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第1話「静寂のなかの囁き」



◆リリアン視点


 昼下がりの図書室。

 陽光が書棚を斜めに染め、空気の粒が静かに浮かんでいるようだった。

 指先に馴染んだ詩集をそっと開くと、ページの間から記憶がふわりと立ちのぼる。


 あの恋文、名も記されていない短い手紙を見つけた日。

 誰かの言葉に触れた気がして、心の奥がじんと熱くなった。


 そんな余韻の中、ふと向こうの書棚に目をやると、黒髪を束ねた青年が立っていた。

 よく見かける人。いつも静かで本の扱いが丁寧な、あの人だ。

 名前は知らない。でも、なぜか印象に残っていた。


 視線を逸らそうとしたとき、彼がこちらに歩み寄ってきた。


 「リリアン・ド・ヴァルモン嬢、ですよね?」


 「え……はい、そうですけれど……」


 「この本、君が何度も借りていたのを記録で見かけたので。棚に戻っていたから、気になって。」


 彼が手にしているのは、私の愛読書『夜空と恋文』。

 貸出カードに記された自分の名前が、彼の指先の間で軽く揺れている。


 「この図書室で、静かに本を読まれている姿を何度か目にしました。」


 「……その仕草が、本と向き合っているというより、誰かの言葉を大切に抱いているようで。」


 彼の声は落ち着いていて、騒がしくないのに胸の奥に残る。

 手紙の筆跡と彼の話し方が、どこかで重なっているような気がした。

 でも、名前が書かれていなかった。


 ただの予感……


 言えるわけがない。

 まだ知りもしない相手に、“もしかして”なんて。


 「……あなたも、“手紙”を、見つけましたか?」


 問いかけは、ごく静かだった。

 私はほんの少しだけ頷いた。

 それを見て、彼の瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。

 でも何も言わないまま、詩集をそっと私の手に戻す。


 「よい午後を。」


 その声が去ったあとも、私の中には静かな振動が残った。

 彼の名前も、手紙の主も、何ひとつ確かじゃないのに、どうしてこんなに気になるのだろう。


 ページの間には、まだあの恋文が残っている。

 誰かが綴った言葉。

 その誰かの姿が、少しずつ輪郭を持ち始めている。



◆レオ視点


 図書室の午後。

 棚の隙間から差し込む光が、紙の上に静かに広がっていた。

 レオ・グランディアは、貸し出し記録を整理する手を止め、ある名前に目を留めた。


 リリアン・ド・ヴァルモン。


 何度も同じ詩集を借りている記録。

 その本は、数週間前に彼自身が手紙を挟んだものだった。


 誰にも宛てず、誰にも渡すつもりもなかった。

 ただ、言葉が溢れてしまったから。


 彼女には届くかもしれない……


 そんな淡い期待を、紙の間にそっと閉じ込めた。


 そして今日、その本が棚に戻っていた。

 本を手に取って、ページをめくる。

 手紙は、もうなかった。

 誰かが読んだのだ。

 誰かが言葉に触れたのだ。


 その“誰か”が、今、目の前にいた。


 棚の向こうで本を読んでいる少女。

 白金の髪をふわりと結い、藤色のドレスが陽光に溶けている。

 静かな仕草が、まるで言葉を抱きしめているようだった。


 彼女の名前は、記録で知っていた。

 でも、声をかけるのは初めてだった。


 「リリアン・ド・ヴァルモン嬢、ですよね?」


 彼女は驚いたように顔を上げた。

 その瞳が、ほんの一瞬揺れた気がした。


 「この本、君が何度も借りていたのを記録で見かけたので。棚に戻っていたから気になって。」


 彼女の指先が、詩集の表紙に触れる。

 その仕草が、どこか大切なものを扱うようで胸が少しだけ騒いだ。


 「この図書室で、静かに本を読まれている姿を何度か目にしました。」


 「……その仕草が、本と向き合っているというより、誰かの言葉を大切に抱いているようで。」


 言葉が自然にこぼれた。

 彼女が手紙を読んだかどうか、確かめたい気持ちと、知られたくない気持ちが交錯する。


 「……あなたも、“手紙”を、見つけましたか?」


 問いかけは、抑えた声だった。

 彼女は頷いた。

 その瞬間、胸の奥で何かが静かに弾けた。


 でも、それ以上は言えなかった。

 彼女が読んだのが、自分の言葉だったと知るには、まだ早すぎる。


 「よい午後を。」


 それだけを残して、歩き出した。

 背後の気配が、まだそこにいる彼女の存在を感じさせる。


 彼女は、読んだ。

 でも、誰の言葉かは知らない。

 それでいい。

 今はまだ、言葉だけが二人を繋いでいる。



◆侍女_エレーヌ視点


 リリアン様が図書室から戻ってきたのは、午後の紅茶の少し前だった。

 いつも通り静かに歩いていたけれど、手にしていた詩集を胸に抱えるように持っていたのが、少しだけ違っていた。


 私はすぐに気づいた。

 リリアン様が何かを考えている時は、歩く速度がほんの少しだけ遅くなるのだ。


「エレーヌ、少し……話せる?」


「もちろんです、リリアン様。」


 エレーヌ・マルグリット。

 ヴァルモン家に仕える侍女で、リリアン様とは年が近い。

 幼い頃から一緒に育ったため、礼儀は守りつつも、時折“友人のような距離”で話すことも許されている。


 この日も、そんな空気だった……


 「図書室で……本の間に、手紙が挟まっていたの。」


 「手紙、ですか?」


 「ううん、恋文……かもしれない。詩のような言葉が書かれていて……」


 リリアン様は、詩集のページをそっと開いた。

 そこには、丁寧な筆跡で綴られた短い文章があった。

 宛名も署名もない。

 けれど、誰かが誰かに向けて書いたことだけは、はっきりと伝わってくる。


 「誰が書いたのか、まったく分からないの。でも……なんだか、読んだときに胸が少しだけ、熱くなったの。」


 「……それは、恋文ですね。」


 「そう思う?」


 「ええ。リリアン様がそう感じたなら、きっとそうです。」


 私は、リリアン様の瞳が少し潤んでいることに気づいた。

 でも、それを指摘するのはやめた。

 リリアン様は、感情を言葉にするのが少し苦手だから。


 「今日、図書室で……黒髪の青年に声をかけられたの。名前を呼ばれて驚いたわ。」


 「黒髪の……?」


 「後ろで髪を束ねていて、額に前髪がかかっていない人。静かな話し方だった。」


 「もしかして、それは王子付きの文官の方かもしれません。レオ・グランディア様。」


 「……そうなの?」


 リリアン様は、少しだけ目を見開いた。

 名前を知ることで、何かが動き出すような気配がした。


 「彼が……手紙を書いたのかしら。」


 「それは……まだ分かりません。でも、気になるなら、少しずつ確かめてみてもいいのでは?」


 「……うん。」


 その返事は、いつもより少しだけ小さかった。

 でも、確かに心の奥から出た声だった。


 私は、そっと紅茶を淹れに向かった。

 リリアン様が詩集を見つめるその横顔が、少しだけ赤く染まっていたのを、見なかったふりをして。





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