第一話
今から二千年ほど前の事。
山に囲まれた赤野里という小さな里があった。その中の雷山は頂上が霧に隠れていてとてもぶきみな山だ。代々先祖達は
《あの山には近づくな》
《生きて帰れなくなるぞ。》
そう言い今までずっと伝えられてきた。
しかし一度でいいから行ってみたいという変わり者がいた。
その者の名は、一三代目剣城家当主。および赤野里の長。剣城 カルロ。一五歳。小柄で華奢なその姿からは全く想像もできないが、歴代最年少にして最強の式神使いだ。
雷山へは、誰も寄りつかないだけで、行こうと思えば行ける。
カルロはその夜、春の訪れを祝う祭りがあったのだが、早々に出てきた。カルロの山への好奇心はただの遊び心ではない。幼く当主になっただけあり知能、才共に優れている。歴代当主達の文書にもすべて目を通している。
その中から生まれた疑問があった。
(なぜ二代目の文書は何もないのだろう?)
カルロは書庫の書物をすべて見てまわったが、どうしても一代目と三代目の間の年の文書は見つからないのだ。そして、今は普通に話されている《雷山へは近づくな》という話は二代目が生きていたであろうこの空白の年の後。三代目から続いている。カルロはきっと雷山と二代目には何か共通点があるだろうと、前々から思っていた。
しかしいくら人気が無いところでも、行く途中誰かには会ってしまう。里を守り続けてきた剣城家当主が先祖達からの教えを破ったとなれば、村中が大騒ぎになる。思案した末、祭りで人が村の中心に集まり、家屋からいなくなるこの日に行ってみようと思ったのだ。
カルロは裏口からそっと辺りをうかがい誰もいないことを確認し、扉を閉めた。思った通り山への道ではだれにも会わなかった。祭りの太鼓の音や人々の笑い声が聞こえてくる。山に囲まれているので音が四方八方から反響している。
その楽しそうな音に思わず微笑を浮かべた。
しかし雷山に近づくにつれ変な感覚に襲われた。
(なぜ祭りの音が小さくなっているのだろう?山同士が反響しあっているから通常なら山の中までも音が聞こえるはずなのに…)
疑問を抱かせながらも歩くことを止めずとうとう雷山のふもとにたどり着いた。祭りの音はもう全く聞こえてこなかった。
「なるはど…確かに生きている者の気配が全くしないな。春だというのに花の一つも咲いていないし…」
その通りで、草木は大きく茂っているのに土は乾燥したような感じで明るい色というものが無い。
「しかし、どうしたものか」
人が近寄らないのだから当然山を登る道が無い。山を調べるためには山の中に入らなくてはならないが入って出られなくなったら一巻の終わりだ。
「仕方ない…周りを調べるだけでも何もしないよりはましか…」
カサッ
「…!」
さっきまで風の音もなかったが数歩先の方からかすかになにかが動いた音がした。
おそるおそる近づくと小鳥が翼から血を流し倒れていた。
「小鳥!?ここに生き物がいたのか…」
不思議に思っていたがすぐ我に返り小鳥の体にそっと触れると、かすかに目を開けた。
「生きてる!すぐに手当てをするから死ぬなよ」
そういうと
「雨月。癒しの力を」
何もいないところに声をかけた。すると、すっと音もなく天女のような衣をまとった茶色の髪を腰までおろした一人の女が現れた。
「はい」
静かに短く答えると手を小鳥にかざし、手から淡い光が出て小鳥を包みこんだ。
光が消えるとさっきまで身動きひとつしなかった小鳥が起き上がり翼を何回か羽ばたかせ、二人の頭上を旋回した。
「さすが雨月。おてのものだな」
そう。彼女は人間の格好をしているが、じつは剣城家に代々仕える式神。医療式神だ。医療としての力はもちろん、弓の名手でもあり、さらには遠くのものを手を使わずに操ることもできる。戦闘のさいにも頼りになる式神だ。他にも、戦闘式神、守護式神、などがいる。
雨月と呼ばれた式神はクスリと笑った。
「そりゃそうですよ医療を専門にした式神なのですから。カルロ様は主なのですから私達を使って当然なのです。呼び出すたびにお褒めの言葉をお使いにならなくてもいいのですよ?」
「この世に生れ出た者には心があるのだ。たとえ式神でもあまり物扱いしたくない。ま、人間の姿をしているから尚更な」
軽く笑い旋回している小鳥に目をむきなおした。
雨月はそんな主に悟られぬようそっと溜息をついた。
(全く…いつになったら気づくのでしょうね。そんなあなただからこそ私達はいままでの当主達より忠義を誓っているのに。剣城家の者であなたほど式神を大切にしている方はいまだかつて見たこともありませんわ)
と心の中でつぶやいていたら、いきなり小鳥が旋回を止め、さっきカルロが山へ入る入口が無く立っていた辺りに真っすぐ飛んで行った。反射的にその方を目で追っていくとその先に…
少女が立っていた。
ピピピピピッ
小鳥は嬉しそうに少女の肩に止まった。
カルロは全く気配を感じさせずに人がいたのにも驚いたが、もっと驚いたのは、少女は真っ白な、里では見たことがない衣をまとい輝くような金色の髪は地面に着く位まで長くなにより人間にはないものが背中にあった。
「つば…さ…?」
鳥のようにいつでも飛びたてるような白銀のつばさ。その美しい姿に体が固まってしまった。
「あの…」
少女が口を開いた。はっと我に返り少女を見つめなおした。
少女はにこりと微笑み、
「この子を助けてくれてありがとう」
と告げると山に去ろうとした。
「まって!」
カルロはとっさに呼びとめた。少女は不思議そうに振り返った。
「あ~えっと…君はここで暮らしているの?」
「はい」
「他に住んでる人は?」
すこし顔を伏せたがすぐ向き直り。
「ここには私の他に動物達しかいないわ。この子を休ませますので帰ります」
再び木々の向こうへ向かう彼女に
「また来てもいいかい?」
と尋ねると、一瞬立ち止まりまた歩き出して
「別に…来てはいけないわけではありません。でも…不幸になりたくないのなら、来ないほうがいいと思いますよ」
と言い残すと消えるように山の中に入って行った。