第十章 商業街
――午後六時四十五分。
みんなはチェックインが終わると、各自の部屋に荷物を置いてホテルのロビーに集合した。
ホテルの一階にはラウンジや中規模のレストランがあり、ロビーは天井も高く広々としていて開放感に溢れている。
神崎と石川はフロントの前に立って、為替レートのボードを眺めた。
「神崎さん、為替レートは十三・〇五だから一万円で七百六十六元です」
「石川君、これって換金率はいい方かい?」
「ええ、換金率はいい方ですよ、円高ですからね」
(そうなのか、俺はその辺が良く分からないんだよな……)
神崎が石川の顔を眺めて頭を掻く。
「為替レートは毎日変わりますから円レートを考慮して換金した方が得ですよ。一万円換金したら七百円位違う日がありますからね」
「七百円か、それは大きいな、昼食代が払えるね」
「十万円換金したら七千円も違うわけですからね。我々みたいな安月給のサラリーマンにしてみれば七千円は大きいですよ」
(石川君は経済観念がしっかりしているし、ここは俺も見習わないと駄目だな……)
神崎は為替レートのボードをしばらく眺めた。
「あの、すみません」
神崎がフロントの奥にいる劉麗姫を呼ぶ。
「はい、何でしょうか?」
「両替をお願いします」
神崎が五万円を渡すと、彼女は為替レートを確認して手元の電卓を叩いた。
「三千八百三十元ですがよろしいですか?」
「はい、それで結構です」
神崎が返事をすると、彼女は伝票に両替金額を書き込んだ。
「ここにサインをお願いします」
伝票にサインをすると、神崎の手元に三千八百三十元と両替証明書が渡された。
「ありがとう」
神崎が礼を言うと、彼女は一礼してフロントの奥に戻って行った。
「彼女ね、劉麗華さんの妹だよ」
「えっ、それ本当ですか?」
「ああ、本当さ」
「そう言えば、誰かに似ていると思っていたんですよ。彼女は美人ですよね」
「そうだね、美人だね」
「でも、なぜ、知っているんですか?」
「チェックインした時に教えてもらったんだよ」
「えー、いいな、神崎さん」
二人はフロントの奥にいる彼女の姿を眺めた。
「神崎さん、ご馳っす」
田町が二人の背後から札束を覗き込んで、神崎の肩を両手で軽く揉む。
「えっ?」
「一次会は真田さんの奢りで、二次会は神崎さんの奢りっすよね!」
「こらっ! 田町!」
「へへぇー」
田町が舌を少し出して、小走りで相川の方へ走って逃げる。
「――ったく、飲み会じゃないからな」
「田町さんの飲食代を毎日払っていたら、神崎さんの出張費が無くなりますよ」
「そうだよな、夜は石川君に任せようか」
「なっ、何を言ってるんですか、勘弁して下さいよ」
「ははは、冗談だよ」
神崎は笑いながら石川の肩をポンポンと叩いた。
――午後七時。
ホテルの正面玄関に劉麗華の姿が見える。
ドアボーイが正面玄関のガラスドアを開けると、彼女はホテルの中に入って来た。
「神崎さん、お迎えに来ました」
「劉さん、ご苦労様です」
「車を用意しましたので乗って下さい」
劉がホテルの外に止めてある車を指差す。
神崎がホテルの正面玄関に目をやると、白いワゴン車の後部座席に真田の姿が見えた。
「神崎さん、私、ちょっとフロントに寄ってきます」
劉はフロントに向かうと、劉麗姫と少し会話をして直ぐに戻って来た。
「それじゃ、行きましょうか」
ホテルの正面玄関を出ると、みんなは車に乗り込んだ。
「請去商業街」
※商業街までお願いします。
「知道了」
※分かりました。
劉が運転手に声を掛けると、運転手は車を静かに発進させて市街道を走り始めた。
「忙しいのに初日からお世話になってすみません」
「いやいや、俺も息抜きが必要やし、丁度ええわ」
神崎が礼を言うと、真田は右手を小さく振って答えた。
車が走り始めて五分程経つと、蘇州の街は随分と薄暗くなって、市街道沿いの建物は広告用の派手なネオンを点灯させた。
「ネオンがピカピカと光って綺麗ですね。田町先輩」
「そうね、お嬢、照明が随分と派手よね、ビルの広告塔とか、とても明るくて綺麗よね」
二人が市街の風景を眺めながら会話をする。
「あっ、大きな広告塔があるわ! 広告に《佳能》って書いてあるけど、あれは何て読むのかしら?」
相川がビルの屋上に設置された大きな広告塔を指差す。
「相川さん、あれはキャノンって書いてあるんですよ」
「あれで、キャノンって読むの?」
「中国語は外来語を当て字表記するから、漢字を音読すれば外来語の意味が推定出来るんですよ。例えばあの《可口可楽》はコカコーラですね」
石川が別のビルに設置された広告塔を指差して相川に外来語の読み方を教える。
「へぇー、そうなんだ、面白いわね。さすが石川さんね」
「いえ、いえ」
相川が感心して石川を褒めると、彼は右手を小さく振って相川に答えた。
車は市街道を十分程走ると、高層ホテルの手前の交差点でハンドルを左に切って商業街に入った。