第9話 船が進まない日
その日は、
特別な朝ではなかった。
風は穏やかで、
川も荒れていない。
空はいつもと同じ色をしていた。
それでも、
船は進まなかった。
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誰かが来なくなったわけではない。
誰かが決まりを破ったわけでもない。
オールが失われたわけでも、
船が壊れたわけでもなかった。
ただ、
進まなかった。
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サルは船を見て言った。
「話し合えば、何か決まるかもしれない」
それは、
これまで何度も聞いた言葉だった。
キツネは、少し離れたところで答えた。
「予定通りだ」
それも、
間違いではなかった。
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ウマはオールの横に立ち、
静かに言った。
「進める状態じゃない」
イヌは、
いつものように確認した。
「確認されていない点は、変わっていません」
昨日と、
何も変わっていなかった。
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船の中では、
カワウソが揺れの少なさに気づいた。
「今日は、あまり揺れないね」
困ってはいなかった。
不満もなかった。
ヒツジは、
少し離れた場所で
それを見ていた。
何も言わなかった。
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小さな鳥が、
船のへりに止まった。
「これって、いつからこうだったの?」
誰も、
はっきりとは答えられなかった。
いつから進まなくなったのか。
どこで止まったのか。
思い出そうとすれば、
昨日も、
その前の日も、
似たような光景だった。
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船が進まない理由は、
ひとつではなかった。
どれも、
その時点では
正しい判断だった。
声も、
沈黙も、
決まりも、
計算も。
すべて、
その場では
納得できるものだった。
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ただ、
それらが積み重なった結果が、
そこにあった。
誰かが選んだわけでもなく、
誰かが失敗したわけでもなく。
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船は、
その日も
川に浮かんでいた。
進んでいないという事実だけを残して。




