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第八章 蘇州CMD有限公司

 ――蘇州CMD有限公司。

 劉がタクシーを降りて社門の前で保安員に話し掛ける。

「你好」

 ※こんにちわ。

「你好 劉麗華」

 ※こんにちわ、劉麗華。

「請准許入門 他們是日本人技術職員――etc――」

 ※入門許可をお願いします。彼らは日本人技術スタッフ――etc――。

「明白」

 ※了解。

 保安員は右手を縦に小さく振ってみんなを保安室に呼び寄せた。

「この用紙に記入して下さい」

「劉さん、何処に記入すればいいですか?」

「ここに名前と所持している電子機器を記入して下さい」

「電子機器はカメラとか携帯電話の事ですね」

「そうです、技術情報の盗難を防止する為のセキュリティチェックです」

 神崎は入門申請書にみんなの名前と所持している電子機器を書き込んだ。

「辛苦了 再聯絡――etc――」

 ※ご苦労様、また連絡――etc――。

「知道了」

 ※分かりました。

「さあ、行きましょうか」

 劉がタクシーの運転手に指示を出して振り向くと、新光のメンバーは蘇州CMD有限公司の工場に足を踏み入れた。


 銀色に光る工場棟は窓が殆ど無く物流倉庫の様な形で、壁にはCMD社のロゴが大きく表示されている。十棟程ある工場棟は二十五メートル程の間隔を取って直線に配置され、工場棟の他にも事務棟、福祉施設棟、原動棟、居住棟が立ち並び、工場の周辺にはCMD社の共栄会社と思われるプレハブ作りの小さな建屋が並んでいる。この区域全体が一つの町として形成されている様だ。工場の奥に見える低い裏山には直径三キロメートル程の無線発電所があって、発電所周辺の高い壁にもCMD社のロゴが見える。

 ※無線発電所は人工衛星から送信されるマイクロ波を利用して起電力を得る発電所。


「田町先輩、この工場の大きさ、凄いですね!」

「お嬢、工場も大きいけれど、敷地面積の広さが半端じゃないわ!」

「蘇州CMD有限公司の工場棟は、高さ三十メートル、幅五十メートル、長さ二百メートルです。そして現在の工場棟数は十一棟あります」

「日本の工場なんて比べ物にならない規模ですね、神崎さん」

「ええ、深淵さん、この工場を見たら最近の日本が中国に勝てない理由がよく分かりますね。日本の工場がおもちゃに見えますよ」

(これじゃあ、将来、日本で作る物は全部無くなってしまうな……まずいんじゃないのか……)

