第5話「白い花と翼のある侯爵」
◆リリアン視点
春の午後、庭園のベンチに腰を下ろしていた。
図書室でも温室でもない場所で、少しだけ風に吹かれたくなった。
詩集を膝に置きながら、ページをめくる指が、どこか落ち着かない。
レオ様の言葉が、まだ胸の奥に残っていた。
“風は言葉に似ている”……
その一節が、何度も頭の中で繰り返される。
「こんにちは、リリアン・ド・ヴァルモン嬢。」
声に顔を上げると、アラン・フィッツ・クラレンス様が立っていた。
手には、一輪の白い花と、薄い紙の束。
彼は、まるで風に乗って現れたようだった。
「この花、温室で咲いていたものです。君に似ていると思って。」
「……え?」
「すみません。変なことを言いましたね。」
まただ。
彼は、言葉の選び方が柔らかくて、少し浮いていて、でも嫌じゃない。
むしろ、心の奥がふわりと浮くような気がする。
「詩を、少しだけ書いてみたんです。君が読んでいた詩集に触発されて。」
「……私の?」
「図書室で、君が読んでいた姿を見て。その空気が、詩になりそうだったから。」
私は、何も言えなかった。
ただ、彼が差し出した紙を受け取ると、そこには短い詩が綴られていた。
> “君の静けさに、翼が生える。”
> “風が通り抜けるたび、心が少しだけ軽くなる。”
その言葉が、胸の奥にすっと入り込んだ。
誰かの筆跡。誰かの想い。
「……この詩、好きです。」
「よかった。君に読まれたら、それだけで完成です。」
彼の笑顔は、蝶の羽のように軽やかだった。
私は、少しだけ頷いた。
そして、手にした花の香りをそっと吸い込んだ。
◆アラン視点
温室の奥で、白い花が静かに咲いていた。
香りは控えめで、形も派手ではない。
でも、風が通るたびに、茎がしなやかに揺れるその姿が、どこか彼女に似ていた。
リリアン・ド・ヴァルモン嬢。
図書室で詩集を読んでいた彼女の姿が、今も頭に残っている。
静かで、でも確かに何かを抱いているような、そんな空気だった。
僕は、その花を一輪だけ摘んだ。
誰かに渡すために花を選ぶのは、初めてだった。
でも、彼女にはこの花が似合うと思った。
理由は、言葉にできなかった。
詩も書いた。
彼女の姿を思い浮かべながら、風と翼をテーマにした短い詩。
誰かに読まれることを前提に書いた詩は、これが初めてだった。
庭園のベンチに彼女がいるのを見つけたとき、胸が少しだけ騒いだ。
偶然かもしれない。でも、会えたことが嬉しかった。
「こんにちは、リリアン・ド・ヴァルモン嬢。」
彼女が顔を上げる。
光を受けた瞳が、少しだけ驚いていた。
でも、その驚きが、僕には嬉しかった。
「この花、温室で咲いていたものです。君に似ていると思って。」
言ってから、少しだけ後悔した。
言葉が浮いてしまったかもしれない。
でも、彼女は笑ってくれた。
詩を渡すとき、指先が少しだけ震えた。
彼女が読んでくれるかどうか、それが怖かった。
でも、彼女は静かに目を通してくれた。
> “君の静けさに、翼が生える。”
> “風が通り抜けるたび、心が少しだけ軽くなる。”
彼女の表情が、少しだけ柔らかくなった。
その瞬間、僕の詩は完成した。
誰かに読まれて、心に届いた。
それだけで、十分だった。
リリアンは、僕にとって“静かな風”のような存在だ。
騒がしくない。
でも、確かに心を揺らす。
彼女が僕の言葉に触れてくれたことが、今日の午後を特別なものにした。
◆侍女_エレーヌ視点
午後の陽が、窓辺のカーテンを淡く染めていた。
リリアン様が庭園から戻ってきたのは、紅茶の時間より少し早かった。
手には、一輪の白い花と、折りたたまれた紙。
「……エレーヌ、ただいま。」
「おかえりなさいませ。……その花、いただいたのですか?」
「うん。アラン様から。」
リリアン様は、少しだけ頬を赤くしていた。
でも、嬉しそうだった。
その表情が、私には何よりの答えだった。
「詩も、いただいたの。」
「詩……ですか?」
「うん。私のことを詩にしてくれたみたい。」
リリアン様は、紙をそっと開いた。
でも、私には見せなかった。
それが、リリアン様にとって“特別なもの”だということが、すぐに分かった。
「……なんだか、風みたいな言葉だった。」
「風、ですか?」
「うん。静かで、でも心が揺れる感じ。」
私は、紅茶に蜂蜜を垂らしながら、リリアン様の横顔を見つめた。
リリアン様は、今、少しずつ誰かの言葉に触れている。
それが、レオ様のものなのか、アラン様のものなのか、まだ分からない。
でも、確かに心が動いている。
「エレーヌ……私、変かな?」
「いいえ。とても、素敵です。」
リリアン様は、花を小さなガラス瓶に挿した。
その仕草が、まるで詩の一節のように静かだった。
私は、何も聞かなかった。
でも、心の中でそっと思った。
リリアン様の心が揺れるとき、世界は少しだけ優しくなる。
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