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◆第20話「湖畔と風のいたずら」



◆リリアン視点


 アラン様から手紙が届いた。


 > _「リリアン嬢へ。


 > 春の陽気に誘われ、湖畔の景色をあなたと共に眺めたく思います。

 > つきましては、明日の午後、馬車にてお迎えにあがります。

 > ご都合がよろしければ、ぜひご一緒いただければ幸いです。


 > アラン・ヴァルモント」


 リリアンは手紙を読み、胸の奥がふわりと温かくなる。

 父に許可を得て、身支度を整える。


◇◇


 午後の陽射しが、馬車の窓から差し込んでいた。

 アラン様は、向かいの席に静かに座っている。

 馬車の揺れに合わせて、ふたりの距離が少しずつ近づく。


 「今日は、よく晴れましたね。」


 私が口を開くと、彼は微笑んだ。


 「ええ。あなたと出かけるなら、晴れてほしいと思っていました。」


 その言葉に、頬が少しだけ熱くなる。

 私は窓の外に目を向けた。


 「湖畔は、初めてです。どんな場所なのですか?」


 「静かで、風がよく通る場所です。水面が鏡のように空を映していて、僕はそこにいると心が落ち着くのです。」


 彼の声は穏やかで、まるで湖の風景そのもののようだった。

 私は、少しだけ勇気を出して言った。


 「アラン様は、いつも冷静でいらっしゃいますね。私など、すぐに心が揺れてしまいます。」


 彼は少しだけ目を伏せて言った。


 「僕も、揺れますよ。ただ、それを見せるのが苦手なだけです。……あなたの前では、少しずつ変われる気がします。」


 馬車が少し揺れ、ふたりの手が触れそうになる。

 私は、そっと手を引いた。

 でも、彼の瞳は優しく私を見つめていた。


 「リリアン嬢。今日のこの時間を、ずっと覚えていたいと思っています。」


 私は、静かに頷いた。

 馬車は、湖畔へと近づいていく。


 湖畔に降り立った瞬間、風が頬を撫でた。

 水面は鏡のように空を映し、岸辺の花々がそよいでいた。

 私は、思わず息を呑んだ。


 「綺麗……」


 アラン様は、私の隣で静かに微笑んでいた。

 その表情は、まるでこの景色を見せたかった少年のようだった。


 「ボートに乗りませんか?」


 彼の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 私は頷き、手袋を整えながら彼の後を歩いた。


 小さな木製のボートが、岸辺に揺れていた。

 アラン様が手を差し出し、私を乗せてくれた。

 その手は、しっかりと温かかった。


 ボートが湖面を滑り出す。

 水の音が静かに響き、風が髪を揺らした。


 「ここに来ると、時間が止まるような気がします。」


 彼が言った。


 「ええ。まるで、世界にふたりしかいないみたい。」


 私は、湖の向こうに目を向けた。

 遠くの森が、淡く霞んでいる。

 その景色が、夢のようだった。


 「リリアン嬢。あなたが笑っていると、僕は安心します。」


 「……私も、アラン様といると、心が静かになります。」


 風が少し強くなり、帽子が揺れた。

 彼がそっと手を伸ばし、私の髪を整えてくれた。

 その指先が、頬に触れた……

 瞬間、胸が静かに高鳴った。


 「すみません。風が……」


 「いいえ。ありがとうございます。」


 沈黙が流れた。

 でも、それは心地よい沈黙だった。

 言葉がなくても、彼の隣にいるだけで、満たされていた。


 ボートが岸に戻る頃、私はそっと言った。


 「今日のこと、ずっと覚えていたいです。」


 彼は、静かに頷いた。


 「僕も。この時間が、あなたの記憶の中で優しいものになりますように。」


◆リリアン視点


 屋敷に戻った夕暮れ、私は部屋の窓辺に座っていた。

 湖畔の風がまだ頬に残っている気がして、胸が静かに騒いでいた。


 エレーヌが紅茶を運んできてくれた。

 その香りが、少しだけ現実に引き戻してくれる。


 「お嬢様、今日は……とても穏やかな表情をされていますね。」


 私は、少しだけ微笑んだ。

 でも、言葉にはできなかった。

 だから、そっと言った。


 「エレーヌ。少しだけ、話してもいい?」


 「はい。」


 私は、湖畔でのことを話した。

 馬車の中での会話。

 ボートの上での沈黙。

 風に髪を整えてくれた彼の指先。


 「彼の隣にいると、心が静かになるの。でも、それだけじゃなくて、私の中に何かが芽生えている気がする。」


 エレーヌは、黙って聞いていた。

 その沈黙が、私には心地よかった。


 「私は、誰かに好かれることが怖かった。でも、彼の想いは……怖くないの。むしろ、安心できる。」


 私は、紅茶に口をつけた。

 その温度が、胸の奥に染みていく。


 「エレーヌ。私は、彼の隣にいたいと思ってしまった。それって……恋なのかしら?」


 エレーヌは、そっと微笑んだ。

 その笑顔は、答えを言葉にするよりも、ずっと優しかった。


 「お嬢様が、心の輪郭を感じられたなら、それはもう恋です。」


 私は、窓の外を見た。

 夕陽が、庭の花々を金色に染めていた。


 「この気持ちが、ずっと続いてくれたらいいのに。」


◇◇


 晩餐の席には、銀器の音だけが静かに響いていた。

 父はいつも通り、食前酒を傾けながら、無言のまま料理に手をつけていた。

 母は、絹の手袋を外しながら、私に微笑みかける。

 その穏やかな空気の中で、私は湖畔でのアラン様との時間を思い出していた。


 「リリアン。」


 父の声は、低く、しかし柔らかかった。

 私はナプキンを膝に整え直し、顔を上げた。


 「今日の湖畔は、どうだった?」


 問いかけは、事実の確認ではなく、心の様子を探るものだった。

 父は、グラスを軽く揺らしながら、私を見ていた。


 「とても穏やかでした。風が心地よくて、水面が空を映していて……まるで、時間が止まったようでした。」


 「アラン・ヴァルモントとは、よく話せたか?」


 「はい。彼とは、手紙を通じて気持ちを通わせています。今日は、初めて“ふたりだけの時間”を過ごしました。」


 父は、グラスを静かにテーブルに戻した。

 その仕草は、まるで一つの判断を下したかのように、静かで確かなものだった。


 「彼は、侯爵家の次男。家を継ぐ立場ではないが、ヴァルモントの名は軽くない。お前は、その意味を理解しているか?」


 私は、父の言葉の奥にあるものを感じ取ろうとした。

 それは、問いかけであり、試練でもあった。


 「はい。けれど、彼の隣にいると、心が穏やかになります。それが、私にとって何より大切なことです。」


 父は、しばらく沈黙した。

 そして、侍従に目配せをし、食後のワインを下げさせた。


 「ならば、彼を招こう。 客人としてではな娘の選んだ人として。」


 その言葉に、胸が熱くなるのを感じた。

 父のまなざしは、厳しさの中に、確かな理解を宿していた。





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