第十四話
一方、泉へ向かうカルロはここは…どこだ…?」
見事に迷っていた。威勢よく駆けだしたはいいもの以前はつぼみの言う通り進んでいたので、全く道のりを記憶していなかったのだ。
「こんなことならあいつらも一緒に連れてくればよかったな~。くっそ~つぼみさんが危ないかもしれないのに…」
…いよいよダメと思った瞬間
「…歌?」
どこからともなく、聞いたことのある歌声が聞こえてきた。美しく、どこかはかなげな声。
「つぼみさんの声だ!」
その声は、以前疲れきってこの山に来たとき、つぼみが癒し疲れをとってくれた、その不思議な歌声そのものだった。そうとわかると、カルロは声のする方へ走りだした。
だんだんと声は大きくなり、とうとう木々を抜けた。
「つぼみさん!」
目の前には、美しい泉が静かにそこにあり、月明かりによって淡く輝いていた。
見渡すと、泉のほとりにつぼみが座り込んで、こちらを驚いた顔で見つめていた。
「カ…ルロ?なんで…?」
「いや…つぼみさんが危険だって…知らせに来たから…」
しかしどこを見渡しても、つぼみを危険にあわせるような人も物も見当たらない。
「…?」
手元のかさっという感触に目を向けると、ずっと握りしめていたのであろう、紅霧が持ってきた式神が握られていた。
カルロは式神をよくみると、それは式神の形に切り取られているが、真っ白なはずの紙に、ところどころ墨がついていたのを見つけた。
(そういえば前に紅霧が墨をこぼしたことがあったが、そこまで汚れてないのは何かに使えるだろうって取っておいてたな…この紙…まさかあの二人!)
「はー」
カルロはため息をつくと同時に力が抜けて座り込んでしまった。
「あの…一体どうしたの?危険って?」
自分の世界に入っている間に来たのか、つぼみは心配そうな顔をして、カルロのそばに立っていた。
「あ~…何から話したらいいんだろう…」
「フフ…フフフ…」
「そろそろ笑い止んでくれ…」
「フフ…ごめんごめん」
カルロは前に帰る間際に、屋敷の壁につぼみに危険なことが起きたら知らせるようにという式神を張っておいたこと、おそろく(大体合ってるが)天穹が紅霧と手を組んで式神を持ってきて、なにか目的があってつぼみと会わせようとしたということ、ここに来るまでに森で迷ってしまったことなどを話した。
森で迷ったというのを聞いてから、つぼみは笑いっぱなしだ。
「迷うって、意外と子供っぽいところあるのね」
「し、しかたないだろ」
そういいながら、カルロは子供のようにそっぽを向いた。
「フフ…でも…ありがとね」
「?」
「あのときからいろいろ考えてたの。おじい様から言われたこと全部」
「…」
「たぶん、いえ絶対、あの人はもう一度訪れる。だからそのときもっと詳しく聞くつもりなの」
「そんな!危険だって!」
カルロは血相を変えて詰め寄ったが、つぼみはそんなカルロの顔を見つめて真剣な顔で言い返した。
「ううん。今の今まで何もせず、殺しもせずにしてきたからすぐに命は狙われないと思う。突然の来訪、きっとなにかあるし、チャンスのような気がするの」
「だったらそのときは…!」
「助けに行く、でしょ?」
「!」
先に言う言葉を奪われポカンとした顔のカルロの顔を見て、つぼみはおかしそうに笑い、月を見上げた。
「あなたはさ、本当に変な人よね。私の初めての姿を見て綺麗だと思ったって言ったり、何回も来るし、おじい様が来たときだってそうよ。あんなことがあったあとなのに壁に私に危険なことがあったら知らせる式神を貼ったり、自分のことより私の心配して…変な人で…優しい人ね…」
最後のほうは少し恥ずかしそうにうつむきながら言ったせいでカルロに顔は見えなかったが、声のトーンが明らかに違ったので、よけい分かりやすくなった。
カルロはその意外な言葉に言葉を失い視線をさ迷わせている。
「ねぇ…カルロって、ほしいものとかある?」
「ほしいもの?」
突然話題を変えられ聞き返したカルロにつぼみは少し悲しげに微笑んだ。
「この山にはね、来る〈人〉は私を殺して、おそらく怪物をやっつけったって名を上げたいとかいう殺し屋ばかりだけど、動物は違うわ。珍しい生き物は人間に売買されたりする。そこから逃げて、行き場を失った子は、私とここで一緒に暮らす子もいる。怪我をした子はこの泉で傷をいやし、その子たちによるけど、ここで家族をつくって行く子もいる…」
そこまで言ったとき、うしろの茂みの奥からカサっとなにかが動く音がした。
「なんだ!?」
「まって」
茂みに向かって戦闘態勢になったカルロをつぼみは手で制した。
出てきたのは、一頭のくま、いや、そのあとから同じくらいの大きさのくまと、小さなこぐまが一頭。くまの親子であった。
始めに出てきたくまは代表するかのようにつぼみのそばへとより、甘えるようにつぼみにすり寄った。
「そう…もう行くの…元気でね」
つぼみの言葉に答えるようにくまは小さくうなずき、もと来た道へと去って行った。
「今のは?」
何があったのか全く理解できていないカルロは、見えなくなってもまだ去った方を見続けているつぼみに聞いた。つぼみは声をかけられようやく泉の方へ向き直った。
