小人とイチゴとチューリップ
少女は花が好きでした。
「凛と咲いて潔く散る…その姿が好きなの」
と少女は言います。
少女はとある森に住んでいました。
少女は世界中の花を自分の目で見るために世界中に出掛けて行きました。そしてこの世の花を全て見終わったとき、少女は思いました。
「やっぱり私はあの花が見たいわ」
それは伝説上の花。数年前までは存在していた『チューリップ』という花でした。
初めて写真の中のチューリップを見たときから、少女はずっと本物をこの目で見たいと思っていました。
少女はチューリップを探して世界中を旅しました。しかしチューリップは見つかりません。
「やっぱりこの世にはもう存在しないのかしら…」
少女はそれでもチューリップを探し続けました。
そんなある日。
いつものようにチューリップを探しに出掛け、疲れて帰ってきた少女はベッドに倒れ込みました。そんな少女の耳にとある2つの声が飛び込んできました。
「お疲れのようですね、お嬢さん」
「お疲れのようだね、お嬢さん」
少女がのっそりと顔を上げると、ベッドの近くにある小さな机の上に手のひらサイズの2人の小人がいました。
「こんばんは、お嬢さん」
「お嬢さん、こんばんは」
ワンピースを身に纏った小人と短パンをはいた小人は少女ににっこりと笑いかけました。
「…こんばんは、小人さん。一体私に何の用かしら」
2人の小人は顔を見合わせて大きく頷くと少女の方に向き直って言いました。
「あなたの願いを叶えてあげようと思って!」
「あなたの望みを叶えてあげようと思って!」
「私の…望み?願い?叶える?」
少女は疲れを忘れてベッドから飛び起きました。
「それはどういうこと?!」
「そのまんまの意味ですよ、お嬢さん」
「そのまんまの意味だよ、お嬢さん」
「「あなたの夢を叶えてあげましょう」」
小人は声を揃えて言いました。
少女は驚きで体を震わせました。
「な、なんで私なの?」
「さーあ?何ででしょう?」
「僕らはいつだって気まぐれさ」
小人は顔を見合わせると楽しそうに笑いました。
少女は少し考えるようにして小人に尋ねました。
「なんでもいいの?」
「もちろん」
「もちろんさ」
「どんな願いも1つだけ叶えてあげる」
「どんな望みも1つだけ叶えてあげる」
「「さあ、言ってごらん」」
「…チューリップを、本物のチューリップをこの目で見たい!」
少女は叫ぶように言いました。
「ふむふむ…。チューリップ、とな」
「ふむふむ…。本物の、とな」
2人の小人はこくこくと頷きました。
「ユリ科の球根植物で、高さは20〜50cmくらい。葉は大きくて披針型。それで鐘に似た形の花を咲かせるの」
少女は夢見心地でうっとりしながら言いました。
「色は白や赤や黄色や…たっくさんあるの」
「なるほどなるほど」
「してお嬢さん。一体何色のチューリップが見たいんだい?」
少女は小人にそう尋ねられはっ、としました。
全ての色のチューリップが見たい少女はしばらく考え込みました。
「…赤」
少女はぽつりと呟きました。
「私の大好きな真っ赤で真っ赤な赤色のチューリップが見たいわ」
「お嬢さんの大好きな」
「真っ赤で真っ赤な赤色、ね」
小人たちは少女の言葉を繰り返すとにっこりと微笑みました。
「分かりました、お嬢さん」
「分かりましたとも、お嬢さん」
「その願い、」
「その望み、」
「「叶えてあげましょう」」
「本当に…?私、嬉しすぎて死んでしまいそう!」
そんな少女の様子を見て小人たちはニヤリと笑って言いました。
「ただし!」
「そのかわり!」
「この森にあるイチゴを私たちのところに持ってくること」
「真っ赤で真っ赤なイチゴをね」
「…え?」
少女はその言葉を聞いて目を見開きました。
「そ、そんなの聞いてないわ!そんな条件、私…」
「まさか!」
「そんな、まさか!?」
小人たちは口に手をあてると小さな目を見開いて、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべました。
「私たちがタダでお嬢さんの願いを叶えてあげるとでも思っていたのかい?」
「自分は何の努力をしないまま望みが叶うとでも?」
「「なんて図々しい人間なんだろう!!」」
「な、なによそれ!失礼すぎるわ!」
少女は顔を真っ赤にさせて言いました。
「あなたたちが私の願いを、望みを叶えてくれるって言ったじゃない!」
「私たちのせいなのか!」
「僕らのせいなのか!」
小人たちはそう叫ぶと今度はひそひそと囁き合いました。
「やっぱり願いを叶えてあげるべきではないんじゃないか?」
「そうだ、きっとそうだ。それに僕らは気まぐれ。望みを叶えてあげる義理もない」
「ちょ…!?ちょ、ちょっと待ってよ!」
少女はあわてて小人たちに言いました。
「わ、分かったわよ。イチゴ、イチゴね。イチゴを持ってくればいいのね」
小人たちは少女を見上げるとにっこり微笑みました。
「さっすがお嬢さん」
「話が分かるねお嬢さん」
少女は小さくため息をつくと小人たちに尋ねました。
