員が家康の方を見て、固唾をのんでいた。もちろん織田側の諸将も家康の言葉を待ち構えていた。
「佐久間殿」家康は実質的な盟主の援軍である織田家に礼を尽くして、まず佐久間に声をかけた。
「信長公にあっては、城を出るなというお沙汰とのことであるが、ここは徳川家。徳川には徳川のやり方がある。それは承知いただけますな。」
「む、無論でございます。」織田家は実質的には徳川家の盟主とは言え、形式の上では織田家と徳川家は盟友であった。その盟友の徳川家の当主に念を押されれば、陪臣の佐久間には同意する以外にない。
家康は、再び評定の場にいる諸将を見渡した。
「忠勝が申した、武田を攻めるという策を取る。」家康は大声で一同に宣言した。
「おお」評定の場がわいた。
「だが、早まるでない。」家康が水を差した。
「武田を攻めるは徳川の名を守るためではない。」
一同が家康の言葉に意表を突かれた。徳川の面目を第一義に武田を攻めるものと考えていたからである。
「今、この時となって、武田は、この徳川、そして織田家の両連合にとっては宿敵である。盟友織田家が周囲を敵に攻め立てられている危急の時にその武田を西に素通りさせては、織田家がいくら大勢力と言っても、危ういかもしれぬ。織田家に倒れられてはこの徳川家も先はない。」
一同は家康の言葉に一々頷いた。
「そこで、この徳川は、なんとしても、武田をここで引き留めて置かねばならぬのだ。」
「むむ」一同がうなった。
「では、殿、武田をおびき寄せ、引き留めるために城を討って出ると。」酒井が発言した。
「敵をおびき寄せ、こちらに引き寄せる。それよりほかのことを考えてはならぬ。敵がこちらにかかり次第、こちらは城に引き籠もる。」
「武田家を足留めさせる手でございますな。」大久保忠世が言った。
「そうだ。」家康は立ち上がった。
「皆の者、この家康の策はわかったか。我が軍は武田軍のしんがりを狙う。機会を逃すな。急ぎ、支度せよ。」
「はは」徳川家の諸将は伏して応じた。
「家康様」佐久間が声をかけた。「この織田家の佐久間軍ももちろんご同行させていただきます。家康様の策、感服にございます。」
「うむ」
大きな方針が固まったので、こまかな戦術が評定の場で急ぎ決定された。
徳川織田連合軍は、城から離れすぎないため、武田家の最後尾の隊列が三方ヶ原を超えたときに攻撃をしかけることを目標とした。それ以上遠い地点では、城から離れすぎることになる。
しかも三方ヶ原は台地である。従って、三方ヶ原を超えたときなら、武田家は先行隊が最後尾より地形的に下った低い地点を行軍しているはずである。
その瞬間に徳川織田連合軍が武田軍の最後尾へ攻撃を仕掛けると、こちらが地形的に上から下へと向かって攻撃することになり、有利になる。また、武田軍が反転するとしても、坂道を下から上にのぼることになり、すばやい対応はできない。
敵の最後尾の隊列が三方ヶ原を超えたとき、その瞬間の勝機をつかめるかどうかが重要であった。
さらに、戦闘は夕方から夜を想定とした。その方がこちらが攻めやすくもあるし、引きやすくもあった。
陣容も決定され、各部将が評定の場から部隊へ出陣の準備に向かった。
夕方に武田軍と接触するとしてもゆっくりとしている隙はなかった。
家康も徳川本軍の支度のため、腰をあげた。
評定の場の末席にいた旗本の成瀬正義と米津政信が家康に駆け寄って来た。
「殿。」成瀬が上気した様子で家康に声をかけた。「いくさですな。」
そして、横の米津と二人顔を向き合って大きく頷いた。
「方針はわかっておろうな。引くことを前提とした攻撃だ。」
二人の雰囲気に、噂に名高い武田軍と戦火をを交えるということに、血気立つ様子が感じられたので、家康はこの戦の性質を二人に改めて理解させたくなった。
「もちろんでございます。」成瀬と米津は答えた。
「ただ、殿、はじめからこちらがおよび腰では、陽動作戦にはなりませぬぞ。」成瀬が言った。
「うむ。」家康は頷いた。確かにこちらが、武田軍に「むき」にさせるくらいの打撃を与えなければ、引きつけて足止めさせることもかなわず、そのまま素通りされる可能性もあった。
『そこが難しいところかもしれぬ。』家康はふとこのように感じた。
家康が率いる徳川本軍では、旗本の鈴木久三郎と成瀬正義の弟、正一がいつでも出陣ができるよう兵卒に準備を終えさせ、家康の到着を待っていた。
家康が率いる徳川本軍は千名強の軍勢である。
伝令により、各部隊が出陣の用意が整ったという報告も続々と入って来た。
時間はそれほどない。
「出陣。」家康は各部隊に触れを出した。
隊列は鳥居隊、織田軍の平手隊、大久保隊、織田軍の滝川隊、榊原隊、石川隊、本田隊、酒井隊、そして織田軍の大将、佐久間隊、最後に総大将徳川家康隊の順で浜松城を出発した。おのおのが一千強の兵を従え、総勢一万一千である。
台地の三方ヶ原にのぼる手前で陣形を鶴翼に構えることが決定されていた。武田軍より徳川織田連合軍の方が少数であるため、敵を囲むような鶴翼の陣形に異を唱える者もいたが、この陣形は横に広がるため、かたまっているときより敵に囲まれにくくなる。
城に引き返すことを想定している戦闘である以上、各隊の後ろが空いていて詰まっていない陣形の方が合理的で、退却しやすい利点があった。
徳川織田連合軍は陣容を左翼が徳川軍、右翼を織田軍とした。
鶴翼、鶴の翼の先にあたる部分から中央に向かって、左翼は鳥居、大久保、榊原、右翼は織田軍の平手、滝川、佐久間と構えた。
鶴の胴体にあたる中央は前列が本田、石川、後列に酒井、そして本軍の家康隊が配置された。
武田軍の動きを探りながらの追撃であり、行軍と展開はできる限り静かに進められた。
武田軍にはいずれ徳川軍が出陣したことは知られるであろうが、それができる限り遅い方が徳川軍にとっては有利になることは間違いなかった。
