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第九章 ホテル

 ――午後五時。

 劉が社門の前でタクシーに合図を出して運転手を呼ぶ。

「辛苦了」

 ※ご苦労様です。

「請去酒店」

 ※ホテルまで行って下さい。

「知道了」

 ※分かりました。

 タクシーの運転手は右手を軽く上げて劉に答えた。

「それじゃあ、神崎さん、後で迎えに行きますから、午後七時にホテル一階のロビーで待っていて下さい」

「了解です。午後七時にホテル一階のロビーですね」

 神崎がタクシーに乗り込むと、運転手は静かに車を発進させた。


 タクシーが走り出して少し経つと、窓の外に蘇州工業区の大工場群が見えてきた。それぞれの工場の周辺にはCMD社と同じように大きな敷地があって、工場棟の屋根に大きなディスプレイが掲げてある。ディスプレイには世界中の超一流ブランド名が表示されている。

「石川君、蘇州工業区は壮大なスケールだね」

 神崎が工業区の風景を眺めながら石川に話し掛ける。

「私が上海に駐在していた時、蘇州に出張で来た事があるんですけど、その時より工業区が随分と拡張されていますね」

「どうしてこんなに大きな工業区が出来たんだろうね」

「蘇州工業区は一九九四年に中国とシンガポールがプロジェクトを組んで、共同開発区を作ったんですよ、国際競争力のあるハイテク技術や情報技術を持つ企業を誘致して、町全体を革新的なニュータウンに造り上げたんです。現在、この地区は製造業の高度化、サービス業倍増、科学技術の加速、環境整備の四大計画を推進して、中国経済発展の重要な拠点になりつつあります」

「さすが、石川君、蘇州に詳しいね」

「いえ、いえ、蘇州の事はそんなに詳しく知りません。うちの会社の出入業者から聞いた話です」

 石川は首を左右に小さく振って神崎に答えた。


 タクシーは工業区を離れると、高速道路のインターチェンジ付近を通り抜けて市街に向かった。

「ねぇ、田町先輩、あれ見て、あの五重の塔みたいの、ほら、ちょっと傾いてない?」

「ほんと、お嬢、ちょっと傾いているわね。石川ちゃん、あれ何っすか?」

「あれは虎丘塔です。中国のピサの斜塔とか言われてるやつですね、蘇州の観光名所の一つです」

「京都の五重の塔みたいっすね。お寺っすか」

「虎丘塔は雲岩寺の塔で八角七層のお墓です。大昔に王が父を葬った陵墓で、虎丘の名前の由来には色々と言い伝えがあるそうですよ。蘇州には虎丘の他に寒山寺と言うお寺もあるし、有名な庭園とか古い運河とかも沢山あります。歴史の古い街だから観光名所としても有名ですね」

「へぇー、そうなんだ、知らなかったわ、仕事じゃなくて観光で来れば良かったっすね」

「まあ、仕事の合間の休日を利用すれば観光も出来ますよ」

「そっすね、石川ちゃん、観光ガイド頼むわよ」

「了解です」

 田町は石川の話を聞いて嬉しそうに微笑んだ。


 タクシーが市街の裏道を通り抜けて大通りに出ると、車の数が急に増えて道路が停滞し始めた。

「うわ、こりゃあ、結構な街だな」

「そうね、市街は東京とあまり変わらないんじゃないの」

 深淵と相川が市街の風景を眺めて驚く。

「田町先輩、ほら見て、大型の量販店とか高層ホテルもあるわよ、ここは思ったより都会ですよね」

「お嬢、私も蘇州って田舎かと思っていたけど、ここは結構都会よね」

 みんなは市街の風景を興味深げにしばらく眺めた。


 タクシーが大通りを十分程走ってホテルに到着する。

 運転手がハンドルを切ってホテルの正面玄関で車を止めると、ホテルのポーターがトランクから荷物を降ろし始めた。そして、神崎がタクシーの運転手に支払いを済ませると、みんなは車を降りてホテルに入った。

