第10話 それでも、船はそこにある
船は、
そこにあった。
進んではいない。
けれど、
壊れてもいなかった。
川の流れは変わらず、
水は静かに船底をなぞっていた。
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決まりは残っていた。
計算も、判断も、
声も、沈黙も、
どれひとつ消えてはいなかった。
誰かが間違えたからでもなく、
誰かが怠けたからでもない。
すべては、
そこにあったままだった。
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ウマはオールのそばに立っていた。
「漕げる」
それは、
以前と同じ言葉だった。
イヌは、
船を見て言った。
「確認されていない点は、まだ残っている」
それも、
これまでと変わらなかった。
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サルは、
少し離れたところで考えていた。
「話し合えば、何か決まるかもしれない」
キツネは、
静かに答えた。
「決まらなくても、今は困っていない」
どちらも、
この村では
聞き慣れた言葉だった。
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カワウソは船の中で、
風を感じていた。
快適さは、
まだ残っていた。
ヒツジは、
少し離れた場所で
船を見ていた。
何も言わず、
そこにいた。
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小さな鳥が、
川の上をひとまわりしてから、
船のへりに止まった。
「この船って、
これからどうなるの?」
その問いに、
誰も答えなかった。
答えが分からなかったわけではない。
ただ、
まだ決まっていなかった。
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船は、
まだ使えた。
オールも、
そこにあった。
進むことも、
進まないことも、
どちらも選べる場所に、
船はあった。
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それでも、
船は、
そこにあった。
誰かを待つように。
選ばれる前のまま。
川の流れの中で、
静かに。
あとがき
この物語には、
正しい答えは書かれていません。
誰が悪かったのか、
何をすべきだったのか、
どうすればよかったのか。
そういった問いに、
はっきりした言葉は用意していません。
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この村にいる者たちは、
それぞれの立場で、
それぞれ正しいことをしていました。
声を出す者も、
黙っている者も、
続けていた者も、
計算していた者も。
誰かひとりが欠けていれば、
話はもっと単純だったかもしれません。
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船は、
誰かひとりのものではありませんでした。
だからこそ、
誰かひとりの判断では
動かなくなりました。
それは、
失敗というより、
状態に近いものです。
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もしこの物語を読んで、
どこか見覚えのある風景を思い出したなら、
それは偶然ではありません。
この船は、
特別な場所の話ではないからです。
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それでも、
船は壊れていません。
オールも、
失われてはいません。
進むことができない話ではなく、
進む前の話だからです。
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船がどうなったのかは、
ここには書かれていません。
それは、
読む人それぞれの場所で、
それぞれ違う形をしているからです。
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もし、
あなたのそばにも
似たような船があるなら。
それが今、
進んでいなくても、
そこにあること自体が、
ひとつの事実です。
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それ以上のことは、
この物語は言いません。