陣形の展開がちょうど完成する頃、他の部隊の伝令や物見から報告が入った。
「武田軍が反転し始めました。」
つまり、こちらの動きを武田が察知したということであった。
「うむ、敵のしんがりはどこにいる。」
「はは、三方ヶ原、祝田坂の手前、小山田隊であります。」
想定よりも気づかれるのが早い。最後尾が三方ヶ原を下る前に気づかれてしまった。これでは、三方ヶ原の台地上が前線となるようである。
『理想通りではない。』
理想的には敵の最後尾が三方ヶ原台地の向こう側の祝田坂を下ろうとしているところを後ろから攻撃することであった。
『やはり、いくさはすべてが思い通りにはいかない。』
敵も物見を張り巡らせてあるだろうから、早く見つかるのは当然といえば当然であった。
家康は空を見た。まだ、明るくはあったが、西の空は地平線に太陽が沈もうとしていた。
間もなく、暗くなり始めるだろう。時の条件は悪くはない。
「引き続き、武田の動きに目を光らせるのだ。」
「はは。」
武田軍は油断ならない敵である。向こうが多勢、こちらが無勢とは言え、敵がこちらを真正面から迎え撃つとは限らない。奇襲、伏兵、何をしてくるか分からない。あらゆる可能性は排除すべきではないのである。
『武田がこちらに気づいたということは、もはやこちらも気づかれないように行動する必要はない。しかも、反転したばかりなら、まだ態勢は整っていないはず。』
家康は各部隊へ攻撃命令を出した。
「敵に気づかれた以上、行軍を速めよ。できるだけ早く敵を叩くのだ。」
しばらくすると、徳川軍は武田軍に向けて、動く速さを増した。
『あとは』間もなく武田軍と接触するはずであった。
『いよいよ』
中央前列で先行している本多忠勝部隊と、石川数正部隊からも伝令が入り、武田軍が陣形を魚鱗に構えているという情報を得た。
武田が魚鱗に陣を構えている。
家康本軍に居合わせた旗本衆はその報告を聞いて思わず失笑した。
「殿、武田が魚鱗に構えておると」成瀬正義は家康に繰り返した。
「うむ」家康はこう答えたのみであった。
「およそ、いくさの常道からは外れておりますな。」これは旗本、日下部定好の言葉。
魚鱗とは、敵を一丸となって突破するときに組むべき陣形であり、魚の鱗の形のように、部隊を結集することになる。
行軍の後ろから徳川軍が攻撃してきたといっても武田軍は三倍の兵力を持っている。
横に展開する陣形をとるのが合理的であった。
「ただ、こちらも鶴翼、こちらも常道からは外れております。」若い小栗久政はこちらが鶴翼に構えることに反対していた。
「こちらの手勢が多いと勘違いしているのでしょうか」成瀬正義の弟、正一は小栗の言葉を受け継いで言った。
「ならば、こちらが鶴翼に構えたことが功を奏したことになる。」鈴木久三郎が説明を加えた。
「勘違いとはいかないまでも、こちらが多勢と警戒してのことかもしれません。」日下部が妥当な意見を述べた。
「いずれにせよ、敵が魚鱗なら、こちらは有利」米津政信が断言した。
家康はやや薄暗くなったとはいえ、まだ明るい空の状況を見て、魚鱗が見間違えではないのだろうとは思った。
ただ、魚鱗の陣形に構えているのではなく、武田軍が反転したばかりで、集団にかたまった状態になっているだけであろうと予想した。
『その瞬間に叩けるのなら、上出来。』
家康は間もなく敵との衝突が始まるはずの前方へと眼を向けた。
ほど遠くで、鬨の声とともに、軍勢の地響きが聞こえた。
『始まったな』
「石川隊が敵と衝突しました。」物見が告げた。
敵は中央に集結する魚鱗の形に構えていたため、中央部の前列である石川隊が一番槍の名誉を得た。
作戦は武田を引きつけて、さがる、であった。
各将には、初めから逃げ腰ではなく、まずは強く当たって、敵を本気にさせるくらいの覚悟でのぞむように命じていた。
その通り、前線からは激しい戦闘の声が聞こえてきた。
「報告します。先鋒石川隊、武田軍の先鋒に対し、押し気味に攻めております。思った以上に弱いと、殿にご報告せよと受け賜っております。」
『いいぞ』
「敵の先鋒隊が崩れるなら、そのまま攻めてもよい。敵の反攻を感じたら、引けと伝えよ。」
「はは」
『やはり、この徳川、武田と十分戦えるのかもしれぬ。』家康は心の中でそう思った。
「武田軍と言えども、石川殿をしのぐ者はそうそういますまい。」成瀬が言った。
「うむ。」家康はその言葉に頷いた。
「武田軍先鋒の、小山田信茂隊後退し、山県昌景隊反攻とのこと。」
『よし、敵もつられてきたか。』家康は心の中でほくそ笑んだ。
頃合いを見て引くのが、上策であろうが、引き時の見きわめは難しい。敵が反攻して来たら引くように命じてはいるが、軍というものはいざいくさが始まると、思いの通りには動かぬものである。
それは家康自身にも言えることであった。
「本多隊、左翼から山県隊を崩しております。」
「右の織田軍はどうだ。」
「互角と思われます。」
織田軍が互角でもってくれれば、徳川家が左に集中し、武田を崩せば、武田軍をいっきに崩壊させることができるかもしれない。
この戦闘の戦略が敵に打撃を与えた後、引くことだと理解する一方で、この瞬間、家康はこのいくさを、「勝てるいくさ」と見た。
『この徳川家康、甲斐の龍、武田信玄に勝ったとなれば、天下に我が名が響き渡るであろう。』家康は体中に熱き血がめぐるのが感じられた。
『ならば、』
「全員出陣の用意をいたせ」家康は旗本衆に号令した。
「はは」成瀬以下旗本衆はそれに応じそれぞれの部隊に走った。
「全軍攻撃。」家康は犀をふった。
徳川の全軍が動いた。武田の前線左側からの総攻撃である。
先鋒の石川、本多隊は敵の先鋒を崩し進んでいた。
『やはり、勝てる。』家康は思った。
