3.マリアとマスター
木々がざわざわと風に揺られ、俺は落ち葉をかき集めてその上に寝転んでいた。
まだアキレアは戻ってこない。マリアとはいったい何なんだろう。いくら考えても答えが出て来ない。
そういえばまだ夕飯食べてなかったな。部活が終わって、帰ってきてすぐゲームをやろうとしていたから、家に居る間何も口にしていない。ぐぎゅるるぅぅぅっと腹が鳴った。
「ベアボールの群れが出たぞ!」
誰かが叫んだ。慌てて立ち上がって周囲に目をやると、サッカーボールくらいの大きさの生き物がぴょこぴょこと跳ねていた。
小さくて可愛らしい外見かと思ったら、ベアと言うだけあってぱっくり開いた口から覗く牙は鋭かった。熊の魔物だ。
火事の中を逃げてきたから、町の人はほとんど丸腰。携帯していた火打ち石やナイフぐらいしかないようだ。
もちろん俺も丸腰だし、文化部の男子に魔物の相手が務まるとは思えない。唯一ちゃんとした武器を持っているのは……
「アキレアー!!」
男が女の子に助けを求めるというのはかなりダサいと思うけど、俺は恐らくレベル1のマスターでスキルは何も無いはずだ。
小さな魔物だからといって油断したらゲームオーバー──もしかしたら、死ぬかもしれない。
大声でアキレアを呼ぶと、呆れながらだが彼女は戻ってきてくれた。
「あんたこの程度の魔物も倒せないの!?」
「戦闘経験ゼロなんだよ!」
「こんなやつがあたしのマスターだなんて……」
町の人に襲いかかろうするベアボール達に、アキレアは次々と斧を浴びせていく。
やっぱりそうなるんじゃないかと思っていたんだけど、彼女に真っ二つにされたベアボール達は血を噴き出させて、耳を塞ぎたくなるような鳴き声をあげて死んでいった。
ベアボールは一匹残らずアキレアの手で退治され、これでひとまずこのあたりは安全になった。
一人でベアボールを仕留めたアキレアの周りには人だかりが出来ていた。さっきの女の子とお母さんも居る。
「お一人で魔物を退治なさるとは……」
「お姉ちゃんすごーい!」
「ああ、マリア様……」
彼らは何の悪意もなくアキレアに感謝の言葉を伝えているのだろうけど、やっぱり彼女はマリアだと言われるのが嫌なようだ。
苦しそうな表情をしている彼女と目が合った。
気付いたら俺は人だかりの中に割り込んで、彼女を引っ張り出していた。
「あ、あんた……」
「辛そうな顔してたから、その……」
急にアキレアと引き離されたからか、町の人達の視線が痛い。
俺は若干ビビりながらも彼らに言った。
「俺は彼女の……アキレアのマスターです。フリッグマスター、とかいうやつで。彼女にはちゃんと名前がある。だから、マリアだなんて言ってないで、アキレアって呼んであげて下さい」
マリアと呼ばれる度、アキレアはどんどん辛い顔になる。
俺はそんな彼女を見たくない。会って数時間しか経ってないけど、俺にバカだの何だの言ってくる時の方がずっと生き生きしていて、俺は好きだ。
「フリッグマスターだって……?」
「フリッグに加護された男だ……!」
俺がマスターだとわかった途端、彼らの視線が尊敬の眼差しに変わった。
一人の老人が俺の前に膝をついて、俺の手を両手で握り締めてきた。
「女神フリッグに選ばれし青年よ……どうかマリア様──いえ、アキレア様と共に、どうかこの世界をお救い下され!」
何なんだこの展開は。
マリアだけじゃなくマスターまで崇められるのかこの世界は。
ていうか世界を救えって、魔王を倒せとかそんなんじゃないだろうな? よっぽどレベル上げてからじゃないと無理なんだけど。
ふと他の人達を見てみると、老人と同じように膝をついて手を合わせている。
「えっと……」
「どうか……どうかお救い下され!!」
具体的にどうやって!?
俺が困っていると、今度はアキレアが俺と老人を引き離した。
「言われなくても救ってやるわよ! しつこいのよあんた達!」
「もっ、申し訳ございませぬ……」
「ふんっ。あんた、とりあえずあっちに行くわよ」
「あ、ああ」
アキレアは俺の手首を掴んで、彼らから離れた木の下に連れて行った。
「アキレア、さっきは助けてくれてありがとう」
「……魔物を倒したこと? それともさっきのジジイのこと?」
「どっちもだよ。俺、どうしたら良いのかわからなかったから。ありがとう」
「あたしの方こそ……あ、ありがと」
最後の方は小さくなっていたけど、俺にはちゃんと聞こえた。
アキレアって意外と照れたりもするんだな。
「ちょっとだけ……ホントにちょっとだけだけど、あんたのこと認めてあげても良いわ」
「ちょっとでも凄く嬉しいよ。だって俺、足手まといだしヘタレてるし……」
「それでもちゃんと自分の意見を言ってたじゃない!そういうとこは、あんたの方が優れてる」
今日は色々なことがあった。気が付いたら火事の現場に居て、アキレアに助けてもらって、彼女のマスターになった。
そして森の中で魔物に襲われて、何度もバカだって言っていたアキレアに初めてお礼を言われて、褒められた。
この世界、結構楽しいかもしれない。
「ありがとう。そんなこと言われたの初めてだよ」
「だ、だからって調子に乗らないでよね! あんたは確かにあたしのマスターになったけど、対等な関係なんだからね!」
俺が彼女に握手をしようとした時の言葉、覚えていてくれたんだ。
何だか嬉しくて、思わず口元が緩んでしまう。
「な、なに笑ってんのよ!」
「ふふっ、何か嬉しくてつい」
俺はもう一度彼女に手を差し出した。
「改めて、宜しくなアキレア」
あの時はスルーされた握手。
彼女は少し照れながら、しっかり俺の手をとってくれた。
「弱いあんたを護ってあげるんだから、感謝しなさいよね……ショウ」
今日の出来事に、アキレアに初めて名前を呼ばれたことも追加されたな。