「どれくらいのイチゴを持ってくればいいの?」
「そうだねー…」
「それはねー…」
小人たちは顎に手をあてて考え込みました。そしてパッと顔をあげるとお互いの顔を指差しながら言いました。
「15粒!」
「20粒!」
「40粒?」
「70粒?」
「「ううん」」
そして同時に首を振ると少女を向き直って言いました。
「「300粒のイチゴが欲しい!!」」
「な…!300…!?」
今度は少女が信じられないと言わんばかりの表情を浮かべました。
「あなた達…。それがどれくらいの量だか分かって言っているの?」
「もちろんだよ」
「もちろんだとも」
小人たちは悪戯っぽく笑って言いました。
「それでお嬢さん」
「してお嬢さん」
「「どうするんだい?」」
「…」
少女は少しの間目を伏せると言いました。
「…分かったわ。この森にあるイチゴを300粒用意するわ。だから私の夢を叶えて」
「「分かりました。その夢、叶えてあげましょう」」
2人の小人は手を繋ぐと、ペコリと頭を下げました。
「それではまた会いましょう、お嬢さん」
「さようなら、お嬢さん」
小人たちは少女が瞬きをしている間に何処かに消えてしまいました。
少女は改めてベッドに突っ伏しました。
小人と出会った次の日から少女はイチゴ探して森中を駆け回りました。
「ここにある花は全部見たのにどうしてイチゴの花の場所が分からないのかしら」
少女は小言を漏らしながらも森中を探し回りました。でもなかなかイチゴは見つかりません。
それでも少女は諦めませんでした。
少女はどうしてもチューリップが見たかったのです。
少女は自分の夢のためにイチゴを探し続けました。
そして少女は8日かかってようやくイチゴを見つけました。
「やっと…やっと見つけたわ!」
小さな木の隙間から這う様にして見つけたその場所にたくさんのイチゴを実らせた苗がありました。
少女は夢中になってイチゴを集めました。
少女はそのイチゴのあまりの赤さに食欲がそそられ、一粒のイチゴを口にしました。イチゴの酸味と甘味が口の中にふわりと広がり、少女を幸せな気持ちにさせました。
「なんて美味しいイチゴなんでしょう!そうだわ。小人さんにあげる分だけじゃなくて自分の分も摘み取ってしまいましょう!」
少女は鼻歌混じりに、そして時々口に頬張りながら、そこにある全てのイチゴを摘み取ってしまいました。
「小人さん、小人さん。出てきて頂戴、小人さん」
イチゴを摘み終えた少女は家に帰ると早速小人を呼びました。
「なんだい、お嬢さん」
「どうしたんだい、お嬢さん」
すると2人の小人はまるでずっとそこに居たというようにあの机の上に立っていました。
少女は小人たちの方に顔を近づけて言いました。
「イチゴを持ってきたわ」
「真っ赤で真っ赤なイチゴをかい?」
「300粒のイチゴをかい?」
「ええ、そうよ」
そう言うと少女は、いっぱいのイチゴが入った大きなカゴを小人たちがよく見えるように持ち上げました。
「おぉ!これは間違いない!」
「僕らが求めていたイチゴだ!」
小人はびっくりした表情をするとぴょんぴょんと跳ね上がりました。
「これでいいでしょ?さぁ、私の夢を叶えて頂戴!」
少女は耐えきれなくて、小人たちを急かすように言いました。
「ふむ」
「ふむふむ」
小人たちは顔を見合わせて何度か頷くと言いました。
「外の広い所に行きましょう」
「そこで花を咲かせましょう」
小人たちはイチゴの入ったカゴを2人で持ち上げると部屋の窓から飛び出していきました。
「あ、待って!」
少女はそれを追って裸足のまま小人たちと同じように窓から飛び出しました。
小人たちにはすぐ追いつきました。
森の中の木々が囲む小さなスペース。小人たちはそこにそっとカゴを置きました。
「さぁ、始めましょうか」
「さぁ、咲かせましょうか」
「あなたの願い」
「あなたの望み」
「「叶えましょう」」
小人たちがそう言った瞬間イチゴが眩い光を放ち出しました。
「あぁ…やっと私は見ることが出来るのね!本当の本物のチューリップを!」
やがて眩い光は少女たちを包み込みました。そしてさらに強い光を放つと───
「…?」
少女は目を開けました。でもそこにはチューリップはありませんでした。
少女は周りを見渡そうとしました。しかし、どうしてか、彼女の体は動きません。
「一体何がどうなっているの?」
「ふふふ…」
「くすくす…」
すると突然後ろの方から笑い声が聞こえてきました。
「誰…?」
「滑稽だね、お嬢さん」
「傑作だよ、お嬢さん」
その言葉と共に小人たちが姿を現しました。
少女はその小人たちの言葉に苛立ちを覚え、顔をしかめて言いました。
「何を笑っているの?何が面白いっていうの?」
「これを笑わずにいろというのが無理な話だ…!」
「笑わずにはいられないよ…その姿…!」
小人たちは少女を指差してついに腹を抱えて笑いだしました。
「私の…姿?」
そこで少女ははっとして、あることに気づきました。
──小人さんってこんなに大きかったかしら?
