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第10話「雨と告白未遂」



◆アラン視点


 空は、朝から曇っていた。

 けれど、僕の心は晴れていた。

 今日こそ、彼女に言葉を届けようと決めていたから。


 リリアン・ド・ヴァルモン嬢。

 彼女の笑顔が、舞踏会の夜からずっと胸に残っていた。

 彼女の手の温度、香り、視線、それらが静かに僕の心を満たしていた。


 けれど、言葉にするのは難しかった。

 だから、詩にした。


 彼女が好きだと言っていた詩の形式で ……


 彼女に似合う、静かで優しい言葉を選んだ。

 紙を選び、インクを整え、何度も書き直した。


 「君に伝えたいことがある」


 その一行から始まる詩は、僕の心そのものだった。


 午後、彼女が庭に出ると聞いていた。

 だから、僕も向かった。

 手紙を胸に忍ばせて。


 けれど、空は僕の味方ではなかった。

 雲が厚くなり、風が強くなり、そして雨が降り出した。


 彼女は、屋根のある回廊へと急いでいた。

 僕もその後を追った。

 けれど、手紙は雨に濡れて、文字が滲んでいった……


 「アラン様?」


 彼女が振り返る。

 僕は、濡れた紙を見つめたまま、言葉を失った。


 「どうされたのですか?」


 彼女の声は、いつも通り優しかった。

 けれど、僕の手の中の紙は、もう読めなかった。


 「……何でもありません。少し、詩を書いていたのですが。」


 「詩……?」


 「ええ。雨に流されてしまいました。」


 彼女は、少しだけ残念そうに微笑んだ。

 その笑顔が、胸に刺さった。

 僕は、何も伝えられなかった。

 けれど、彼女の瞳は、何かを感じ取っていたようだった。


 雨は、すべてを洗い流していった。

 けれど、僕の心に残った言葉だけは、まだそこにあった。


 雨は、夜になっても止まなかった。

 窓の外で、静かに降り続けている。

 僕は書斎の椅子に座り、濡れた紙を机に広げていた。


 文字は、もう読めない。

 インクが滲み言葉が溶けてしまっている。

 けれど、僕には分かる。

 そこに何を書いたか。

 どんな気持ちで綴ったか。


 「君に伝えたいことがある」


 その一行から始まる詩は、僕の心そのものだった。

 彼女の笑顔に触れて、彼女の声に癒されて、その全てを言葉にしようとした。


 けれど、雨がそれを奪った。

 まるで、まだその時ではないと告げるように。


 リリアン嬢は、何かを感じ取っていたようだった。

 僕の手の中の紙を見て、目を見て、彼女は何も聞かなかった。

 でも、何も知らないわけではなかった。


 その沈黙が、僕には優しかった。

 そして、少しだけ痛かった。


 僕は、濡れた紙をそっと折りたたみ、引き出しにしまった。

 それは、失敗ではなく、未完成の想い。

 いつか、もう一度書ける日が来るだろうか。

 彼女に、言葉を届けられる日が。


 雨音が、静かに部屋を満たしていた。

 その音に耳を澄ませながら、僕は目を閉じた。

 彼女の笑顔が、瞼の裏に浮かんでいた。



◆リリアン視点


 午後の庭に出たのは、ほんの気まぐれだった。

 空は曇っていたけれど、風が心地よくて少しだけ舞踏会の余韻を洗い流したかったのかもしれない。


 けれど、空はすぐに表情を変えた。

 風が強くなり、雲が厚くなり、そして雨が降り出した。


 私は回廊へと急いだ。

 そのとき、誰かの足音が後ろから聞こえた。


 振り返ると、アラン様が立っていた。

 手に、濡れた紙を持って。

 その紙は、雨に濡れて、文字が滲んでいた。


 「アラン様?」


 彼は、紙を見つめたまま、少しだけ困ったように微笑んだ。


 「……何でもありません。少し、詩を書いていたのですが。」


 「詩……?」


 「ええ。雨に流されてしまいました。」


 彼の声は、いつもより静かだった。

 その紙に、何が書かれていたのか、私は聞かなかった。

 けれど、胸の奥が少しだけ騒いだ。


 その夜、私はエレーヌにそっと話した。

 雨の中で、アラン様が濡れた紙を持っていたこと。

 それが詩だったこと。

 そして、彼が少しだけ、言葉を失っていたこと。


 「……何か、伝えようとしていた気がしたの。」


 私の言葉に、エレーヌは静かに頷いた。

 彼女は、何も言わなかった。

 けれど、その沈黙が、私の気持ちを受け止めてくれたように感じた。


 「紙は、雨で読めなくなっていたけれど、でも彼の目が、何かを語っていたの。」


 エレーヌは、そっと私の髪を整えながら言った。


 「言葉にならなかった想いほど、心に残るものです。」


 その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。

 アラン様の詩は、読めなかった。

 けれど、彼の想いは、確かにそこにあった。

 それだけは、私の心に残っていた。



◆侍女_エレーヌ視点


 朝の空気は、雨の名残を含んでいた。

 庭の草花がしっとりと濡れていて、空はまだ曇っていた。

 けれど、私の心は晴れていた。

 昨夜、リリアン様が話してくださったこと。

 それが、私の中で静かに灯になっていた。


 アラン様の濡れた紙。

 言葉にならなかった詩。

 リリアン様の胸に残った“何か”。


 それを聞いたとき、私は何も言わなかった。

 でも、今日の朝は、少しだけ違う支度をしようと思った。


 まず、ドレッサーの前で髪飾りを選ぶとき。

 いつもなら淡い色を選ぶところを、今日は少しだけ深いローズ色を手に取った。


 「こちらはいかがでしょうか。少しだけ、華やかさを添えてくれるかと。」


 リリアン様は驚いたようにそれを見て、静かに頷かれた。


 次に、朝食の準備。

 私は厨房へ向かい、料理長に声をかけた。


 「本日の朝食、少しだけ特別なものにしていただけますか?」


 「特別、というと?」


 「雨の夜のあとですので……温かくて、香りのよいものを。 できれば、ハーブを使ったスープなど。」


 料理長は少し考えてから、にっこりと笑った。


 「それなら、ローズマリーとじゃがいものポタージュが良いかもしれませんな。」


 その言葉に、私は胸が少しだけ温かくなった。

 言葉にしなくても、伝わることがある。

 それは、昨夜リリアン様が教えてくださったこと。


 朝食のトレイを整えながら、私はそっと願った。

 今日の一日が、リリアン様にとって少しでも優しいものでありますように。

 そして、アラン様の言葉が、いつかちゃんと届きますように。





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