1.焼ける町
何か……物凄く寝苦しい。寝苦しいっていうか、息をするのも辛い。空気がむわっとしていて、寝汗が酷い。つーかアレか、俺床で寝てはいたけど何かジャリジャリしてて土臭い。
耳をすませば、パチパチと何かがはじけるような音と……誰かの悲鳴が遠くで聞こえてくる。それに煙い。
……おいちょっと待てよ、これ火事じゃねーの!?
勢い良く飛び起きると、目の前だけじゃなく、俺の周りにあるほとんどの建物が燃えていた。
どこだよここ。ゲームやろうとしてて、部屋で寝ちゃって……なんで俺こんな火事の町に居るんだよ。おかしい。おかしいだろこれ。
とにかくここから逃げないとまずい。急いで立ち上がって、まだ比較的に火が燃え広がっていない方へ行く。
煙を吸うとヤバいだろうから、なるべく姿勢を低くして進む。風があまり吹いていないから、煙が飛んでいかない。ヤバい、煙が目にしみる。
出来るだけ急いで逃げているつもりだけど、ここがどこなのか全く見当がつかない。俺が住んでる町じゃないみたいだし、建物なんか全然近代的じゃない。
木造住宅みたいだけど、質素というか貧乏くさいというか……
火が移り始めた家から飛び出していく住人らしき人も、俺と同じように逃げていく。日本人じゃないみたいだ。彫りが深い金髪の外人さんか?
あれ? なんだあの人の着てる服……まるでどっかのゲームの村人みたいな服じゃないか。
ていうか俺の服も変だ。着替えた覚えなんてないのに、黒いフード付きのローブとブーツなんか装備してる。
……この服、何か見覚えあると思ったらゲームを始める時に設定した主人公の服じゃないか?
おいおい異世界転生フラグかコレ。嘘だろコレ新手のドッキリなんだろ。一般人にドッキリを仕掛ける番組なんだろ。安全を確保したうえで火事ドッキリをしてるだけなんだろじゃないとコレめっさ危険だろ俺死んじゃう!
他の人達が逃げるのと同じ方向へ町を抜けていくと、大きな木製の門の前に出た。
どうやらこの門が町の出入り口のようだが、門にも火が移りだしている。
町の人達に続いて俺も門をくぐろうとした時、燃えている門が崩れ落ちて、倒れ込んだ門の残骸が出口を塞いでしまった。
それを乗り越えようにも、今も勢い良く燃える残骸の高さは俺の身長なんて軽く越えている。
やべぇよ、いきなり詰んだ!
「そこどいて!」
後ろから女の子の声がした。
その言葉に従って急いで門から離れると、紺色の長い髪をポニーテールにした女の子が、背中に背負っていたでっかい斧を構えた。まさか斧で道を作るつもりなのか。
「そぉれっ!」
両手で思いっきり斧を振り下ろすと、突然水が噴き出した。
彼女はその水でひとまず火を消そうとしたのかもしれないけど、出て来た水はバケツ一、二杯分くらいしかなかった。ごうごうと燃える炎はその程度では消えなかった。
なんで斧から水が出て来るのかとか、なんで女の子が斧なんて物騒なものを持ってるのかとか、やっぱり転生か転移フラグが濃厚なんじゃないかとか考えていたら、彼女が俺の方へ駆け寄ってきた。
「……あんた、男よね?」
「そうだけど……?」
男ならこれくらいの炎どうにかしろ、とか言われるのかと思ったら、彼女は俺が予想もしていなかった言葉を口にした。
「あたしと仮契約しなさい」
言われた言葉の意味がよくわからなくて、何も言えずにいる俺を睨んで彼女は俺に斧を向ける。
「聞こえなかった? あたし一人の力じゃあの炎は消せない。あたしは問題ないけど、このままじゃあんた死ぬわよ」
「え……っと、つまり……?」
「ここで焼け死ぬか仮契約して町から脱出するか、早く選びなさいよ! あんた頭悪いんじゃないの?」
初対面の女の子に頭悪い発言されるとは……多分同い年くらいだよな。なんて迫力だ。
「生きたいの? 死にたいの?」
「い、生きたい! 生きたいけど、仮契約って何?」