 神崎は大規模な工場棟を眺めて、日本の将来の事をふと考えた。

「あの一番奥の棟がK棟です。K棟は一階が開発本部で、二階がIPLSIの試作工場になっています。そして、建屋は先月完成したばかりです」

 劉が工場の一番奥にある棟を指差してみんなに説明する。


 みんながK棟に到着すると、工場の玄関で真田が直接出迎えた。

「神崎、ご苦労さん」

「真田さん、お世話になります」

「劉さん、みんなの靴を用意したってくれるか」

「はい、ボス」

 劉がシューズロッカーから上靴を取り出してフロアーに並べる。

「劉さん、ありがとうございます」

 神崎が劉に頭を下げると、みんなは上靴を履いて工場の中に入った。

「神崎、この工場の建屋は完成しているんやけど、屋内はまだ未完成なんや」

「そうなんですか」

「まあ見たら分かるわ」

 真田がセキュリティカードをキーボックスにかざして入り口のドアを手で開く。

 一階の通路を進んで行くと、建屋の右側に大きな事務所が見えた。建屋の左側はまだ未完成で、コンクリートの壁が剥き出しの状態だった。

「内装が施されていませんね」

「これが中国流や、日本やったら工務店が業者に委託して内装も全部やってくれるやろう」

「そうですね」

「中国ではスケルトン渡しが普通や」

「スケルトン渡し?」

「内装工事は別に注文せなあかんのや、まあ、これを見てくれ」

 真田は立ち止まって、壁のパーテーションを指差した。

 ※パーテーションは間仕切りの事。

「あっ、ここ、ネジがありませんよ」

「ネジが三本しか締まってないやろう。ほんまは五本のネジで締めんと強度が落ちるんや」

「手抜きですか?」

「馬馬虎虎や」

「馬馬虎虎?」

「マーマーフーフーと言うやっちゃ」

「…………?」

「適当って言う意味や。神崎、日本と同じ感覚で仕事をしたら痛い目に会うで、覚えときや」

「はい、分かりました」

「さて、この建屋の一番奥にある部屋が俺の開発本部長室やさかい、みんなそこで休憩したらええわ」

 真田が建屋の奥を指差すと、みんなはパーテーションの窓越しに見える風景を眺めながら通路を進んだ。

「半導体工場の天井って、こんなに高かったかしら?」

 相川が上を向いて問い掛けると、深淵が相川の問い掛けに答えた。

「半導体工場の天井にはクリーンルームを無塵化する為のFFU装置がぎっしりと並びますからね、天井にはかなりのスペースが必要なんです」

「FFUって何ですか?」

「FFUはファンフィルターユニットの事です。クリーンルームに流れ込む空気を清浄化して、塵を全てカットします。フィルターはHEPAフィルターとかULPAフィルターがあって、〇・三ミクロンメートル以上の塵を九十九・九九九パーセントカットします。最近では〇・一ミクロンメートルの塵をカット出来る物もありますけどね」

「さすが深淵さん、詳しいですね」

「新光技術工業社のクリーンルームは私が設計したんですよ。だから工場施設の構造は大体分かります」

「深淵さんは設備だけじゃなくて、施設の設計も出来るんですね、凄いわ」

「いえいえ、私は小規模な施設の設計しか経験していませんから、知識と言っても大した事は無いんですけどね」

 深淵は工場施設の構造が気になる様で、立ち止まってパーテーションの窓から奥を覗き込んだ。

 通路の突き当りまで来ると、正面に別の玄関があった。通路は右左に分かれていて、右側はレストルームで左側は会議室になっている。

 真田は会議室側の通路を歩くと、一番奥の《開発本部長室》と書かれた部屋に向いかけたが、途中で止まって振り返った。

「二階の試作室も見せたろか」

「はい、是非お願いします。試作室は我々の職場になりますからね」

「石川君は、やる気満々やなあ、ええこっちゃ、ほな行こか」

 石川が真田に具申すると、真田は石川を褒め称えた。

 真田の後に続いてみんなが非常階段を上り始める。

「ここは中二階がありますね」

「天井の空調メンテナンスが必要やさかい、工場棟には中二階と中三階があるんや」

 真田は階段を上りながら神崎の質問に答えた。

「二階のクリーンルームは出来上がっているんやけど、評価設備の搬入が遅れてんね。設備の輸出管理を通すのに四苦八苦している最中やさかいな」

「輸出管理?」

「最新鋭の組立評価設備は高精度な部品をいっぱい搭載しているやろ、高精度な部品は軍事転用出来るさかい、輸出管理の規制が厳しいんや」

「なるほど、そう言う事ですか」

「それと、中国版ROHSの環境規制に引っ掛る部材が設備に使用されていると輸出が出来んさかい、環境規制をクリアした材料で評価設備を作り直しているんや、輸出規制の法を一回でも破ったら、CMD社グループ全体の輸出がストップするさかいな」

