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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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ごくありふれた、常盤の樹

掲載日:2026/07/14

とある地方ではありふれた生垣が、他所から来た人間には奇妙に見えるという話

 伯父の葬儀は、辻村つじむら洋治ようじにとって何もかもが借り物めいていた。

 岩手から新幹線を乗り継いで着いた関東の町は、十月だというのに未だ生ぬるく、喪服の内側がじっとりと湿る。焼香の列に並びながら親族の顔を盗み見ても、名前と結びつくものは一つもない。従兄弟だと紹介された男とも、幼い頃に一度会ったきりだ。

 誰かが肩を叩き、親しげに名を呼び、そのたびに洋治は曖昧に頭を下げ続ける。他所から来た人間の居場所は、この家のどこにもない。わざわざ会社を休んでまで参列した意義がわからなかった。


 伯父宅の門をくぐった時、庭を囲う生垣が目に入った。

 赤い。

 鮮烈な紅色の花弁が、数え切れないほど絡み合い、垣根の表面でひしめいている。風もないのに、その細い先端は微かにうごめいた。無数の血管、あるいは千切れた触手が、隙間なくり合わさる。近づくにつれて甘ったるい匂いが鼻腔に忍び寄る。まるで腐りかけの果実だ、と感じて洋治は目を逸らした。理由はわからないが、長くは見ていられなかった。



***



 通夜の合間、洋治は縁側で従兄弟に声をかけた。


「あの生垣……ちょっと、気持ち悪くないですか」


 従兄弟は缶ビールを片手に振り返り、心底不思議そうな顔をする。


「え、別に普通だけど」

「なんて名前の木ですか」

「トキワマンサクだよ。綺麗じゃん、真っ赤でさ」


 綺麗、という言葉が、どうしても洋治の中で上手く像を結ばない。『常盤ときわ』に『万作まんさく』。それらの字面が紡ぐ御目出度おめでたい印象ともかけ離れている。

 台所にいた伯母にも尋ねてみたが、返ってきたのは同じ種類の顔だった。うちの自慢なのよ、と伯母は目尻を下げて笑う。よく手入れされてるでしょう、と。

 誰も、あの生垣を厭わない。

 浮いているのは自分だけなのだと、洋治は悟った。喪服の窮屈さと、覚えられない親族の名が、重たく上乗せされていく。この土地では自分の感覚の方が場違いだと思い知らされ、溜息を吐いた。


 夜風を浴びに庭に降り、なんとなく生垣を辿って歩く。

 すると一箇所だけ、垣根が不自然に歪んでいる場所があった。押し広げられたように枝がねじれ、赤い花弁が擦り切れて地面に散っている。まるで、誰かが強引に乗り越えた跡のようだった。

 歪みの向こうへ、洋治は顔を寄せる。

 隙間からは、隣の庭が見えた。そこもまた、同じ赤い生垣に囲まれている。その奥にも、さらに奥にも。同じ庭が、同じ垣根が、視界の続く限り幾つも連なる。

 どの庭にも、喪服の人影が立っていた。

 一人ずつ、動かずに。こちらへ顔を向けるでもなく、ただ生垣の中で立ち尽くす。洋治は目を凝らした。

 人の顔に、赤い花弁が張りついている。

 ――いや、張りついているのではなかった。

 花弁は皮膚から生えていた。頬から、目の縁から、細い赤い糸が幾筋も飛び出る。顔面と垣根の輪郭が溶け合い、区別がつかなくなっている。


 喉が鳴った。

 悲鳴を上げかけた刹那。


「何見てんの」


 背後で従兄弟の声がした。

 震えながら振り返り、生垣を指差す。


「あそこ、あそこに人が……っ」


 洋治はか細い声で繰り返した。

 従兄弟は生垣を覗き込むと、怪訝そうに眉を寄せた。


「木しかないけど。……大丈夫? 疲れてるんじゃない」


 洋治はもう一度、裂け目へ視線を戻した。

 ただの生垣だった。連なる庭も、佇む人影も、溶け崩れた顔も、どこにもない。赤い花弁が、風もないのに微かに揺れるだけ。

 甘ったるい匂いは、まだ鼻の奥にべったりと残っているのに……。



***



 葬儀から何日経ったのか、上手く思い出せない。

 岩手の自宅の庭には、いつの間にかトキワマンサクの生垣が一列に並んでいた。


「綺麗でしょう」


 妻がガラス越しに庭を眺めて話す。近所でも最近よく見るのよ、と。

 洋治は縁側から垣根を視界に入れた。細い花弁が絡み合い、赤く燃える。甘い匂いが、窓の隙間からゆるりと流れ込む。

 気持ち悪い、とは思わなかった。

 素直に美しいと感じた。


 いつだったか、遠い町で、生垣の向こうに何かを見た気がする。

 何を、見たのだったか。

 思い出そうとしても、密集する赤い花弁が記憶の先を遮るばかりで――。


 妻がもう一度「綺麗でしょう」と微笑む。

 洋治は、頷いた。


「うん。……普通の木だよ」

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