そう言うと「やっぱりあんたバカなのね」と言いながら、彼女は羽織っていたマントを外した。
マントで隠れていた彼女の左肩には、黒い剣のタトゥーがあった。
「この剣の印に口付けをするだけよ。それで仮契約は成立するわ」
「その剣に、口付け……」
「そうよ、簡単でしょ? あんたみたいな弱々しい男と仮だとしても契約するなんて、ホントは嫌なんだからね!」
よ、弱々しい……万が一ここが本当にトリップしたゲームの世界なんだとしたら、確かにマスターのステータスは低いから間違ってはいないんだけどさ。
……待てよ、確かあのゲームってストーリーを進めていくと女性キャラクターが仲間になるんだよな? この子との契約っていうのも、もしかしたらイベントの一つなのかもしれない。
「早く! 手遅れになっても知らないんだから!」
「わ、わかったよ!」
普段の俺なら女の子の肩にキスするなんてどう考えてもありえないことだけど、火の手はどんどん町を飲み込んでいく。自分の生死に関わる危機的状況だということもあって、あまり深くは考えずに彼女の言う通り肩の剣にキスをする。
その瞬間、俺の首が熱を持った。
彼女が言う仮契約がどういうものなのかわからないけど、首が熱くなったのと同時に彼女の黒い剣のタトゥーが青く変化した。
「嘘っ! 真の契約が交わされるなんて……!」
「な、何それ」
「あんたまさか……フリッグマスター!?」
「多分……うん、マスターなんだと思うけど」
「あんたフリッグマスターならフリッグマスターだって早く言いなさいよバカ!」
そんなに俺と契約したくなかったのか、彼女は凄い剣幕だ。
「なんかごめん……ていうか、早く火を消さないとマズいんだけど!」
「わ、わかってるわよ! まったくもう……こうなったらちゃんと責任とってあたしのマスターになりなさいよね!!」
彼女はまた門の残骸に向き直り、斧を構え直した。
大きく息を吸って、彼女はさっきよりも真剣な顔付きで斧を振り下ろした。
「せいやぁぁっ!!」
今度は学校のプールくらいはあるんじゃないかという程の水が一気に飛び出して、それを浴びた残骸は少し炎の勢いが弱まった。
彼女はもう一度斧を使って、今度こそ鎮火させることが出来た。
「すげぇ……!」
「何ボケーッと突っ立ってんのよ! これ壊すからちょっと離れてて!」
炭のようになった数メートルある門を軽々と斧で破壊し、彼女は道を作ってくれた。これでようやくこの町から逃げられる。
「ホントは町の火全部消し止めたいところだけど……あんたの身が保ちそうにないものね。さあ、こんな危ない場所さっさと行きましょ!」
「ああ」
俺は彼女の後に続いて町から出た。さっきまで気がつかなかったが、振り返ってみるとあの町は石造りの塀に囲まれていたようで、塀より高さがある火柱が見えたり、真っ黒な煙がもくもくと上がっていた。
彼女が助けてくれなければ、俺はあの炎の中で焼け死んでいたに違いない。
そういえば、と俺はずんずん町から離れていく彼女に呼び掛けた。
「自己紹介がまだだったよな。俺、ショウって言うんだ。君は俺がマスターだっていうのにあんまり納得がいってないみたいだけど……助けてくれてありがとうな」
彼女は足を止めて振り返り、それを見て俺は握手の手を差し出した。
「……あたしはアキレア。まだあんたを完全にマスターだと認めたわけじゃないから。自分の方が偉いとか勘違いしないでよね」
アキレアは俺の手をとるつもりはないらしい。それでも俺は、命を救ってくれた彼女に感謝を伝えたい。
「俺さ、マスターとかよくわかんないけど……君とは対等な関係でいたいんだ。アキレア。君は俺の命の恩人だ。本当にありがとう」
「バッカじゃないの?」
「バカでも弱々しいやつでも何でも良いよ。とりあえず、これからどうしたら良いのかな?」
これが、俺の一人目の聖女、アキレアとの出会いだった。