表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吉祥寺  作者: 坂本梧朗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/6

その4

 桂子とのデートが始まった。

 喫茶店で向き合った桂子は私によく質問をした。自分はこう思っているが私はどう思うか、一般に男はどう考えるものか。そんな質問が多かった。子供の頃父親をなくした桂子には身近に接触できる男性がいなかったのだろう。 彼女にとって男は未知の存在であり、それゆえに関心も強かったと思われる。

 桂子が語る考えのおおよそは聞い ていて苦笑させられる稚ないものだ った。彼女は断定的にものを言うタイプだったが、 そのつっばった しゃべり方はいっそう笑いを誘う役割をした。しかし時折りユニークな発言をすることがあり、彼女の一風変った個性を感じさせるのだった。

 桂子の言葉の端々には男に対する性的関心が覗いていた。それは時に私を唖然とさせるほど露骨な表現をとった。私はこの二十代半ばの女が性的欲求に駆られているのを感じた。私がその気になりさえすればこの女は私に抱かれるだろうと思えた。私は気持のどこかでそんな桂子を楽しんでいた。いつでも抱ける女の存在はそれだけで独身の男の心に息抜きに似たゆとりを与えるものだ。

 桂子の顔には吹出物が多かった。膚も乾いた感じで艶がなかった。体は痩せていて、少し前屈みの感じで歩いた。桂子のそんな どこか病的な、女としての豊かさを欠いた感じが、私の欲望にプレーキをかけていたのは確かだった。

 しかし当時はそれをそれほど意識して はいなかった。私はその頃一年あまりつき合っていた女性と別れて間がなかった。いわば私の心の中にはガールフレンドの空席があったのだ。そこへ桂子が入ってきて座ったのだ。さし当って異性の対象を失っていた私の心は、この新しいヒロインを歓迎し、受け入れようとしていた。彼女に難点があったとしても私はそれに目をむけまいとしていた。当時はそれが可能だった。私は一人で桂子のことをあれこれ考え、標準以上のいい女だと結論づけたこともあった。

 桂子と美術館に行ったことがある。何を見たのかは思い出せない。記億しているのは帰りの電車のなかでの私の思いだ。私は傘を膝の間に立て、その柄に両手を置いてシートに座っていた。隣に桂子が座っていて、私は左の上腕に触れる桂子の肉を感 じていた。私は桂子と結婚することを考えていた。いや、それは単に桂子と肉体関係を持つことだったのかも知れない。そうだ、肉体関係を持てば責任上結婚しなければならなくなる。それで私は桂子と結婚することを考えていたのだ。つまり私は桂子を抱きたくなっていた。或いは桂子を抱かなければならない段階に来ていたのだ。

 美術館に行ったのは絵を見るためではなかった。お互 いを見るためだった。ある絵の前で私と桂子は感情の行き違いを起こした。この女はやっばり合わないと私は思った。それから二人は別れて絵を見てまわった。私の方が早く見終えた。私は出入口前のロビーに立っていた。桂子は現われない。私はそのまま帰ろうと思った。出口のガラスドアに向って歩きだした時、桂子の声が聞こえた。ふり向くと、二階から降りてくる階段の中途に桂子が笑顏を見せて立っていた。なぜ笑うのだろうと私は思った。私は桂子を待った。側に来た桂子は並びの悪い前歯を見せながら、絵についての感想を弾んだ調子で話した。ふだんはそんな気配りをしない女が精一杯の愛想を示しているのを私は知った。しゃべり終えると桂子は悲しそうに私の顔を見た。

 私達は美術館の中にあるレストランに入った。

 コーヒーを飲みながら、二人はお互いの気持を忖度していた。桂子が折れてきたことで、二人の関係が一段階進んだ事は確かだった。桂子は私に対して従順になっていた。男と女 の関係になってもいい、なるべきだ、という促しを桂子の目から私は受けた。私もま たそのような気持になっていた。

 電車を降りて、そのまま別れていいのか。ホテルへ誘えば桂子はついてくるだろう。しかし肉体関係を持てば責任をとらなければならない。結婚を考えなければならない。その決意はあるのか。桂子の母親の顔も浮 かんできた。 私は電車のシートの上で、桂子の肉体を上腕部に感じながら迷っていたのだ。

  電車を降りて二人はしばらく歩いた」。やがてバスの停留所まできた。帰るのであれば桂子はそのバス停からバスに乗らなければならなかった。「小倉に出よう」と私は遂に言う ことができなかっ た

「それじゃ、ここで」

 私が言うと、桂子は「あ」と言い、

「う ん、それじゃあね」

 と淋しそうに下を向いた 。

 この時が私と桂子が最も接近していた時だった。                              

 その後間もなく私には新しい恋人ができた。その女には私にプレーキをかけるような点は何もなかった。私はその女に熱中した。桂子は色褪せてしまった。桂子は遠くなった。

 それでも桂子との関係が終ってしまったわけではなかった。桂子から私に時折り電話かあったか ら。

「今日、小倉に出るんだけどー」そう言っ て桂子は沈黙した。私の反応を試しているように思えた。会わなくなって一、二ヶ月になっていた。沈黙に押されるように私は桂子と会うことにして受話器を置いた。

 喫茶店に現れた桂子はみすぼらしかった。容姿も服も、話してみれば話の中味も。新しい恋人に比べれば桂子の欠落は明らかだった。 私はただ彼女を悲しませないために相手をしていた。桂子は「愛のコリーダ」の話をした。愛欲シーンが話題になっている映画で、ヨーロッ バではノーカッ トで上映され、評判を集めていた。今日はそれを私と一緒に観に行こうかと思っていたと桂子は話した。その欲求の鮮烈さが私を打った。しかしもちろん私はそれに応えることができなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