第二十三章 産業用KAKUREMINO
――一週間後。
蘇州OSLED有限公司の小さな実験室で、産業用カクレミノの組立実験が始まった。
神崎と石川がテーブルシートタイプのELパネルに表示された技術資料を見ている。
「石川君、今日は接合条件を少し変えるからね。このサンプルは補強ランドが入っているから、電極の熱抵抗が部分的に変化するはずだ」
「そうですね、ここは変則的な接合パラメーターになるから……」
神崎の指示に従って、石川が接合条件表を確認しながら接合接着機のリモコン式操作パネルで設備のプロセスパラメーターを変更する。
※パラメーターは数値の事。
「深淵さん、設備の方はどうですか?」
「神崎さん、あと十五分だけ時間を下さい。三波長レーザーの電源調整をしますから」
「分かりました」
神崎は部屋の壁時計で時間を確認すると、クリーンウエアのサイドポケットからPHSを取り出して結城に電話を掛けた。
「もしもし、結城さん、神崎です。もう直ぐ試作の準備が整います」
「分かった、それじゃあ、真田さんと同伴して試作に立会うよ」
「二十分後に有機ICの接合試作をスタートします」
「了解」
神崎は電話を切るとPHSをサイドポケットに戻して、作業テーブルの隅に置いてある高精度ディスペンサの樹脂バレルに視線を向けた。
※ディスペンサは液体定量吐出装置の事。液体を精度良く定量供給する装置。
※バレルは溶剤を入れる為の容器。
「これ、行けますかね?」
「確実に行けると思うよ」
石川が樹脂バレルを手に取って尋ねると、神崎は右手の親指を立てて彼に答えた。
――二十分後。
実験室のドアが開いて、結城と真田が部屋の中に入って来た。
「どや、神崎? 行けそうか?」
「ええ、今度は確実に行けると思います」
「そうか、それは楽しみやな。深淵さん、頑張ってや」
「はい」
真田が深淵の肩をポンと軽く叩いて励ます。
――しばらくして、接合接着機の設備調整が終わった。
「神崎さん、設備の調整が終わりました」
「OK、それじゃあ、本番用の組立材料を設備にセットしよう」
「了解です!」
深淵が組立材料を設備にセットする。
「準備完了!」
「よし、始めるか! 石川君、試作スタート!」
「了解です! 産業用カクレミノの試作をスタートします!」
石川が操作パネルのスイッチを押すと、接合接着機はヒュィーンと軽いモーター音を響かせて動き始めた。そしてローダー側からロールが巻き取られて、接合ステージにELパネルが投入されると、みんなは、装置の中を一斉に覗き込んだ。
装置の前面パネルは、安全装置をロック解除して開けてあるので、装置の中の状態がよく分かる。
「有機ICピックアップ、電極認識動作開始、導電性樹脂塗布スタンバイ」
ELパネルが接合ステージにセットされると、石川は試作の実況を始めた。
「あれっ、神崎、導電性樹脂材料のタイプも変えたのか?」
「ええ、変えました。紫外線硬化型導電性樹脂です」
「ナノ粒子金属パウダーを使ったな」
「そうです。導電材料は二酸化チタンを採用しました」
神崎が石川の後ろで装置の中を覗きながら真田に答える。
「有機ICボンディング開始。低出力レーザー照射、電極位置補正完了。高出力レーザー照射、樹脂変性。UVレーザー照射、第一電極接合完了。第二電極接合開始。――etc――」
石川が試作の実況を続ける。
「あれっ、深淵さん、レーザーも変えたの?」
「変えましたよ。電極接合樹脂が熱接合タイプからUV接合タイプに変わりましたからね。レーザーユニットを三波長マルチレーザーに変更して、低出力、高出力、UV照射の一括処理が出来る様に変更しました」
「なるほど、三波長マルチレーザーなら連続処理も可能ですね」
「連続処理も出来ますし、装置が小型ですから、少スペースで設備に取り付けられるんですよ」
「それは、いいですね」
結城は装置を覗きながら目を輝かせて深淵と話した。
――三十分後。
有機ICの接合処理が完了して、装置のアンローダーにELパネルのロールが巻き取られた。
「有機IC接合完了!」
石川が右手を上げて深淵に合図を出すと、深淵は接合接着機のアンローダーカバーを開けて試作ロールを取り出した。
「神崎さん、裁断しますか?」
「ああ、一気に裁断しよう」
「分かりました」
深淵がELパネルのロールをレーザー裁断機にセットすると、石川は産業用カクレミノの設計寸法図を見て、操作パネルの裁断プログラムをチェックした。