「あの子は、私の方へあいさつに来た子は、二年前に足に傷を負って、この山に来た子なの。よく背中とかに乗せてもらってね、何日か前に女の子のくまを連れてきて家族になったよって知らせに来てくれたの」
つぼみはそのときのことを思い出してか、表情を和らげ続けた。
「他にもたくさん家族をつくって、この山から出ていったり、ここで暮らしている子を見てきたわ。あの子はここを出て行ってきっといい家庭を築くわ。それでね、家族っていいな~って思ったの…」
「…」
「母上と父上はもう二度と会えない。二人の子供にはなれない。叶わないことはわかってる。でも、親にならなれるでしょ?だから…いつか私にも、大切な人ができて、子供が生まれて…ってそんな本当に小さなことだけど、幸せな日々がほしいな~って、思ったんだ…」
静かな瞳で語られる小さな『夢』。それは普通の人でも願うであろう『夢』。しかしつぼみには、そう夢見ても、この百数年もの間、誰かに聞いてもらうことも、その『夢』をかなえる機会も得られず、ただその小さな体で、大切な唯一の『夢』を、自分の中で大事に守ることしか、できなかったのだ。
「えへへ。なんか言うと恥ずかしいな。でも、誰かに話すことできてよかっ…カルロ?」
じっとつぼみの話を聞いていたカルロの瞳からは、つーっと、一筋の涙がほおを伝っていた。
「え?あっ!ご、ごめん!なんか…話が…その、本当に純粋って言うか、つぼみらしいなって思って。すごくいい夢だと思う。本当に…」
ごめん、うまく言えないや、というカルロにつぼみはおかしそうに声をたてて笑い
「やっぱり優しい人ね」
と言った。
「カルロは?カルロにもなにかあるでしょ?」
「僕は…」
(夢…ほしい…考えたこともなかったな)
「小さいころから赤野里の長、剣城家の長となることが決められていたから、なにかしたいとか、考えたこともなかった…君がうらやましいよ…」
小さく笑うカルロに、つぼみは眉を寄せた。しかし、すぐに顔をグイッとカルロに近づけ
「だったら、これからみつければいいじゃない。私ほどじゃないけど、まだたくさん死ぬまで時間あるし、あなたはどこにでも行ける可能性があるんだから」
と言って、励ますように笑った。
カルロはいきなり近づかれたことと、励ましの言葉に目を見開いて驚き、うれしそうにほほ笑んだ。
「ありがとう…」
ピシッ
ふいにうしろから枝を踏む音がして二人は振り向くと同時に、男女二人が将棋倒しの様な形で現れた。天穹と紅霧だった。
「もう!見つかっちゃったじゃない!」
「うしろから押すからだろ!?というか重い!どけ!」
「女性に向かって重いって何よ!重いって!」
離れながらも紅霧と天穹の口はやむ気配を見せず、いきなり現れ騒ぎだす二人に、つぼみはただ呆然とその様子を見守り、カルロは怒りをかみしめているというようにまゆをぴくぴくさせた。
「お前ら…いいかげん静かにはならないのか…?」
「え?」
「あっ」
カルロが呼びかけ、カルロの顔から怒りのほどを読みとった二人は、ようやく口を閉ざした。
「で?どこから聞いてたんだ?」
カルロは額に青筋を浮かべながら聞いた。
「つほみさんがカルロ様に顔を近づけたあたりからですよ」
それを聞き、つぼみはキョトンとした顔をして、カルロは顔を蒸気が出るのではと思うほど真っ赤にさせた。
「紅霧ー!お前なー!というか天穹!お前もだ!いつも変なことしないお前がなんで…」
「でもこうでもしなかったらおまえずっとあの書庫のなかにいただろ」
突然の反撃にカルロは口をつまらせた。
「う…あれは…」
「まあだいたい気づいていると思うが、紅霧がお前がもう一度〝なにか〟のきっかけでつぼみさんのところへ行き、話したらわだかまりもとれるんじゃないかというのでな。それしか元に戻るいい方法がみつからなからなかったから乗ったんだ。まあスッキリした顔してるし感謝されてもいいと思うんだが?」
「う…それは…」
カルロは一気に言いくるめられ口ごもった。その様子を見ていたつぼみは、くすくす、と肩を震わせ笑った。そんなつぼみに紅霧は、二人に気づかれないように近づき、そっと耳打ちした。
「つぼみさん。たぶんカルロ様は言ってないと思いますけど、つぼみさんが危険かもしれないって知ったとき、それはそれは血相を変えて駆けつけたんですよ。きっととても心配されてたんですね」
紅霧のその言葉に、つぼみは自然と顔が赤くなり、隠すようにその顔を手で包みこんだ。
「あついですね~二人とも」
紅霧はそんなつぼみをニコニコと満足げに見ていた。
「紅霧…なにやってんだ?」
カルロは天穹の言葉攻撃に疲れきった顔でそう聞くと、紅霧はさあ~、と笑顔で返した。その返事にため息をつき
「ったく…つぼみさん。そろそろ帰るか…紅霧になんか言われた?」
とつぼみに向き直った。最後の方は小声で聞くと、つぼみは視線をカルロとは反対の方を見て「いや、その~なんでもない…よ?」と口ごもって答えた。
「なんで最後疑問形?」
「あはは…でも…ありがとうね」
「ん?」
なんのことかわからないカルロは首をかしげる。
「なんでもない! 言いたかっただけ」
つぼみは後ろでぐっと親指をたてている紅霧に向かってウインクをした。