第二十八章 セキュリティホール
――午前一時。
蘇州OSLED有限公司E棟一階品質管理部信頼性評価試験室。
「真理ちゃん、プリンターの調子は大丈夫かい?」
「神崎さん大丈夫です。テストプリントの結果は問題無しです」
相川がプリンターのロール紙に印字された文字を確認しながら神崎に答える。
「しかし、このプリンターは旧式っすよね、石川ちゃん、本当にインク出るの?」
「田町さん、これは熱衝撃試験装置に付属している旧式のサーマルプリンターだからインクは出ませんよ」
「えっ、インク出ないの?」
「ええ、出ません」
「じゃあ、何で記録出来るんっすか?」
「感熱紙だから、サーマルヘッドで熱をかけた部分だけが黒くなるんですよ」
「へぇー、そんな紙があるんだ」
田町が感心して感熱紙のロールを眺める。
「田町は感熱紙を知らないのか?」
「知らねー」
田町は振り向いて神崎の顔を眺めた。
「真田さん、我々は旧世代の人間ですね」
「ほんまやなー、世代の差を感じるで」
「我々が学生の頃は、サーマルプリンターが主流でしたからね」
「そやな、記録媒体もフロッピーディスクやったしな」
真田と神崎が顔を見合わせて笑う。
「今時、なぜ、旧式サーマルプリンターなんっすかね? 深淵さん」
「田町さん、通信ログは滝の様に流れるから、ロール紙で確認する方が楽なんですよ」
深淵がPCの裏側でネットワークの配線工事をしながら田町に答える。
「マジっすか」
「マジですよ」
「ほんとは深淵さんの趣味だったりして……」
「ドキッ!」
田町が流し目で深淵の顔をチラ見すると、彼は胸に手を当てて田町の顔を見上げた。
信頼性評価試験室は部屋全体が分厚いステンレス板で電磁シールドされていて、PHSや携帯電話の電波が届かない構造になっている。この部屋の通信回線は有線で外部と連絡が取れるのは据付の固定電話だけだ。結城は盗聴の危険性も考慮して信頼性評価試験室に監視用のPCを設置した。この部屋には、結城、真田、劉、新光のメンバー、情報システム部のメンバーが集まっている。
――午前一時三十分。
情報システム部のメンバーが、監視用のPCで社内ネットワークの監視を始めた。
「神崎さん、今晩、ハッカーは来ますか?」
「劉さん、確実に来ると思いますよ、先程、極秘の技術レポートをサーバーに登録しましたからね」
神崎はPCのモニター画面から目を離して劉に答えた。
「ははは、超極秘の嘘技術レポートですけどね」
石川が笑いながら劉に話し掛ける。
「えっ、石川さん、嘘の技術レポートをサーバーに登録したんですか?」
「ええ、しかも、大容量の嘘技術レポートです」
「じゃあ、ハッカーが技術レポートをコピーするのに時間が掛かりますね」
「そこが狙いですよ」
「なるほど、さすが石川さん、頭がいいですね」
「いえ、いえ、大した事無いです。嘘技術レポートを書くのがちょっと大変でしたけどね」
石川は右手を左右に小さく振って劉に答えた。
――午前二時。
監視用のPCのモニター画面が白黒点滅してスピーカーからピィピィと派手なビープ音が鳴ると、旧式サーマルプリンターがガタガタと振動しながら慌ただしく印刷を始めた。
「来た!」
「来了来了!」
※来た来た!
信頼性評価試験室の中でみんなが声を上げる。
「ハッカーは一般社員コードXXXXでネットワークに侵入中、PCのセキュリティ管理ナンバーはOSLED#108、現在、サーバーからEMSと言うソフトを起動しています」
※EMSはエネルギー管理システムの事。(Energy Management System)
相川はサーマルプリンターから打ち出される感熱紙を両手で持って、リアルタイムで通信ログの解析を始めた。
「情報システム部! PCナンバーOSLED#108の設置場所は何処だ!」
「信息系統部! PC号碼OSLED#108設置位置在何処!」
※情報システム部! PCナンバーOSLED#108の設置場所は何処だ!
結城の質問を劉が中国語で情報システム部に伝えると、情報システム部のメンバーは大型のELパネルに工場のレイアウト図を表示して、ハッカーが使用しているPCの設置場所を探した。
「這箇! E棟四廊空調設備保養室!」
※これだ! E棟四階空調設備メンテナンス室だ!
「結城さん! E棟四階空調設備メンテナンス室です!」
情報システム部のメンバーがPCの設置場所を見つけると、劉は日本語で結城にPCの設置場所を教えた。
「ハッカーはシステムの保護領域に侵入して、システムの一部を書き換えました! 認証に成功してスーパーユーザーの権限でプログラムを実行中! このOSにはセキュリティホールがあります!」
※セキュリティホールとはコンピューターソフトウェアの欠陥の事。(Security hole)
相川が感熱紙を睨みながら通信ログの解析を続ける。
「神崎さん! ハッカーはサーバー#030をネットワークに接続しました」
「よし、深淵さん! サーバー#030のネットワーク接続ポートを探しますよ!」
「了解です! 情報システム部、逆探知システム作動!」
「信息系統部! 追査系統的工作!」
※情報システム部! 逆探知システム作動!
「明白!」
※了解!
深淵の指示を劉が中国語で情報システム部に伝えると、彼等は監視用PCの逆探知システムを動作させてネットワーク接続ポートを探した。PCのモニター画面に表示されたネットワーク配線系統図の一部が赤色に点滅している。
「公司内部線路器号碼#596号連接確認了。分岐線路E棟四廊南側連接」
※社内配線器ナンバー#596番に接続を確認しました。分岐配線はE棟四階南側に接続されています。
「社内ルーターナンバー#596番に接続を確認しました。ハブ配線はE棟四階南側に接続されています」
「よっしゃ、分かった! サーバー#030もE棟四階や! ハッカーを現行犯逮捕しに行くで!」
情報システム部のメンバーがサーバーの接続ポートを確認すると、真田は両手の拳を握って気合を入れた。