「ELパネルの裁断をスタートします」
石川が設備のスタートスイッチを押すと、レーザー裁断機がチチチッと裁断音を響かせて、ELパネルの裁断を始めた。そして、ロールから四十八枚のELパネルが約五分で寸法通りに裁断加工された。
「よし! 出来たぞ!」
石川がレーザー裁断機から産業用カクレミノのELパネルを取り出して、作業テーブルの上に置くと、みんなは、作業テーブルの周りに集まって試作パネルを眺めた。
「石川君、光学顕微鏡で電極接合の状態を簡易観察してくれるかい? パネル一枚でいいからさ」
「はい、結城さん」
石川はELパネルを一枚拾い上げて、光学顕微鏡で電極接合部の観察を始めた。そして、観察が終わると、光学顕微鏡のシャッターを切り替えて電極接合部の拡大画像をモニター画面に映し出した。
「問題無し!」
「よっしゃー、完璧や!」
石川が振り向いてみんなに電極接合部の観察結果を報告すると、真田は嬉しそうに右手の拳を突き上げて喜んだ。
「結城さん、パネルを全数検査しますか?」
「いや、この状態なら大丈夫だろう。それより先に動作確認をしたいんだ」
「えっ、動作するんですか? これはTEGじゃないの?」
「ああ、これはTEGじゃない」
結城が裁断されたサンプルを手に持って石川に答える。
「この有機ICのサンプルは基本設計が完了しているさかい、物理動作が可能なんや」
真田が作業テーブルからELパネルを一枚拾い上げて、有機ICにスマートフォンを近づけると、しばらくして、ELパネルの中央部にOSLEDのロゴが表示された。
「よっしゃ、動作成功や!」
真田が別のパネルに次々とスマートフォンを近づける。
「最後の一枚や、石川君、そのELパネルを取ってくれるか」
石川が光学顕微鏡の上に乗っているELパネルを真田に渡すと、彼は最後のパネルにスマートフォンを近づけた。
「よし、準備完了や」
「真田さん、組立ましょう」
結城は材料保管庫を開けて、中から両面テープとハサミを取り出した。
「えっ、それ、何ですか?」
「両面テープとハサミだよ」
結城はニコッと笑って、石川に両面テープを渡した。
「はぁ? これで何をするんですか?」
「それは、これから説明します」
石川が両面テープの使用用途を結城に尋ねると、彼はELパネルを一枚拾い上げて、石川の目の前に差し出した。
「まず、ELパネルの四隅にある番号を見て下さい」
みんなは結城が持っているELパネルの四隅を見つめた。
「表示番号が印刷してありますよね」
「ああ、ありますね。《A4》とか、《C1》とか、アルファベットと数字が印刷してありますよ」
石川は表示番号を確認して結城に答えた。
「この表示番号を目印にしてELパネルを両面テープで貼り合わせて欲しいんです。こんなふうに」
結城がELパネルのコーナー部分を両面テープで貼り合わせてみんなに見せる。
「なるほど、パネルのコーナー部分を張り合わせるわけか」
「そう、表示番号を間違えない様にね」
結城の説明が終わると、みんなは両面テープでELパネルを貼り合わせ始めた。
――しばらくして、ELパネルの貼り合わせが完了すると、結城は光学迷彩服を手に取ってみんなにそれを見せた。
「出来た! 世界初! 光学迷彩服の完成だ!」
「石川君、実験や! ちょっと、この服を着てくれ!」
真田の指示で石川が両面テープで貼り合わせた光学迷彩服を頭から被って試着する。
「真田さん、この服は前が見えません!」
「あはは、そりゃそやな、結城、これ前見えるんか?」
石川が真田に話し掛けると、彼はゲラゲラと笑いながら結城に尋ねた。
「真田さん、見えますよ。この光学迷彩服は表裏面に撮像パネルとELパネルが形成されていますからね。表面の画像を裏面に映す事が出来ます。石川君、それじゃあ、テストをするからね。左手首のELパネルにタッチセンサーがあるから、そのタッチセンサーを右手で押してくれるかい」
「分かりました。わっ、見えました! 結城さん凄いです! 光学迷彩服の中がフルスクリーンに変わりました!」
「あっ! 消えた!」
石川がELパネルのタッチセンサーを押して光学迷彩服の中から驚きの声を上げると、みんなも一斉に驚きの声を上げた。
「えっ? どうかしましたか?」
石川は光学迷彩服の内部スクリーンで、みんなの姿を見回した。