第22話「侯爵家への宣言」
◆アラン視点
侯爵家の書斎は、いつも通り重苦しい空気が満ちていた。
兄が先に座っていて、父は窓際に立っていた。
僕が入ると、ふたりの視線が一斉に向けられた。
「アラン。南方伯爵令嬢との婚約話、正式に進める。お前の返答を聞こう。」
兄の声は冷静だったが、言葉の奥には圧力があった。
父は黙っていたが、その沈黙が何より重かった。
「その婚約は、受けません。」
僕の声は静かだった。
でも、言葉の芯は揺るがなかった。
「理由を言え。」
「僕には、すでに心を決めた人がいます。その方と共に生きるために、家の意向には従いません。」
兄が椅子から立ち上がった。
その動きは、怒りを抑えきれないものだった。
「お前は、家の名を何だと思っている!個人の感情で、何百年の血筋を否定する気か!」
「僕は、家の名を否定しているのではありません。ただ、僕自身の人生を選びたいだけです。」
父がようやく口を開いた。
「その選択が、家を離れることになると分かっているか?」
「はい。僕は、ヴァルモン家を離れる覚悟があります。それでも、彼女の隣に立ちたい。」
兄が机を叩いた。
「お前は夢を見ているだけだ!侯爵家を捨てて、何が残る?名も、財も、地位も——すべて失うぞ!」
「それでも、彼女が隣にいてくれるなら、僕は十分です。」
父は、静かに言った。
「ならば、家を出ろ。お前の名は、今日限りでヴァルモンではない。」
その言葉が、決裂の証だった。
でも、僕は迷わなかった。
「ありがとうございます。僕は、アランとして生きます。そして、彼女との未来を築くため、伯爵家へ自分の言葉で向かいます。」
◆兄_レオニス視点
書斎の空気は、まだ冷えていた。
アランが出て行ったあと、父は窓際に立ったまま、何も言わなかった。
僕は、机の上の破られた婚約書を見つめていた。
「父上。なぜ、あれを許したのですか?アランは、家を捨てると言ったのですよ。」
父は、ゆっくりと振り返った。
その瞳は、静かだった。
怒りも、悲しみもなかった。
「レオニス。お前は、家を継ぐ者として、何を守るべきだと思う?」
「名です。血筋と、地位と、責任です。」
父は、わずかに頷いた。
そして、机の上の古い肖像画に目を向けた。
「私も、そう思っていた。だが、家を継ぐ者がいれば、もう一人は家の外で“誇り”を守る者になってもいい。」
僕は、言葉を失った。
父の言葉は、予想していたものではなかった。
「アランは、家の名を捨てたのではない。彼は、自分の信念で生きる道を選んだ。それは、家の名を汚すことではない。むしろ、家の名に恥じぬ生き方だ。」
「……それでも、彼は家を離れました。」
「だからこそ、私は何も言わなかった。彼が“自分の名”で生きる覚悟を持っていたからだ。お前が家を継ぎ、彼が家を超えて生きる。それが、我が家の“二つの誇り”になる。」
父は、椅子に静かに腰を下ろした。
その背中は、老いた貴族ではなく家を見守る者のそれだった。
◆リリアン視点
父の書斎は、いつも静かだった。
重厚な本棚と、窓から差し込む午後の光。
その空間に、私はひとり立っていた。
「お入り。」
父の声は、扉の向こうから聞こえた。
私は深く一礼して、部屋へ入った。
父は机の前に座り、書類に目を通していた。
その手が止まり、私に視線を向ける。
「何か話したいことがあるのか?」
私は、胸の奥にある言葉を整えてから、静かに口を開いた。
「アラン・ヴァルモント様のことです。彼は、侯爵家を離れる覚悟を持って、私の隣に立つと言ってくれました。」
父は、何も言わずに聞いていた。
その沈黙が、私の言葉を促してくれる。
「彼は、家の名ではなく、個人としての責任を選びました。その決意に、私は心を動かされました。」
「……それで、お前はどうするつもりだ?」
その問いは、まっすぐだった。
私は、父の瞳を見つめながら答えた。
「彼を迎えたいと思っています。家の格式や名ではなく、彼自身を。私の人生に、彼を迎える覚悟があります。」
父は、しばらく沈黙した。
そして、机の上のペンを静かに置いた。
「お前がその覚悟を持つなら、私もそれを尊重しよう。ただし——彼がその責任を果たす姿を、私は見極める。」
私は、深く一礼した。
その言葉は、許しではなく“試練の始まり”だった。
でも、私はもう迷っていなかった。
◆侍女_エレーヌ視点
リリアンお嬢様が書斎から戻られたとき、その足取りは、いつもより少しだけ重く、しかし迷いはなかった。
私は、廊下の隅で控えていた。
お嬢様が私に気づき、静かに微笑んだ。
「エレーヌ。お茶をいただけるかしら。」
「かしこまりました。」
紅茶を淹れながら、私はそっとお嬢様の横顔を見つめた。
湖畔から戻られて以来、何かが変わった。
それは、言葉ではなく空気のようなものだった。
「お嬢様。書斎でのご用件は……アラン様のこと、でしょうか?」
お嬢様は、少しだけ驚いたように目を見開いた。
でも、すぐに頷いた。
「ええ。父に、彼を迎える覚悟があることを伝えました。」
その言葉に、胸が静かに震えた。
お嬢様が“誰かを迎える”と口にする日が来るとは……
私は、ずっとその瞬間を待っていたのかもしれない。
「……お嬢様は、強くなられましたね。」
お嬢様は、少しだけ目を伏せて言った。
「強くなったのではなく、彼が隣にいてくれるから、怖くなくなったの。」
その言葉は、まるで春の風のようだった。
優しくて、でも確かに心を動かす力がある。
「お嬢様。その方となら、きっと穏やかな未来が築けます。」
お嬢様は、静かに微笑んだ。
その笑顔は、少女のものではなく未来を選んだ女性のものだった。
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