全軍攻撃の檄とともに、徳川軍全部隊が武田軍の前方へ向かって進軍した。
「わぁ、わぁ」と更に兵の衝突する声が大きく聞こえてきた。
「ひるむな、いっきに前進せよ。」
「おお。」
「本多隊、山県隊を突破。」
『いいぞ』
「殿、織田軍が武田軍に破られようとしています。」
「なに。」
同盟相手の織田家は、規模は強大であったが、兵の質は強いとは言えなかった。寧ろ、弱いと家康は見ていた。
「崩れたのか、申し合わせたとおり引いたのか、どちらなのだ。」
織田軍にもこの戦闘の方針は伝えている。
伝えているどころか、意思統一には注意を払った。
当たって引きつけることが、武田軍に対する作戦の主目的であることをお互いに確認している。
織田軍はその作戦通り、敵の攻勢を見て、引いたのか、それとも、打ち破られたのか、それは大きな違いであった。
「どうだ。総崩れか。」
「いえ、平手殿の軍が持ちこたえております。」
『しんがりだな』家康は織田軍は、統制された状態での後退と判断した。家康は当初の引く作戦を思い出し、『敵に深く突っ込むつもりはないが、このまま敵を攻撃し、損害を与えて引くとしよう。ここで武田軍をたたけば敵にとって思った以上の大打撃となるはずだ。』と考えた。
「我が軍はこのまま進軍する。敵に一撃を加えるのだ。」
「はは」
徳川軍は更に進攻した。
そして、徳川の全軍が武田軍の先陣に攻撃をかけた。数で勝る武田軍も後詰めを前線に配備して、よく持ちこたえていた。
『なるほど、なかなか強い。』家康は思った。
『さぁ、どうする。もう少し叩くか、それとも引くか。』決断の時であった。
その時である。
ドドド
全軍に広がる戦闘の鬨の声、戦いの音の中で、遠くの方から、重く、低い、振動のような音が、加わったのを感じた。
ドドドドド
『む、なんだあの音は。』家康はその音に気づいた。
その音に気づいたのは家康だけではなかった。
今まで、目の前の敵と戦うことに集中していた、味方の兵たちも、その音に気づき、瞬間その音に気をとられた。
敵に隙を見せ、一時味方がひるんだ状態になった。
「ぐわぁー」ところどころで敵に突き崩される味方の悲鳴が響いた。
ドドドドドドドドドド
その間も、その重低音は明らかにどんどんと大きくなって来ていた。
もはや、空耳ではなかった。
何かが、大地を揺るがすように近づいてきていた。
「殿」物見が狼狽した様子で駆け込んできた。
「どうした。なんだあの音は」
「騎馬隊です。敵の騎馬隊、数知れず、我が軍の左右から迂回して迫ってきております。敵の騎馬隊は動きが速く、このままですと挟み撃ちになってしまいます。」
ドドド
ドドド
ドドド
太鼓を強く叩くような重い音がどんどんと近づいてきていた。大地もその音に合わせて振動していた。
『武田は騎馬を使うと聞く。』家康は武田軍の評判を今さら思い出した。
「逃げろー」恐怖に我を忘れた雑兵の声が、徳川軍に高く響いた。
「はやく、逃げろー、馬だ、武田の馬が来た。殺されるぞ。」
わぁわぁ
味方の雑兵たちのほとんどが一斉に逃げ出した。戦闘放棄が起こったのである。
「殿。」成瀬、米津、鈴木の三名が逃げなかった雑兵を率いて家康の下に駆け寄ってきた。
目の前で味方軍勢の崩壊が起こっていた。敵が勢力を戻して追い立ててきていた。
家康の心にも恐怖しかわき起こらなかった。
『やられる。』
「ぜ、全軍退却、引け、引くのだー」
日下部と小栗も駆け寄ってきて、「殿、正面の武田勢も息を吹き返してこちらに迫ってきておりまする。」と報告した。「急ぎ、退却を」
家康は言葉を返すことができず、ただ二人に頷いて見せただけであった。
全軍退却の合図が戦場に響いた。
だが、それはすでに多くの兵が逃げ出したあとであり、遅きに逸していた。
織田軍も決壊し、徳川軍も崩壊した。
家康も従っていた百五十名ほどの兵達とともに逃げた。
左右からは騎馬隊が迫り、正面からは武田の中央部隊が一気に押し寄せてきた。
家康は逃げた。
後ろでは騎馬の足音の地響きと兵の断末魔の叫びが続いていた。
家康は走った。
だが、背後の戦闘の音がそれ以上に速く、家康にどんどんと近づいて来ているような気がした。
背後から敵の大群がいっきに迫ってきているような感覚にとらわれた。
自分のすぐうしろで味方の兵が射落とされているような気がした。
「殿」成瀬が声をかけた。
家康は立ち止まり、成瀬を見た。「どうした。」
そして、背後を見るとやはり敵はもう見えるところまで迫ってきていた。
「殿、お別れです。」成瀬正義はほほえんだ。「拙者はここで敵を食い止めます。どうか、ご無事で」
「正一」成瀬は弟の正一に声をかけた。「殿を頼んだぞ。」
成瀬正一はゆっくりと頷いた。
「ささ、殿、急ぎましょうぞ。成瀬殿のお覚悟、無駄にはできませぬ。」鈴木が家康を先へと促した。
家康は成瀬の強い意志におされ、何も言うこともできず、成瀬の決死の思いのこもった眼だけを見て、その場を去った。
成瀬は部隊の従者二十名ほどとともに、その場に残り、後方の敵を迎え撃つ構えを整え始めていた。
家康一同は先を急いだ。
『成瀬、すまぬ。』さっき言わなければならなかった言葉がしばらくたって出てきた。
浜松城はまだ遠い。
「さっきの旗を見たか。」家康の横で逃げながら、日下部が若い小栗に話しかけた。
「あれは、馬場隊の旗。」小栗も止まらずに答えた。
「馬場信春か。」同じく横で聞いていた鈴木が訪ねた。
「相違ございませぬ。」小栗は鈴木に答えた。
武田の馬場信春は、武田信玄の信頼も厚い重臣であるということはここにいる者すべてが知っている。
誰も口には出さなかったが、ただならぬ敵に追われていることは確実であった。
しばらくの間、敵の追撃が遠のいた感じがした。
『成瀬か。』家康は成瀬の奮闘を思った。