「「これをご覧よ」」
小人たちはそう言うと近くに倒してあった小さな鏡を少女を見せました。
鏡に少女の姿が映し出され、それを見た少女はぎょっとしました。
「なっ…!これ…私?」
少女の姿は彼女の見たかった真っ赤で真っ赤なチューリップそのものとなっていました。
「あなたの願いは叶えましたよ」
「あなたの望みは叶えましたよ」
「「愚かな人間のお嬢さん」」
小人たちはそう言うと少女に背を向け、その場を去ろうとしました。
少女はあわててその小人たちを呼び止めました。
「ちょ…!待ちなさいよ!どうして?なんで?なんでよ!私が、どうして!?」
「これがあなたの願いでしょう?」
「違う!こんなの私の願いじゃない!」
「これがあなたの望みでしょう?」
「違うって言ってるでしょ!こんなこと私が望むわけないじゃない!」
少女は小人たちに喚き散らしました。しかしどんなに暴れようとしても体は少しも動きません。
そんな少女に向かって小人たちくるりと向き直ると言い放ちました。
「「あ〜あ、うるさい植物だなぁ」」
「…な!」
振り返った小人たちの表情はいつもの明るい笑顔から一変して、とても冷たい睨むような表情に変わっていました。
「植物なら植物らしく黙っていたらどうだい?」
「花が好きならその姿に文句はないはずだろう?」
「そ、れは…」
「「まぁ、花が好きなんて嘘なんだろうけど」」
「な、なんでよ!私は花が好きよ。でも、それとこれとは話が別で…」
「「よく言うよ」」
小人たちは声を揃えて訴えるように言いました。
「あんたはいつだって花を蔑ろにしてきた」
「一度見たらそれで満足なんだ」
「私たちはずっとあんたを見てた」
「花を好きだと言いながら花を、植物を傷つけるあんたを見ていた」
「踏みつけ」
「むしり採り」
「枯らせて」
「萎らせた」
「わ、私は…」
「「言い訳なんて聞きたくない」」
小人たちはこれで話は終わりだと言わんばかりに再び少女に背を向けました。
「もう我慢の限界だ」
「僕らはお嬢さんを許さない」
小人たちは少女に背を向けたまま歩き出しました。
「一生その姿でいるといいよ」
「ま、待ってよ…!」
「よかったじゃないか。大好きなチューリップの姿でいられるのだから」
「お願いだから待って!行かないで!」
「「さようなら、お嬢さん」」
「待って、待ってよ…!謝るから…!反省するから…!お願いだから…!私を…元の姿に…」
少女の声はもう小人たちには届きませんでした。
少女の嘆きは誰に届くこともなく消えていきました。
少女がチューリップになって1ヶ月という時が過ぎました。
「…」
あれから少女の周りには誰も来てくれませんでした。あの小人たちも人間も動物さえも現れませんでした。
少女はいつも独りぼっちでした。
「そこのあなた」
ある日、そんな彼女に声をかける者がいました。
「そこのあなた。真っ赤で真っ赤なあなた」
「…私?」
「そうですよ」
「私を呼んでいるの?」
「そうですよ」
「誰なの?」
少女は見渡せる範囲でその声の主の姿を探しましたが見当たりません。
「私はこの森の主です」
「主…?」
「そうです。ちなみに私の姿は見えませんよ。よっぽどのことがないかぎり、この姿は見せられませんので」
「そうなの…」
森の主はそこで黙り込みました。少女は誰かと話すことが久しぶりすぎて上手く言葉が喉から出て来なくて、しばらく沈黙が続きました。
先にその沈黙を破ったのは少女でした。
「えっと…それで主様は私に何か用…ですか?」
「…あなたに謝罪をしに来たのです」
「え?」
森の主はため息混じりに言いました。
「あの子達のこと。ごめんなさい」
「あの子達って…もしかして、小人さんたちのこと?」
「はい」
「どうしてあなたが謝るの?」
「…私があの子達のことちゃんと見ていなかったから」