 ※ROHSは電子情報製品廃棄物による環境汚染を防止する為の法律でローズと呼ばれる。

「輸出規制って厳しいんですね」

「ほんまやで、最新鋭の組立評価設備の輸出は特に難しいわ」

 真田がぼやきながら階段を上がる。

 階段を上って二階に入ると、通路の左右にクリーンルームが見えて来た。

 真田の言う通り、組立評価設備はあまり設置されていない様だ。

「うわっ、広いっすね、真田さん」

「田町さん、設備が設置されてへんから広く見えるんや」

「いや、いや、そんな事ないでしょう、これはかなり広い部屋ですよ」

 石川が腕を組んで辺りを見回すと、みんなは二階の中央通路をゆっくりと進んだ。

「この左側の居室が製造技術室と生産技術室で、あの場所が君達の駐在エリアや」

 真田が新光メンバーの駐在エリアを指差す。

 居室内はパーテーションで仕切られていない為、エリアの境界線がはっきりとしないが、居室のドア窓に《制造技術支援部》と中国語で書いてあった。

「君達は蘇州CMD有限公司と蘇州OSLED有限公司にそれぞれの駐在エリアを持って仕事をする事になるので大変やと思うけど、まあ頑張ってくれや」

 真田はみんなに労いの言葉を掛けると、神崎の肩を右手でポンと軽く叩いた。

「まあ、二階もまだこんなもんや、組立評価設備が全部揃わんでも一部の評価はスタート出来るやろ」

 みんなは建屋の二階の風景をしばらく眺めた。


 ――階段を降りてみんなが一階の通路に戻ると、劉が開発本部長室のドアを手で開けた。

「ここが開発本部長室や」

 真田が右手を差し出してみんなを部屋の中に招く。

 開発本部長室は広々としていて、来客用の大きなソファーや更衣ロッカーが設置してある。真田の大きな部長机の後ろには大きなガラス窓があって屋外の風景が見渡せた。

「うわっ、広いっすね。うちの会社の社長室より広いっすよ」

「役職室としては工場の中で二番目に広い部屋や」

「えっ、じゃあ、一番広い役職室は何処っすか?」

「もちろん、総経理室や」

「総経理?」

「中国では会社の社長を総経理と呼ぶんや」

「マジっすか、知らなかったっすよ、真田さん」

「田町さん、ひとつ賢くなったやろ」

「はい、ひとつ賢くなったっす」

「ははは、まあ、みんな、そこに座って休憩してくれ」

 田町がおどけた敬礼をすると、真田は笑いながらソファーを指差した。

「劉さん、コーヒー入れたって」

「はい、ボス」

 劉が部屋から出て行くと、みんなは来客用の大きなソファーに座った。

「うわっ、お嬢、これ、ふわふわよ」

「田町先輩、これ、気持ちいいですね」

 田町と相川がソファーの上で嬉しそうにはしゃぐ。

「君達は、しばらくホテル住まいか?」

「そうですね、Fビザで入国していますから」

 ※Fビザは滞在ビザで六十日、九十日、百八十日がある。

「Zビザの申請が必要になるかもしれんな」

 ※Zビザは就職駐在ビザで長期滞在が出来る。申請には外国人就業許可証書や健康診断書等の書類が必要である。

「ええ、でも、今年は何とかFビザで行けそうです」

「そうか」

 真田が腕を組んで神崎の顔を見る。

「失礼します」

 部屋のドアが開いて劉がコーヒーを運んで来ると、田町と相川はソファーから立ち上がって彼女を手伝った。そして、劉は全員のコーヒーを配り終えると真田の隣に座った。

「神崎さん、本日の食事はどうされるんですか?」

「食事の場所はまだ決めていません」

「それじゃあ、何処かに御案内しましょうか」

「いいんですか?」

「ホテルで食事したりすると結構高いですからね、庶民的な店の方がいいでしょう」

「それは願ったり叶ったりです」

 石川が嬉しそうに顔の前で手を合わせる。

「そやな、俺が奢ったるわ」

「えっ、真田さん、本当っすか?」

「ああ、食事やったら安いもんや」

「ご馳っす! 真田さん、飲み放題でもいいっすか!」

「ああ、ええよ、田町さん、食べ飲み放題にしよか」

「マジっすか! ラッキー!」

「こら、こら、調子に乗り過ぎだよ!」

「ごめんなさいっす!」

 神崎が叱ると、田町は肩を窄めて謝った。

「いや、大した事ないわ。ここは物価が安いさかいな」

「そうなんですか」

「石川君は上海に駐在してたさかい、中国の物価は分かるよな」

「ええ、食べ飲み放題で、一人当たり千五百円程度ですかね」

「まあ、そんなところやな」

「それは、安いですね、飲助の田町さんにピッタリの街じゃないですか」

「誰が飲助ですって? 深淵さん!」

「あっ、つい本音が……うっ!」

 深淵が大げさに両手で口を塞ぐと、田町は彼の腹を人差し指でぐりぐりと突いた。

「あはは、田町さんは面白いな、ええキャラや、気に入ったわ」

 真田は田町の仕草が面白いので腹を抱えてゲラゲラと笑った。

(あちゃ……また今晩も田町の病気が出そうだな……)

 神崎と石川は目を合わせて同時に頭を抱えた。

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