だが、再び背後の敵の気配は家康の方へと追いついてきた。
おそらく、成瀬隊は破られたのあろう。
『成瀬、すまぬ。』
日下部は逃げながらうしろを振り返り、「やはり馬場隊が追ってきている。」と小栗に話しかけた。
小栗もうしろを振り返った。「見えませぬが」
日下部「先ほど、遠くで、一瞬だが旗印が見えた。」
小栗は再び振り返った。「おお、来た来た。確かに」
その声を聞いたすべての者がうしろを振り返った。
間違いなく、薄暗くなり始めた夕闇の中に白地に大山道段々染の馬場信春の旗が見えた。
まだ、かなりの距離はあったが、旗が識別できるほどであった。
そのときであった。
家康の左から風を切る音が聞こえるほどの近くを矢が飛んできて、地面に刺さった。
左側の兵達が何名か負傷した。
「あれは、」鈴木が左を見て叫んだ。
「あれは、内藤隊の旗。」小栗がすぐに旗を見分けた。
いつの間にか背後の馬場隊よりも近い距離に、左側から武田の内藤隊が迫ってきていた。
ふいを討つために長弓を放ってきたのである。
「殿、ここはわたくしめが。」米津政信が左側に兵達30名ほどと敵に対し立ちふさがり、振り向いた。「殿は先をお急ぎくだされ。」
「米津どの」成瀬正一、日下部、小栗が一斉に叫んだ。
「わしはここでくい止める。皆の衆あとは頼んだぞ。」米津は槍を構えて見せた。「武門の道を選んだからには、いくさ場にて、命果てることこそ本望なれ。」
「おおお」米津は供の兵達とともに内藤隊が迫り来るのを迎え撃つため、残った。
「米津、すまぬ。」
「殿。」米津は家康に黙礼した。「では。」
家康一行は進路を右側、南側にとって先を急ぐこととなった。
「殿、あちらへ」鈴木が前方にある森を指した。
一行はその茂みへと逃げ込み、先を急いだ。
しばらくして、さほど遠くないところから、兵の争う声、音が響いてきて、そのあと、その音が更にすこしだけ大きくなって響いてきた。
『米津隊が内藤隊と馬場隊の両隊相手に奮闘している。』
家康は、米津政信が敵に囲まれ無惨に果てるところを思い、胸が熱くなった。
家康一行は更に逃げた。
逃げる中で、そんな余裕があったはずはないのに、家康は自分を逃がすために犠牲になってくれた成瀬と米津のことを思い『これでよいのか。』と自問した。
『ここは潔く、自分も命果てるまで戦うべきではないのか。』という思いがこみ上げてきた。
このいくさに敗れたのはこの大将家康本人であり、しかも、この敗北は明らかに家康の戦略の判断誤りが原因であった。その大将が逃げて、その大将を逃がすために家臣達が命を犠牲にしている。
『命を失うべきはこの家康ではないのか。』
この考えが頭を離れなくなってきた。
家康一行は、当初は浜松城に最短で戻るつもりであった。
つまり、街道に沿って、浜松城に向かっていたわけである。
だが、先ほど、敵に左辺をつかれ、街道からそれて野畑や森林の中を進むことを余儀なくされた。
「ここはどのあたりだ。」鈴木が進みながら誰に対してというわけでもなく尋ねた。
「葵の西に来ております。このまま進むと佐鳴の湖の方へ出てしまいます。」小栗が答えた。
まだ城には1里以上ある。
また、後ろから敵が近づいてくる音が聞こえてきた。
「先を急ごう。」
森の茂みの中を進み、草木のない視界の開けた岩場に出たとき、一同が「あ」と声を出した。
夕やけの中で右の西側から、武田の軍勢が南北に横に広がる隊形をとりながら、こちらに迫ってくるのが見えたのである。
家康一行は急いで、茂みに戻った。
「諏訪勝頼の旗印でした。」小栗は若いので眼もきいた。
諏訪勝頼とは、のちの武田勝頼、武田信玄から後継者と指名されている武将である。
「向こうはこちらに気づいたか。」鈴木は尋ねた。
「いえ、気づいておらぬようです。」確かに敵の勝頼隊に慌ただしくなった様子は現れなかった。
「後ろから馬場信春、左から内藤昌豊、右からは諏訪勝頼。」成瀬正一は窮したようにうなった。
「逃げ切れぬようなら、残る兵と共に一戦交えるまで」家康が言葉を挟んだ。
このとき家康一行は途中で逃亡した者もいて、七十名ほどになっていた。
勝負にならぬ兵力差での家康の言葉は、誰の耳にも死を覚悟した言葉と聞こえた。
「何を仰せです。」成瀬正義、米津政信亡きあと、旗本衆の中で年長となった鈴木久三郎が家康に反論した。「ここまで来たのです。ここはなんとしても逃げ切らねばなりませぬ。」鈴木は心を奮い立たせるように励ました。
若い日下部と小栗が頷いた。
「殿、兄上と米津様の死を無駄にはしないでください。」成瀬正一は悲しく訴えた。
「ううむ」家康は己が情けなくてしかたがなかった。
その間も敵は右左後ろの三方から徐々に迫ってきていた。
その音に一行は耳を向けた。
「殿、名案がございます。」鈴木が気を取り直して言った。
旗本衆が全員、鈴木の言葉に耳を傾けた。
「どうやら敵は殿を狙っているようでございます。」
「うむ」家康は頷いた。家康にも思い当たるところがあった。
武田信玄の戦略としては、徳川軍を浜松城からおびき出せた上は、家康ひとりの首さえとれば、目標は達成されることになる。
おそらく、こちらの本陣を衝けと命じているのだろう。
「ここは、敵の策を逆手にとるのが名案かと存じます。」
「どういうことです。」日下部が鈴木に尋ねた。
「敵は徳川本軍の旗印を見て追いかけてきておる。」鈴木は家康に向き直り、「殿、ご免。」と家康の手から采配を奪い取った。
「何を。」成瀬正一がその無礼に反応した。
「殿、二手に別れるのです。」奪い取った采配を掲げ、「拙者が殿の采配をいただき、殿の旗印の兵をつれて動きます。殿は少数にて浜松城へお急ぎくだされ。間もなく日も暮れますゆえ、敵はこちらを殿の本隊と勘違いし、こちらを追いかけましょう。」
確かに名案ではあった。『だが、』