森の主の声は少し寂しそうに聴こえました。
「私もかつて小人でした」
「え…」
「あの2人と一緒に森を駆け回っていたんですよ」
森の主はふっ、とため息をつくと自分の過去を話し出しました。
「ですがある日私はこの森の昔の主に次の主として任命されてしまったのです…」
「それは、名誉なことなんじゃないの?」
「はい、そのとおりです。ですが主になってあの2人と会えなくなってしまって…。あの子達、私が主になったことをあまりよく思っていなかったのです」
「…それと私のことと何か関係があるの?」
「あの子達はあなたのことをよく思っていませんでした」
「っ…」
「あなたのことが嫌いだったんですよ」
「なんで…」
「それはあの子達から聞いたんじゃないですか?」
「花を…傷つけてたから」
「そうです。そんなあなたに腹を立てていたんですよ」
少女は俯きたい気持ちになりましたが、チューリップである少女は俯くことが出来ませんでした。
「あの子達は悪戯好きで、それを止めるのが私の役目でした。しかし私が主となって、あの子達と一緒に居られなくなってしまい、こんなことが起きてしまったんです」
「…」
「だから、ごめんなさい」
「…じゃあ、私を元の姿に戻してくれるの?」
少女が期待を込めてそう訊くと森の主は少しの間黙り込みました。
「主様?」
「…あなたはこの1ヶ月何を考えていましたか?」
「え、何って…」
「正直に答えてください」
少女はしばらく考えてから言いました。
「…なんで小人さんを信じちゃったのか…とか。どうしたら元に戻れるのか…とか?」
「…あなたという人は」
森の主はまたため息をつくと少し怒ったように言いました。
「気が変わりました。私はあなたを許しません」
「え…」
「私も正直言うとあなたのことを迷惑な人間だと思っていたんですよ」
「…」
「あなたにはそのままの姿でいてもらいます。自分の罪をしっかりと認め、反省するまで、ずっと」
「…そう」
「…?では私はこれで失礼します」
少女の対応に少し違和感を感じながら、森の主は去っていきました。
また少女は独りぼっちになりました。
森の主が居なくなってからしばらくして少女はぽつりぽつりと言葉を漏らしました。
「これで、いいの」
──私は独り。
「私は花が好きなのだから」
──大好きな真っ赤で真っ赤なチューリップ。
「この姿で生き続けましょう」
──これからずっと、一生。
「だって…私はそれだけのことを…した…から」
──私は花を傷つけた。
「いいの。これで…いいの」
──でも、独りぼっちは嫌…!
「…ごめんなさい」
そう呟いた瞬間、少女は眩い光を放ちました。
そして───
あるところに小さな森がありました。
そこには甘酸っぱいイチゴの香りが漂う、真っ赤で真っ赤なチューリップがありました。
そのチューリップを一目見ようとたくさんの人が森を訪れました。
チューリップを目にした人は不思議と悪心が抜け、優しい気持ちになりました。
元々、チューリップの存在を知る人は誰もいませんでした。
しかしある日、光の柱が森に現れ、それを見た地元の人々が森に入ってみると、眩い光を放つチューリップがそこにあったのでした。
地元の人々はそのチューリップをとても大切にしました。
チューリップはたくさんの人々に愛されました。
チューリップの周りにはいつしかたくさんの人や動物が集まるようになりました。
チューリップはもう独りぼっちではありません。
少女はもう独りぼっちではありません。
少女は自分のもとにやって来た人々に向けて言います。
伝わらなくても、聞こえなくても、少女は彼らに語りかけます。
「こんにちは。ごめんなさい。ありがとう。あなたの罪を私も一緒に背負いましょう」
チューリップは今日も美しく可憐に咲いています。