第二章 電子新聞
石川がIPLSIの電極接合試作品をポッティングして、UV光照射装置のスイッチを入れると、サンプルが完成した。
※IPLSIはインテリジェントパワーLSIの略。
※ポッティングは液状樹脂でチップを保護する半導体の封止工法。
※UVは紫外線の事。紫外線で樹脂を化学反応させる。
「よし、完成だ! 遂に出来たぞ、真田オリジナルだ!」
石川が出来上がったサンプルを眺めて満足そうに頷く。
そのサンプルはフィルムの様な基材の片隅に封止されていて、透明な樹脂の中には五ミリ片のブラックチップが接合されている。
石川はサンプルを持ってクリーンルームを出ると、技術事務所のキーボックスにセキュリティカードをかざした。
照合サインがグリーンに点灯して自動ドアが開く。
「真田さん! サンプルが出来ましたよ!」
「おっ、石川君! 遂にサンプルが出来たか!」
石川が真田にサンプルを見せると、彼は興奮気味にそのサンプルを眺めた。
「よし、ミーティングルームでサンプルを動作させてみよか!」
「はい、そうしましょう!」
「あっ、そうや、劉さんも来てくれ」
真田が振り向いて来客用のデスクに座っている劉を呼ぶと、彼女は椅子から立ち上がってミーティングルームの中に入った。
「えっ、誰ですか?」
石川が劉の顔をチラッと見る。
「ああ、紹介を忘れていたな、劉麗華や」
「劉さん? 中国人ですか?」
「彼女は技術通訳や、会議の為に俺が中国から呼んだんや」
「上海CMD有限公司の劉麗華です。よろしくお願いします」
「私は新光技術工業社の石川です。よろしくお願いします」
「新光技術工業社……CMD社の社員じゃないのですか?」
劉が不思議そうに石川の顔を見る。
「石川君は半導体組立工法の開発支援者や」
「開発支援者?」
「新光技術工業社とCMD社は技術提携を結んでいるんや、新光の技術者には優秀な人材が多いさかいな」
「そうですか、石川さん、中国にも技術支援して下さいね」
劉が石川の手を取って握手をする。
「はっ、はい」
「ははは、石川君、ちょっと顔が赤いな」
真田が石川を冷やかすと、彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「よし、それじゃあ、サンプルの動作実験をしてみよか!」
「ボス、質問が一件あります。このサンプルは何ですか?」
「このサンプルは電子新聞の試作サンプルや」
「電子新聞?」
「折り曲げが可能な新しい表示パネルや」
「えっ、折り曲げても映るんですか?」
「そうや、ガラス液晶やPDPと違って、とても柔らかい素材で作った表示パネルで、厚みは〇・〇五ミリや」
「〇・〇五ミリですって!」
劉がサンプル素材の薄さに驚く。
「本当はもっと薄く作れるんやけどな、試作品やから表面の保護膜をちょっと厚めにしてあるんや」
「有機ELパネルって言うんですよ、とても薄いけれどフルカラーの発光表示が可能なんです」
石川が真田の説明を補足する。
「これはCMD社が開発したのですか?」
「いや、この商品はOSLED社と言う日本のメーカーが開発したんや」
「OSLED社? じゃあ、なぜ、CMD社でサンプル試作をしているの?」
「我々は有機ELパネルの駆動回路と電源供給回路を開発しているんや、これが無いと有機ELパネルは動かんさかいな」
真田がサンプルの右下にある小さなチップを指差すと、劉は感嘆してチップを見つめた。
真田がズボンのポケットからスマートフォンを取り出して二人に見せる。
「このスマートフォンには、IPLSIを駆動させる為の基本ソフトウエアと、電子新聞のデモデーターが入っているんや、石川君、そのサンプルをここに置いてくれ」
「はい」
石川がサンプルを机の上にそっと置くと、真田はサンプルにスマートフォンを近づけた。
「最初はIPLSIに基本ソフトウエアを非接触でインストールさせるさかい三分程掛かるが、電子新聞のデモデーター転送とマイクロ波電力送信は短時間で終わる。約十秒でサンプルに情報送信と電力供給が出来るんや」
真田は二人にそう説明すると、スマートフォンを操作して基本ソフトウエアのインストール作業を始めた。
しばらくすると、A4サイズの電子新聞にOSLED社のロゴが表示された。
「よし、これで基本ソフトウエアのインストールは完了や、デモデーターを転送してニュースを表示させるぞ!」
デモデーターの送信が始まると、電子新聞は色鮮やかなニュース画像を映し出した。
「よっしゃあ、成功や!」
「うわっ、これ、綺麗だわ!」
「石川君、電子新聞を広げてくれ!」
「はい、真田さん!」
「えっ、広げるって?」
「劉さん、新聞だから広げるんですよ!」
石川は少し悪戯な視線で劉を見上げると、サンプルの端を掴んで電子新聞を広げた。すると電子新聞は本物の紙の様に普通の新聞サイズに広がった。
「凄いわ、これが電子新聞なのね! しかも、なんて綺麗なのかしら!」
三人はCMD社の小さなミーティングルームで、新しい時代の幕開けを感じた。