「お前やお前についていく兵達はどうなる。」家康はもうこれ以上、家臣を犠牲にすることはしたくないと決意していた。
「殿、逃げまする。」鈴木はほほえんだ。「この策はこちらも逃げて、敵をおびき寄せなければなりませぬ。こちらが逃げに逃げて敵をおびき寄せる時が長ければ長いほど、こちらの思惑通りでございます。」
「いずれにせよ、殿、考えている隙はございません。」日下部は敵の近づいてくる周りの音を警戒しながら言った。
「殿。」成瀬も小栗も声をそろえた。
こんなところでだだをこねている場合ではない。
「やむを得ぬ。」家康は鈴木を見つめた。
「久三郎、死ぬなよ。」
「はは。」
鈴木久三郎は目に涙を浮かべながら、満面の笑みで、家康に応えた。
家康一行は、二手に分かれ、鈴木は残った兵士の多くをつれてそのまま南に進路をとり、少数の家康達は進路をやや東にとり、浜松城へ向かう方へ向かった。
『武田に追われている。』家康はなぜか逃げながら考えていた。
『果たして、浜松城に逃げ込めれば、どうにかなるものなのか。』
敵はこの時、家康を狙って、名だたる重臣達が猛追して来ていた。浜松城に逃げ込めたとしても、敵がそのまま城を攻めれば、持ちこたえられないのでは。
『そうなれば、やはりこの家康、城を枕に果てるまで。』
そして、結局、そうなるのではないか、とも思った。
家康は絶望を感じた。まだ生きているが、医者から余命を宣告されたような感覚を味わった。
『ここで戦うも死なら、城に逃げ混むのもまた、死。』
『ならば、いっそのこと。』
西の方から戦いの音が聞こえてきた。
『鈴木が敵と接触したのか。』家康だけでなく、同行している者全員が同じ認識をもったはずであった。
日下部と小栗の足並みがはやくなった。
それにつられ、全員の進む速度が速まった。
「まだ、日が暮れぬ。」成瀬が空を見て、嘆いた。
鈴木久三郎は敵に接触したとはいえ、敵をよく引きつけているらしかった。
敵がこちらに迫ってくる様子がしばらくはなかった。
だが、それ故に鈴木がどうなるかもたやすく予想ができた。
『久三郎』
先ほどの久三郎の笑顔が家康の頭の中に思い出された。
『惨敗』
家康は家臣の死を直視して、自分が信玄に完敗したことを認めた。
そして、完敗を認めたことによって、すべてのことが新たな意味をもってつながってきたのであった。
信玄は初めから家康をおびき出すために浜松城を素通りしたのである。
それには、遠回りに素通りしてはならなかった、浜松城の直前で、ぎりぎりに素通りしなければならなかった。
そして、浜松城に背中を見せる必要があった。
それは、家康にすれば、いかにも無警戒で無防備な絶好の好機ともなった。
家康に勝てると思わせる必要があったのである。
武士としての面目か、戦略上の勝算かは別として、信玄の思惑通り、家康は浜松城を飛び出した。
あとは、家康を仕留めるかどうかであった。
だから、魚鱗だったのである。
家康側が浜松城にいつでも逃げ込めるような作戦で挑んでくるのはわかっていたため、家康側をひきつけ、一カ所にまとめる必要があった。
それ故小さく魚鱗の陣形で構え、徳川軍が結局そこに向けて集中するように仕向けたのである。
つまり、信玄も先鋒隊にはわざと負けるように命じていたに違いない。
案の定、徳川軍は武田軍に向けて集まっていった。
そこで、あらかじめ準備していた別働隊を左右から展開させて、家康を取り囲ませた。
それが作戦だったのある。
『信玄の策にまんまとはまってしまったわけか。』
『信玄、恐るべし。』家康は自分と信玄とのいくさ人としての力の差が歴然としているということを認めた。
『勝てると思ったわしが愚かであった。負けだ。』
再び、敵が迫ってくる音が聞こえ始めた。
『そして、今、こうして武田に追われている。』
先ほどまでと異なり、武田軍の動きが四方から聞こえるようになってきた。
「敵がこちらを少数とみて、散開したようだ。」日下部が言った。
鈴木に多くの兵を与えたこともあり、家康は二十人ほどの集団で逃げていた。
「鈴木殿の策も見抜かれたか。」成瀬正一が悔しがった。
「雑兵を痛めつけて口を割らしたのかもしれませぬ。」小栗が述べた。
「いたぞー」急に右手から声があがった。
「敵です。」小栗が叫んだ。「諏訪勝頼の旗印です。」
敵は日の暮れかけた薄暗さの中でもはっきりと見える距離に現れた。百名くらいの部隊であった。
『速い。』家康は思った。『もう、ここまで追いついたのか。』
敵がこちらに迫ってきた。
『武田には足の速い、健脚ぞろいの部隊もあるということか。』
武田は機動力を上げるためもあって、分隊に散開したのである。
「殿、逃げましょう。」成瀬が叫んだ。
この敵にはすぐに追いつかれるという不安が全員に大きくあったが、逃げるしかなかった。
「こちらです。」小栗が先導した。
「待てー」
「逃がすな」
「こっちだ」
『他の部隊も近くにいるのか。』家康はここで敵に取り囲まれることの恐怖を感じた。
この敵部隊は予想したとおり動きが速かった。
たちまちに、家康一行に追いついてきた。
ただ、他の武田の部隊が迫ってくる気配はなかった。
このとき、背後に迫る百名ほどの健脚部隊が敵であった。
「あの土手に登るのだ。」家康は左手にある林野の中の小高い場所をさした。
敵に間もなく追いつかれるのは明白である以上、地理的に有利な位置で敵に反転するしかない。
家康の命令の意味を全員が悟った。一行は何も言わず林の土手を上った。
一町ほど離れていた敵がこちらに確実に近づいてきた。
「行けー」
「手柄だ。」
こちらは槍を構えて迎え撃つ態勢をとった。
敵も槍を構え、はやる者もいて乱れてはいたが隊列になって迫ってきた。
十五名ほどの隊列であった。
『仕とめる。』
