第16話「戸惑い」
◆リリアン視点
恋文を読んだのは、雨の日だった。
滲んだインクの中に、優しい言葉が並んでいた。
「君が笑っていたのを、見ていました。」
その一文が、胸に残っている。
でも、誰が書いたのか分からない……
筆跡は見覚えがあるようで、ないようで。
アラン様のような気もするし、レオ様のようにも思える。
どちらも、私に優しくしてくれた。
どちらも、私を見ていてくれた。
でも、どちらの“視線”が、あの言葉に重なるのか分からなかった。
図書室で、私は詩集をめくりながら考えていた。
アラン様は、舞踏会の夜、私に手を差し伸べてくれた。
馬車の中では、さくらんぼの話をして笑ってくれた。
彼の言葉は、まっすぐで、少しだけ不器用だった。
レオ様は、静かに見守ってくれた。
風邪の日には、詩集を置いてくれた。
花束には、言葉の代わりに想いが込められていた。
彼の優しさは、控えめで、でも深かった。
私は、どちらにも心が動いてしまっていた。
それが、いけないことのように思えて、でも止められなかった。
エレーヌに相談しようかと思ったけれど、言葉にできなかった。
「誰かを好きになること」と、「誰かに好かれること」は、違うのだと知ったから。
恋文の主が誰であっても、私の心が誰に向いているのか。
それを、見つけなければいけない。
でも今は、まだ分からない。
ただ、胸が静かに騒いでいる。
ふたりの声が、ふたりの笑顔が、心の中で重なっている。
私は、恋をしている。
でも、その恋が誰に向いているのか……
まだ、答えは出せなかった。
◇◇
午後のサロンには、紅茶の香りと笑い声が満ちていた。
令嬢たちが集まるお茶会。
私は、少し緊張しながら席に着いていた。
お茶会は、苦手だけど今回は断れなかった。
話題は、舞踏会の余韻や新しいドレスのこと。
けれど、ふと耳に入った言葉が胸を凍らせた。
「そういえば、アラン様の婚約話、進んでいるそうですわね。」
その一言に私はカップを持つ手を止めた。
周囲の令嬢たちは、興味津々に話を続けていた。
「侯爵家の長兄が動いているとか。 相手は、南方の伯爵令嬢らしいですわ。」
「でも、舞踏会ではリリアン嬢と踊っていらしたでしょう?あれは、ただの社交だったのかしら。」
私は、何も言えなかった。
笑顔を保つのが精一杯だった。
紅茶の香りが、急に遠くなった。
婚約話……
それが本当なら、あの馬車の時間も、さくらんぼの話も、ただの“通過点”だったのかもしれない。
図書室での沈黙。
彼の目の奥にあった揺れ。
それらが、今になって意味を持ち始めた。
恋文の主が誰か分からないまま、心が揺れていた。
でも、もしそれがアラン様だったとしても、彼にはもう別の未来が用意されているのかもしれない。
お茶会の後、私は庭園をひとり歩いた。
すごく疲れを感じていた……
風が髪を揺らす。
その風の中で、涙がこぼれそうになった。
「好きになること」と「選ばれること」は、違う。
それを、今日初めて痛いほど知った。
私は庭園を歩き続けた。
風が頬を撫でていたけれど、心は落ち着かなかった。
アラン様の婚約話が、令嬢たちの噂話ではなく、現実かもしれないと思うと、胸が締めつけられた。
夕暮れ前、私はようやく部屋に戻った。
エレーヌが静かに迎えてくれた。
その顔を見た瞬間、言葉がこぼれた。
「……エレーヌ、少しだけ、話してもいい?」
「もちろんです。」
私は、ソファに腰を下ろし、紅茶を受け取った。
その香りが、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
「今日のお茶会で……アラン様の婚約話を聞いたの。」
エレーヌは、驚いたように目を見開いた。
でも、すぐに静かに頷いた。
「侯爵家の長兄が動いているそうで、南方の伯爵令嬢が候補だって…… 私、何も知らなくて……」
声が震えていた。
エレーヌは、私の手にそっと触れた。
「お嬢様は、何も悪くありません。ただ、心が揺れるのは、それだけ誰かを大切に思っている証です。」
その言葉に、涙がこぼれそうになった。
でも、こらえた。
今は、泣くよりも、知りたかった。
「もし……もし、アラン様が本当に婚約されるなら、私は、どうしたらいいの?」
エレーヌは、少しだけ考えてから、静かに答えた。
「お嬢様が誰かを想うことは、誰にも奪えません。婚約話が現実であっても、心の選択は、お嬢様のものです。」
「でも、恋文の主が誰かも分からなくて……レオ様の花束も、優しくて……私、誰に心が向いているのか、分からないの。」
エレーヌは、私の髪をそっと整えながら言った。
「恋は、答えを急がなくてもいいものです。お嬢様の心が、静かに選ぶ日が来るまで、私はそばで見守っています。」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。
涙はこぼれなかった。
でも、心の奥にあった霧が、少しだけ晴れた気がした。
◆侍女_エレーヌ視点
お嬢様が部屋に戻られたとき、表情が少し違っていた。
午後のお茶会のあと。
紅茶の香りが残る時間帯。
けれど、彼女の瞳には、香りとは違う“揺れ”があった。
「エレーヌ、少しだけ、話してもいい?」
その声に、私はすぐに頷いた。
お嬢様の言葉は、私にとって何よりの優先事項だった。
ソファに腰を下ろしたリリアン様は、紅茶を受け取る手が少し震えていた。
そして、ぽつりと告げた。
「今日のお茶会で……アラン様の婚約話を聞いたの。」
私は、驚いた。
けれど、それ以上にリリアン様の声の震えが、胸に刺さった。
「南方の伯爵令嬢が候補だって……私、何も知らなくて……」
お嬢様は、いつも感情を丁寧に包んで話される。
でも、今日は違った。
その包みが、少しだけほどけていた。
私は、リリアン様の手にそっと触れた。
言葉よりも、温度で伝えたかった。
「お嬢様は、何も悪くありません。心が揺れるのは、それだけ誰かを大切に思っている証です。」
リリアンの瞳が潤んでいた。
でも、涙はこぼれなかった。
その強さが、私はとても愛おしかった。
「でも、恋文の主が誰かも分からなくて……レオ様の花束も、優しくて……私、誰に心が向いているのか、分からないの。」
その言葉に、私は髪をそっと整えながら答えた。
「恋は、答えを急がなくてもいいものです。お嬢様の心が、静かに選ぶ日が来るまで、私はそばで見守っています。」
リリアン様は、少しだけ微笑まれた。
その笑顔が、ほんのわずかでも戻ったことが、私には何よりの救いだった。
お嬢様の恋が、どちらに向かうのか。
それは、私にも分からない。
でも、リリアン様が選ぶその瞬間まで、私は変わらずそばにいると決めている。
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