「歓迎光臨」

 ※いらっしゃいませ。

 ホテルの入り口に立つドアマンがみんなに頭を下げる。

「うわっ、ロビーが結構広いっすね、ホテルのランクは五つ星かしら?」

「田町さん、ホテルのランクは三つ星ですよ」

「えっ、そうなの、石川ちゃん」

「うちの会社の出張費で五つ星のホテルに宿泊したら、出張精算で大赤字になりますからね」

「あっ、そうか、そうりゃそっすよね、ははは」

 ※ホテルのランクは五つ星(★★★★★)が一番良い。三つ星(★★★)は普通。

 石川がフロントスタッフに声を掛ける。

「你好」

 ※こんにちわ。

「歓迎光臨」

 ※いらっしゃいませ。

「你 是不是 能説日語?」

 ※あなた、日本語、話せますか?

「我 不能説日語 我 能説英語 那箇人 能説日語」

 ※私、日本語、話せません。私、英語、話せます。あの人、日本語、話せます。

「知道了」

 ※分かりました。

 一人だけ日本語を話せる女性のフロントスタッフがいる様だ。

「済みません、チェックインの手続きをお願いします」

「はい、どうぞ、パスポートをお願いします」

 石川は右手を上げて彼女を呼ぶと、振り返って神崎に声を掛けた。

「神崎さん、彼女は日本語を話せますから手続きが楽ですよ」

「そうかい、じゃあ彼女に手続きしてもらおうか」

「ええ、その方が無難ですね、まあ、英語が堪能なら誰でもいいですけどね」

 石川がパスポートを渡すと、彼女はPCのモニター画面を確認しながら左手にパスポートを持って、右手でキーボードを叩いた。

 ※PCパソコンはパーソナルコンピューターの事。

 石川はフロントに両肘をついて、彼女の横顔をしばらく見つめた。


 彼女の髪型はポニーテールで、長い黒髪を頭の後ろで束ねている。綺麗に整った清楚な顔立ち、透き通る様に澄んだ美しい肌、何も話さなくても彼女の気品が自然と周囲に漂っている。


(綺麗な人だな……ホテルのランクが三つ星でもフロントスタッフはホテルの顔だから、美男美女を揃えているな……)

 彼女がPCのモニター画面から少し目を離して石川の顔をチラッと見る。

 石川は彼女の仕草にドキッとして少し視線を逸らした。

「石川様はルームナンバー六六四号室です。少々お待ち下さい」

 彼女はパスポートのコピーを取り終えると、キーボックスからルームキーを取り出して、パスポートと一緒に石川に手渡した。

「あ、ありがとう」

 石川が少し照れながら彼女からパスポートとルームキーを受け取る。

 四人の手続きが終って、最後に神崎がチェックインの手続きを始めた。

「パスポートをお願いします」

 彼女はみんなと同じ様に左手にパスポートを持って、右手でキーボードを叩いた。

(綺麗な人だな……)

 石川と同様に神崎もフロントに両肘をついて、彼女の横顔をしばらく見つめた。

 ふと、彼女の名札に目をやると《劉麗姫》と書いてあった。

(劉麗姫か……CMD社の劉麗華さんと同じ名字だな……)

 彼女がPCのモニター画面から目を離して、神崎の顔をチラッと見る。

 神崎も彼女の仕草にドキっとして、少し視線を逸らした。

 視線を戻すと、彼女はチラッとではなく磁力的な視線で神崎の顔を見つめていた。

「あ、あの、何か不具合でもありましたか?」

「いえ」

(俺、何か、やばいのかな……)

 彼女が前を向いて、またPCのキーを叩き始めると、神崎は少し不安になった。

「神崎さん、いつも姉が御世話になっています」

「はっ? 何ですか?」

「劉麗華ですよ」

 彼女が手を止めて振り向く。

「もしかして、劉麗華さんの妹さんですか?」

「そうです、妹の劉麗姫です」

 彼女は神崎にそう答えると、優しく微笑んで神崎にパスポートとルームキーを手渡した。

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