そのときであった。ヒュッと風を切る音と共に、矢が前方から降り注いできた。
家康隊はその矢を振り払うのに意識をとられた。
「やーやー」それに呼応するように敵が突っ込んできた。
家康隊は怯んだ。
「殿。」成瀬、日下部、小栗が敵を防ぎながら叫んだ。「お逃げくだされ。」
家康は敵を槍で突きながら、「この期に及んで。」とだけ答えた。
「やはり家康だぞー。」
成瀬達とのやりとりを聞いた敵兵が味方の後方に向けて叫んだ。
「おおおおー」敵部隊全体が奮い立ったのが感じられた。
敵部隊が一気にこちらへ押し寄せてきた。
「殿。」成瀬が振り絞るように懇願した。「行ってくだされ。」
「もはや。」家康は逃げようとはしなかった。
家康は空が暗くなりかけていることに気づいていた。
『この健脚部隊さえ、蹴散らすことができれば、夜陰に紛れることができる。』
しかも、敵は手柄に目がくらみ、また家康隊を少数と侮り、土手の下から上へと家康隊に直線的に突っ込んできていた。
そして、家康隊は確実に突っ込んでくる敵を片付けていた。
味方にも被害があったものの、敵部隊の第一波は防ぎきった。
再び矢が飛んできた。
土手の反対側に低く構えて、やり過ごした。
続いて第二波が突進してきた。
すぐさま土手の上から槍を構えて、家康隊は応戦した。
『持ちこたえられる。』希望の光が見えてきたような気がした。
そのとき、
「いたぞー」
うしろから、背後の雑木林から突然大声が聞こえた。
家康は背中に冷や水を突然かけられたように飛び跳ねるように驚いた。
そしてその瞬間、糞をもらしてしまった。
『そんな馬鹿な。』これは糞をもらしたことではなく、助かる希望が見えてきたと思った矢先に敵にうしろをつかれたことを指してであった。
家康は後ろを振り返った。
「殿ー。」
徳川の旗印だった。
家康は敵に背後をとられたと一瞬思った。
だが、それは誤解だった。
味方だったのである。
夏目吉信、島田治兵衛の二人の部将が二百名ほどの兵を率いて駆けつけてきた。
「殿をお守りしろ。」夏目が叫んだ。
援軍は土手の上から敵の部隊を蹴散らしていった。
『救われた。』家康は安堵した。
「殿、味方が打ち破られたと聞き、殿の身を案じ、飛び出して来ました。」夏目が言った。
夏目吉信と島田治兵衛は浜松城の留守役を命じられていた二人である。
「うむ、大儀。」家康はそう答え、敵の方へと向き直った。
「とにかくこの敵を打ち払えば、城に戻れるはず。」家康は共に戦う姿勢を示した。
「いえ、殿。」夏目が主張した。「ここはわたくしめにお任せいただき、殿は浜松城へとお戻りくだされ。この島田が案内をいたします。」
「は。」横に控えていた島田治兵衛が片膝をつき敬礼した。
家康は、この敗戦の後処理をすべて家臣に任せ、自分だけが助かるために城に逃げ帰る形になることを快く思わなかった。
「だが、」
その時であった。
敵の健脚部隊の向こうから多くの軍勢の迫ってくる音が聞こえ始めた。
『敵の本隊が追いついてきたのか。』家康は思った。
「殿、ここで止まっていると囲まれますぞ。」成瀬が忠告した。
「しかし、」家康はそれでも躊躇した。
「殿、情けないですぞ。」夏目の声は怒号となっていた。「我らは、殿のためなら命をなげうつ覚悟。」
そして家康を見据え、「それを受け止め、一生、背負って生きなされ。」と言っ放った。
家康は立ちすくみ、何も答えることができなかった。
「殿、ささ。」成瀬、日下部、小栗の旗本三人が家康を島田の案内する浜松城への方向へと急がせた。
家康はなされるままに進んだ。
『そうだ、この苦しみ、この生き恥、負け戦を仕掛けてしまい、この家康のせいで、多くの家臣の命を失なうこととなってしまったこの屈辱、俺はこの屈辱、生き恥の苦しみから逃れたいと思うばかりに、戦場で死ぬことも厭わなかったのだ。』
『だが、違う。それは間違いなのかもしれぬ。俺は、この屈辱を、家臣の命を、亡くなった家臣の命、今、生きている家臣の命を、これからも、ずっと背負って生き続けなければならないのだ。そして、その道を歩んでいくことの方が、俺にとっては、より厳しく、より苦しいものとなるのだ。』
「殿、城に着きましたら、お召し替えが必要ですな。」島田が道案内をしながら言った。
「言うな。」
「はっ。」島田は過ぎたまねをしたと自覚したように口を慎んだ。
島田は家康が糞をもらしていることを察して言ったのである。
敵との戦いにおける恐怖で糞をもらしたのならまだしも、味方を敵と勘違いしてもらした糞は、やはり恥であった。
『だが、この恥もやはり、受け入れなければならない。』家康は思い返した。
家康の後方で大群の交わる喧騒が聞こえてきた。
『夏目吉信』家康は心の中で名を呼んだ。
浜松城が近づいてきた。
そして、短いはずの夕暮れがようやく終わり、夜の帳が降りてきた。
ボォッホォー、ボォッホォォー
遠くから、法螺貝の音が聞こえてきた。
「武田の撤収の合図と存じます。」小栗が家康に告げた。
「ようやく日が暮れましたな。」成瀬が言った。
武田は夜になり、暗くなったので兵を引き上げた。
『武田のやることなすこと、にくいほど理にかなっておる。』家康は苦々しく感じた。
浜松城が見えてきた。
「着きましたな。」小栗が述懐した。
「何とか、たどり着くことができたな。」日下部がそれに応えた。
城に着いてすぐに島田治兵衛の計らいで着替えをすまし、評定の場に向かった。
酒井と大久保はすでに浜松城に帰還し、家康の無事を祈り、その帰りを待っていた。
「殿、よくぞご無事で。」酒井が安堵した様子で言った。
「皆は無事か。」
「は、本田忠勝、榊原康政はすでに城に戻ってきたとのことでございます。」
「他の者は。」
「鳥居隊と石川隊はまだ城には戻ってきておりませぬ。」
「織田軍はどうなった。」
