ごくありふれた、常盤の樹
とある地方ではありふれた生垣が、他所から来た人間には奇妙に見えるという話
伯父の葬儀は、辻村洋治にとって何もかもが借り物めいていた。
岩手から新幹線を乗り継いで着いた関東の町は、十月だというのに未だ生ぬるく、喪服の内側がじっとりと湿る。焼香の列に並びながら親族の顔を盗み見ても、名前と結びつくものは一つもない。従兄弟だと紹介された男とも、幼い頃に一度会ったきりだ。
誰かが肩を叩き、親しげに名を呼び、そのたびに洋治は曖昧に頭を下げ続ける。他所から来た人間の居場所は、この家のどこにもない。わざわざ会社を休んでまで参列した意義がわからなかった。
伯父宅の門をくぐった時、庭を囲う生垣が目に入った。
赤い。
鮮烈な紅色の花弁が、数え切れないほど絡み合い、垣根の表面で犇めいている。風もないのに、その細い先端は微かに蠢いた。無数の血管、あるいは千切れた触手が、隙間なく撚り合わさる。近づくにつれて甘ったるい匂いが鼻腔に忍び寄る。まるで腐りかけの果実だ、と感じて洋治は目を逸らした。理由はわからないが、長くは見ていられなかった。
***
通夜の合間、洋治は縁側で従兄弟に声をかけた。
「あの生垣……ちょっと、気持ち悪くないですか」
従兄弟は缶ビールを片手に振り返り、心底不思議そうな顔をする。
「え、別に普通だけど」
「なんて名前の木ですか」
「トキワマンサクだよ。綺麗じゃん、真っ赤でさ」
綺麗、という言葉が、どうしても洋治の中で上手く像を結ばない。『常盤』に『万作』。それらの字面が紡ぐ御目出度い印象ともかけ離れている。
台所にいた伯母にも尋ねてみたが、返ってきたのは同じ種類の顔だった。うちの自慢なのよ、と伯母は目尻を下げて笑う。よく手入れされてるでしょう、と。
誰も、あの生垣を厭わない。
浮いているのは自分だけなのだと、洋治は悟った。喪服の窮屈さと、覚えられない親族の名が、重たく上乗せされていく。この土地では自分の感覚の方が場違いだと思い知らされ、溜息を吐いた。
夜風を浴びに庭に降り、なんとなく生垣を辿って歩く。
すると一箇所だけ、垣根が不自然に歪んでいる場所があった。押し広げられたように枝がねじれ、赤い花弁が擦り切れて地面に散っている。まるで、誰かが強引に乗り越えた跡のようだった。
歪みの向こうへ、洋治は顔を寄せる。
隙間からは、隣の庭が見えた。そこもまた、同じ赤い生垣に囲まれている。その奥にも、さらに奥にも。同じ庭が、同じ垣根が、視界の続く限り幾つも連なる。
どの庭にも、喪服の人影が立っていた。
一人ずつ、動かずに。こちらへ顔を向けるでもなく、ただ生垣の中で立ち尽くす。洋治は目を凝らした。
人の顔に、赤い花弁が張りついている。
――いや、張りついているのではなかった。
花弁は皮膚から生えていた。頬から、目の縁から、細い赤い糸が幾筋も飛び出る。顔面と垣根の輪郭が溶け合い、区別がつかなくなっている。
喉が鳴った。
悲鳴を上げかけた刹那。
「何見てんの」
背後で従兄弟の声がした。
震えながら振り返り、生垣を指差す。
「あそこ、あそこに人が……っ」
洋治はか細い声で繰り返した。
従兄弟は生垣を覗き込むと、怪訝そうに眉を寄せた。
「木しかないけど。……大丈夫? 疲れてるんじゃない」
洋治はもう一度、裂け目へ視線を戻した。
ただの生垣だった。連なる庭も、佇む人影も、溶け崩れた顔も、どこにもない。赤い花弁が、風もないのに微かに揺れるだけ。
甘ったるい匂いは、まだ鼻の奥にべったりと残っているのに……。
***
葬儀から何日経ったのか、上手く思い出せない。
岩手の自宅の庭には、いつの間にかトキワマンサクの生垣が一列に並んでいた。
「綺麗でしょう」
妻がガラス越しに庭を眺めて話す。近所でも最近よく見るのよ、と。
洋治は縁側から垣根を視界に入れた。細い花弁が絡み合い、赤く燃える。甘い匂いが、窓の隙間からゆるりと流れ込む。
気持ち悪い、とは思わなかった。
素直に美しいと感じた。
いつだったか、遠い町で、生垣の向こうに何かを見た気がする。
何を、見たのだったか。
思い出そうとしても、密集する赤い花弁が記憶の先を遮るばかりで――。
妻がもう一度「綺麗でしょう」と微笑む。
洋治は、頷いた。
「うん。……普通の木だよ」
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