第13話「馬車の二人」
◆リリアン視点
馬車に乗るのは久しぶりだった。
窓の外を流れる景色が、まるで絵巻物のように静かに動いていく。
隣には、アラン様。
少し緊張していたけれど、彼の横顔は穏やかだった。
「お加減は、もう大丈夫ですか?」
「はい。エレーヌのおかげで、すっかり元気になりました。」
「それは良かった。……あの、フルーツは召し上がっていただけましたか?」
「ええ。とても美味しかったです。特に、あの……赤い丸いのが。」
「……赤い丸いの?」
「はい。あの、甘くて、皮がつるつるしていて……」
「……さくらんぼ、でしょうか?」
「そうです!それです!」
私が嬉しそうに答えると、アラン様は笑った。
私も連れて笑った。
馬車の揺れが、笑い声を優しく包んでくれる。
「でも、さくらんぼって、なんだか恋に似ていると思いませんか?」
「恋に……ですか?」
「はい。小さくて、甘くて、でも少し酸っぱくて。それに、ふたつ並んでいることが多いでしょう?」
その言葉に、アラン様が少しだけ目を見開いた。
そして、静かに頷いた。
「……確かに。ふたつ並んでいる姿は、どこか寄り添う心に似ていますね。」
馬車は、ゆっくりと進んでいた。
窓の外では、風が草を揺らしている。
その音が、ふたりの沈黙を心地よく包んでいた。
「リリアン嬢は、恋を詩にすることはありますか?」
「……あります。でも、書いたあとに恥ずかしくなって、すぐに破ってしまいます。」
「それは、もったいないですね。誰かが、その詩を読んで、心を動かされるかもしれないのに。」
彼の言葉に、胸が少しだけ騒いだ。
誰か……
それは、彼なのだろうか。
でも、今はまだ聞けなかった。
馬車の中で、ふたりの距離は変わらないまま。
けれど、心の距離は少しだけ近づいた気がした。
◆アラン視点
馬車に乗ることになったのは、偶然だった。
庭園の視察に同行する予定だったリリアン嬢が、急な体調不良で延期になり回復した今日、再び予定が組まれた。
そして、僕が同じ時間に同じ場所へ向かうことになっていた。
「ご一緒してもよろしいでしょうか?」
そう声をかけたとき、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
けれど、すぐに微笑んで頷いてくれた。
馬車の中は、思った以上に静かだった。
窓の外では風が草を揺らし、車輪の音が規則正しく響いている。
そして彼女の香りが、ふわりと空気に混じっていた。
舞踏会の夜、彼女の近くにいたときと同じ香り。
甘くて、少しだけ花のようで。
それが、距離を意識させる。
隣に座っているのに、触れることはできない。
手を伸ばせば、届く距離。
けれど、届かない想い。
「お加減は、もう大丈夫ですか?」
「はい。エレーヌのおかげで、すっかり元気になりました。」
彼女の声は、少しだけ鼻にかかっていて、それがまだ完全には治っていない証だった。
けれど、その声が僕には心地よかった。
「それは良かった。……あの、フルーツは召し上がっていただけましたか?」
「ええ。とても美味しかったです。特に、あの……赤い丸いのが。」
「……赤い丸いの?」
「はい。あの、甘くて、皮がつるつるしていて……」
「……さくらんぼ、でしょうか?」
「そうです!それです!」
彼女が嬉しそうに微笑み、僕も連れて笑ってしまった。
彼女の天然な一面は、いつも予想を超えてくる。
それが、愛しくて、少しだけ切ない。
「でも、さくらんぼって、なんだか恋に似ていると思いませんか?」
「恋に……ですか?」
「はい。小さくて、甘くて、でも少し酸っぱくて。それに、ふたつ並んでいることが多いでしょう?」
その言葉に、胸が静かに騒いだ。
彼女は、無邪気に言ったのだろう。
けれど、僕にはそれが告白のように聞こえた。
「……確かに。ふたつ並んでいる姿は、どこか寄り添う心に似ていますね。」
馬車の揺れが、ふたりの沈黙を包んでいた。
彼女の肩が、ほんの少しだけ僕の方へ傾いた。
その距離に、手を伸ばしたくなった。
けれど、伸ばさなかった。
舞踏会の夜、彼女の腰に手を添えたときの感触が、まだ指先に残っている。
でも、今は違う。
この距離を、壊してはいけない気がした。
「リリアン嬢は、恋を詩にすることはありますか?」
「……あります。でも、書いたあとに恥ずかしくなって、すぐに破ってしまいます。」
「それは、もったいないですね。誰かが、その詩を読んで、心を動かされるかもしれないのに」
彼女は、何も答えなかった。
ただ、窓の外を見つめていた。
その横顔が、少しだけ赤く染まっていたのは、熱のせいではないと僕は思った。
◆リリアン視点
馬車がゆっくりと止まり扉が開いた。
外の空気は、少しだけ冷たくて、でも心地よかった。
私は、スカートの裾を整えながら、そっと足を地面に下ろした。
「お気をつけて。」
アラン様が手を差し伸べてくださった。
その手は、舞踏会の夜と同じように、優しくて、少しだけ迷いを含んでいた。
私は、その手に触れながら降りた。
ほんの一瞬だけ、指先が重なった。
その感触が、胸に残った。
「風が少し冷たいですね。」
私がそう言うと、アラン様はすぐに上着のボタンを外しかけた。
けれど、私は慌てて首を振った。
「大丈夫です!……あの、さくらんぼの話をしていたら、なんだか温かくなってしまって。」
彼は、少しだけ驚いたように目を見開いて。そして、笑った。
「それは、さくらんぼの魔法ですね。」
ふたりで並んで歩きながら、庭園の入り口へ向かった。
言葉は少なかったけれど、沈黙が心地よかった。
「リリアン嬢。」
彼が立ち止まり、私の方を向いた。
その瞳が、まっすぐに私を見ていた。
「今日の馬車の時間は、僕にとってとても大切なものでした。」
私は、何も言えなかった。
ただ、頷いた。
それだけで、十分だった気がした。
彼は、少しだけ頭を下げて、静かに歩き出した。
その背中を見送りながら、私はそっと胸に手を当てた。
馬車の揺れ、さくらんぼの話、彼の声。
それらが、まだ心の中で揺れていた。
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