「それが、」酒井が言葉を濁した。
「何だ。」
酒井が間を置いて答えた。「佐久間隊と滝川隊は尾張に向けて一目散に逃げ去ったとのことです。」
「織田軍では平手隊が善戦され、平手汎秀様は討ち死になされました。」大久保が言葉を引き継いだ。「佐久間隊、滝川隊はほぼ無傷で撤退したようでございます。」
『やはり、あてにできぬ武将であったか。織田軍といえども、その重臣がすべて精鋭とは限らぬということか。』家康は佐久間をそのように評した。
『だが、それもこの家康の浅はかさの証にすぎぬ。』織田の援軍を根拠もなくあてにしてもよいと考えていた己を省みた。
その時、評定の場に伝令の走る来る音が響いた。
「ご報告申し上げます。」伝令は片膝をつきながら声を上げた。
「どうした。」酒井もただならぬ気配を感じ、急ぎ尋ねた。
「は、敵の山県隊が浜松城に迫っておりまする。」
「なに。」酒井、大久保の二人が反応した。
『武田は西に急ぐのではなかったのか。』家康は思った。
そのとき、評定の場に本田忠勝が入ってきた。
「殿。」
「おお、忠勝。無事だったか。」
「殿の方こそ。ご無事でなによりでした。」
続いて、榊原も加わり、無事を喜んだ。
「早速だが、武田の山県隊が、浜松城に迫ってきておる。」酒井が忠勝と榊原に告げ、話を本題に戻した。
「殿、城の防備を固めるべきかと。」大久保が提案した。
「それは、その通り。」酒井が相づちをうった。「殿、早速、城の固めを備えまする。」
家康は、無事に帰ってきた、若い、忠勝と榊原の二人の姿を見た。
「いや、待て。」
酒井が家康の顔を見て、その続きを待った。
「城は開け放したままでよい。かがり火も消さずに、この城がよくわかるように明るく照らすのだ。」
「な、なんと。」酒井が家康の言葉に驚いた。「殿、何を仰せです。」
「これからも、城に引き返してくる者がいる。鳥居も石川もまだ戻らぬのだろう。その者達を閉め出すのではない。」
家康は心の中で、成瀬、米津、鈴木、夏目、自らを犠牲にして自分を逃がしてくれた者達が生きて城に戻ってきてくれることを願っていた。
そんなことはあり得ず、彼等が家康の犠牲となって命を失ったことはわかっていた。
だが、万が一に生きていたときに、城が閉め固まって、彼等が入城できなくなることだけはあってはならないことのように感じた。
「日も暮れて夜になった。城がよく見えるように明るく照らしておけ。」
「殿、殿のお気持ちはよくわかりまするが、それではあまりにも無防備。敵に城をとってくれと言っているようなものでございます。」酒井が異を決して反論した。
大久保も酒井の言葉に頷いた。
「忠勝と康正はどう思う。」家康は忠勝と榊原は頷かず、じっと控えていたの見て尋ねた。
「殿の御意に従います。」忠勝がすぐさま答えた。
「同じく。」榊原もすぐに答えた。
家康は二人の考えを確認し、酒井に答えた。
「だが、敵に城はそのままではやらぬ。逃げ支度をしておけ。敵が攻めてきたのなら、城に火を放ち、浜松城は捨てる。向かうは三河岡崎だ。兵達にもそのように下知せよ。」
「殿、しかし。」酒井は食い下がった。
「これは命令だ。」
「はは。」酒井はしぶしぶ了承した。
『武田は急いでいるはず。西に向かわないのか。』家康の心の中は武田の動きに対する疑問に戻った。
『だが、おのれ自身を武田の立場に置き換えたのなら、今の徳川を、一気に攻めない手はない。』
武田軍が追撃を仕掛けたなら、この浜松城はおろか、遠江ごと武田は手にすることができるだろう。
だから、家康の立場に戻れば、本来なら『それは覚悟せねばならない。』のである。
家康は信玄に敗れた。今、ここにおいては失地を挽回できるわけがない。
この戦いにおいては、武田が思うがままに振る舞うことを甘んじて受け入れなければならないのである。
『そうだ。ここで、武田と更に戦い、ここで果てることは容易く、潔い。』
『だが、』そうではなく、夏目が家康に最後に伝えたのは『この屈辱を背負い、糞を垂れ流すほどに惨めになり、苦悶と恥辱の中で生き続けること。』
だから、武田が追撃をしてきたなら、更に逃げて、生き恥をさらすのだ。
『そして、命あれば、武田に雪辱を果たす日もあろうが、それが実現されたとしても、その苦悶と恥辱を晴らせるのではなく、やはりそれは背負い続けなければならないものなのだ。』
『なぜなら、死んだ者を生き返らせることができないからだ。』
『俺は多くの兵達を死なせてしまった。だが、俺はもっと大切な人さえも、いずれは死なせてしまうかもしれない。』
『そして、俺はその苦悩を背負い続けるのだろう。』
浜松城は家康の命令の通り、明かりを煌々と焚き、城の門は開け放したままにされた。
逃げ遅れた者も続々と浜松城に帰還した。
「殿、鳥居隊と石川隊が帰還したとのことでございます。」
城兵に指示を与えていた酒井が、いち早くこの知らせを聞きつけ、家康に伝えた。
「二人は無事か。」家康は、酒井の言葉に反応した。
「元忠と数正は無事ですが、元忠の弟、忠広は討ち死とのこと。」
「そうか。」家康は自分の撤退戦を思い返し、誰かがしんがりとして犠牲にならねばならなかった状況を想像した。
おそらく、忠広がその役目を自ら引き受けたのだろう。
「申し上げます。」
伝令が評定の場へ走り込み、声を上げた。急ぎの知らせがあるということである。
「なんだ。申して見よ。」酒井が応じた。
「はは、武田の山県軍、兵を引きあげ、三河方面へと進軍致してございます。」
「おお。」大久保が声を上げた。
「間違いないのだな。」家康は念を押した。
「兵を引き上げたことは間違いありません。」伝令が答えた。
浜松城に近づいてきていた山県軍が、三河方面へ進んだということは武田軍はこれ以上、徳川を追撃せず、西へと上洛を進めるということを意味する。
しかも、これが、徳川を油断させるための作戦であるということはあり得ない。
なぜなら、今の浜松城なら、油断させずとも、赤子の手をひねるように落とせるからである。
武田が、浜松城を落とす絶好の好機を逃して、西に進むということは、徳川はこのまま捨て置くということなのである。
「殿、これで命拾いしましたな。」酒井が述懐した。
家康は酒井の言葉に頷いた。
『このいくさが武田の上洛戦でよかった。もし遠江への侵攻作戦であったら、徳川は滅んでいただろう。』家康は思った。
家康には武田の山県隊が浜松城を攻めて来なかった理由はわからなかった。浜松城が城を開け放ち、明かりを煌々と焚いていることを逆に警戒してのことだったかもしれず、あるいは単に西へ急ぐことを優先してのことだったかもしれなかった。
浜松城は開け放ったままにしていたので、夜が明けるまでには、帰って来ることのできる帰還兵はすべて城に戻ってきた。敵の間者が紛れ込まないようにすることだけは、家康の命令で徹底され、遅れて帰還しているのに怪我をしていない者、怪我の浅い者は厳しく取り調べ、何名かは捕らえ、実際にそのうち幾人かは武田の間者であった。
敵の動きに対する情報収集も怠らず、物見の報告は武田が浜松城から遠ざかっていることの確証を得るだけの情報を収集した。
そうして、長い夜が明けた。
家康は確信した。
『このいくさが終わった。』と
『滅んでもおかしくない敗北をこの家康はしたのだ。滅んでもおかしくない敗北、命を落としてもおかしくない敗北。そして、大切な家臣の命は多く犠牲となったのに、この家康は生き残り、徳川も残った。』
浜松城は夜明けとともに、明るさを取り戻しつつあった。
城兵達も武田軍が遠ざかっていることを知っていた。
多くの犠牲と大きな被害があったものの、城中は安堵の気配が支配していった。
評定の場ではおもだった家臣達にも武田をやり過ごすことのできた緊張から緩和の雰囲気が漂っていた。
そして、家康自身も徳川の滅亡の危機から救われた解放感を感じずにはいられなかった。
だが、その瞬間から、その解放感に対する強い反動もわき起こった。
『とにかく、いずれにせよ、この家康は決して今日のことを忘れてはならぬのだ。』
『だが、この思いは、時がたつにつれて、いずれは忘れさってしまうかもしれない。現に今この瞬間にも武田から受けた敗北から、心は解放され、気持ちは離れていっているのだから。』
『では、忘れないようにするには、どうすればよいのか。』
家康がこの答えを導き出そうと苦悩しつつも、時は経っていった。
思考の中では一つの案にしか収束せざるを得なかった。
この世において、忘れずに残すといえば、それしかなかったのである。
浜松城の城内も、城下も、徐々に平常を取り戻し、西進した武田の動きなどの情報収集とこれに応じた対策を講じる段階に入っていった。
家康もしばらくはその対応に追われた。
家康はおおよその戦況が収まってくると、旗本の成瀬に、徳川軍に従軍していた絵師が無事かどうかを尋ねた。
絵師が無事であることを成瀬が報告すると、家康はすぐにその絵師を呼び寄せた。
家康はその絵師に命じた。
おのれの苦悩に満ちた表情、姿を描くようにと。
『せめて、おのれの惨めな姿を絵師に描かせるくらいしか思いつかぬ。』
家康は絵師にできる限り、家康が苦しみ、もだえる姿に描くよう命じた。
『この合戦の思いは、時がたつと完全には思い出すことはできなくなってしまうだろう。だが、今、このときの惨めな姿を絵にしておけば、少しでも思い出す手助けになるかもしれない。』
できあがった絵は、家康の望んだとおり、己の苦悶する姿が描かれていた。
家臣達の方では、そのできあがった絵、奇妙な、家康の雄姿ではなく惨めな姿が描かれた絵について、何故、家康がそのようなものを描かせたのかを不思議に思った。
それについて、あれこれと憶測が立てられた。
家康がいくさ中に糞を漏らしてしまったことは、誰彼となく伝わり家臣の中では知らぬ者のいないほど周知のこととなっていた。
そのため、ほとんどの者は家康が絵師に惨めな姿を描かせていることとそのことを結びつけて考えた。
つまり、「糞をもらした屈辱を忘れないようにする」ための絵だと考えたのである。
自分の恥をあえて教訓にしようとする主君の姿勢に、多くの家臣は内心、感心したのであった。
その感心も作用して、この推測が最も支持された。
だが、その感心の高さにの割には、家臣達の口から家康に対してその推測が伝わることはなかった。
家臣としての気遣いが働いたのだった。
家康には決して、糞をもらしたことを思い起させるようなことを、家臣達の口から出すことはなく、寧ろそのことには触れないようにしたからである。
家臣達は家康を見守っていたのである。
一方、家康の方では、家臣達がそのように解釈していることはうすうすと感じていた。
その家臣達の解釈が、家康には家臣達の早合点のように思えた。
もちろん、家臣達の考えているようなことも動機として一部あった。糞をもらしたことをこれからの自分への教訓、戒めとする意味もあった。
だが、一方で決してそれだけではなく、もっと更に深い心境があるというのも事実だった。
家臣達は当然ではあったが、それを理解できていないようだった。
だが、気遣いから家臣達が何も言って来ないので、そのことを告げる機会もなかった。
『だが、敢えてそのことを言うつもりもない。』と家康は考えていた。
『おのれの心なのだ。』
家康は絵のできばえに満足していた。
その絵を見ながら、『これからも、この絵に込められた心境を、思い出さねばならない時が、きっと幾度も訪れることだろう』と家康は心に期した。
絵の中の家康は、いつまでも、悩み、悶え、そして、苦しんでいた。




