表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/26

第9話「ハーブティーと密談」



◆レオ視点


 舞踏会の夜から、数日が経った。

 華やかな音楽も、絹の波も、今では遠い記憶のように静まっている。

 けれど、あの夜の彼女の笑顔だけは、胸の奥に残っていた。


 リリアン・ド・ヴァルモン嬢。

 彼女がアラン侯爵令息と踊る姿は、まるで風に揺れる花のようだった。

 軽やかで、柔らかくて、そして少し遠かった。


 僕は踊らなかった。

 踊れなかった。

 彼女の隣に立つ資格があるのか、分からなかったから。


 それでも、言葉なら彼女の隣に並べるかもしれない。

 そう思って、温室へ向かった。

 彼女に会えることを期待してハーブをそっと摘んだ。


 舞踏会の夜、彼女の笑顔は別の人の腕の中にあった。

 僕は壁際で、それをただ見ていた。

 その距離が、あまりに遠く感じて、声をかけることすら許されないような気がした。


 けれど、あの夜からずっと、彼女の笑顔が胸に残っていた。

 それは、ただの憧れではなかった。

 彼女に、言葉を届けたい。

 そう思った瞬間から、僕の中で何かが変わった。


 温室でハーブを摘みながら、何度も言葉を練った。

 何を話せばいいのか。

 どんな声の調子で、どんな表情で。

 それでも、彼女の前に立つ瞬間は、足が震えた。


 図書室の午後。

 彼女は、静かに詩集をめくっていた。

 その姿が、舞踏会の夜とは違って見えた。

 けれど、どこか同じだった。

 彼女は、いつも“静けさ”を纏っている。


 「リリアン嬢。」


 彼女が顔を上げる。

 その瞳が、僕を捉えた。

 舞踏会の夜とは違う、少しだけ柔らかい光を宿していた。


 「よろしければ、ハーブティーを。温室から摘んできたものです。」


 「……ありがとうございます。」


 彼女がカップを受け取る。

 その指先が、少しだけ冷たかった。

 その温度に、胸が静かに騒いだ。

 守りたくなるような、そんな衝動。


 「舞踏会では、踊られなかったのですね。」


 「ええ。見る方が、性に合っているようです。」


 「……私のことも、見ていたのですか?」


 「はい。」


 彼女の問いに、僕は迷いなく頷いた。

 けれど、その次の瞬間、彼女が僕の視線に気づいていたと知った時、胸が大きく揺れた。


 あの夜、僕はただの“影”だったと思っていた。

 誰にも気づかれず、ただ見ているだけの存在。


 でも、彼女は、僕を見ていた……

 僕の視線を、感じていた……


 その事実が、胸の奥に静かに灯をともした。

 僕は、彼女の世界の“外側”にいるのではなかった。

 ほんの少しでも、彼女の心に触れていたのかもしれない。

 それだけで、言葉にできないほど嬉しかった。


 彼女が笑っていたのを、見ていた。

 それが嬉しくて、でも少しだけ遠く感じた。


 「君が笑っていたのを、見ていました。それが、嬉しくて。でも、少しだけ……遠く感じました。」


 彼女は、言葉を失ったようだった。

 けれど、その沈黙が、僕には心地よかった。

 彼女の瞳が、何かを探しているように見えた。


 「レオ様は、踊らないのですか?」


 「踊る理由が、まだ見つかっていないのかもしれません。」


 「……それは、誰かと踊りたいと思ったことがないということ?」


 「いえ。思ったことは、あります。」


 その言葉を口にした瞬間、胸が少しだけ軽くなった。

 彼女に伝えたかったのは、それだけだった。

 それ以上は、まだ言えなかった。


 図書室の静けさの中で、ハーブティーの香りが二人の間を満たしていた。

 言葉は少なかったけれど、その時間は舞踏会よりもずっと、心に近かった。



◆リリアン視点


 図書室の午後は、静かだった。

 窓から差し込む光が、詩集のページを柔らかく照らしている。

 舞踏会の夜から、まだ数日しか経っていないのに、あの華やかさは夢のように遠く感じた。


 あの夜、私はアラン様と踊った。

 彼の腕の中で笑っていたけれど、心の奥では誰かの視線を感じていた。

 それが誰なのか、確信はなかった。

 けれど、静かで優しい眼差しだった。


 ページをめくる指先に、ふと気配を感じた。

 顔を上げると、そこにレオ様が立っていた。

 舞踏会の夜、壁際にいた彼の姿が、ふいに重なった。


 「リリアン嬢。」


 その声は、少しだけ震えていた。

 けれど、真っ直ぐだった。

 私の名前を呼ぶその響きが、胸の奥に静かに届いた。


 「よろしければ、ハーブティーを。温室から摘んできたものです。」


 差し出されたカップから、優しい香りが立ちのぼる。

 ローズマリーとレモンバーム……少し緊張した心をほどくような香り。

 彼が摘んできたと聞いて、胸が少しだけ熱くなった。


 「……ありがとうございます。」


 指先がカップに触れた瞬間、彼の視線が揺れた。

 その視線に、何かを守ろうとする気持ちが宿っているように感じた。


 「舞踏会では、踊られなかったのですね。」


 問いかけながら、私は彼の答えを待った。

 彼は、静かに微笑んで言った。


 「ええ。見る方が、性に合っているようです。」


 その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。

 彼は、あの夜、私を見ていたのだろうか。

 そう思って、問いかけた。


 「……私のことも、見ていたのですか?」


 「はい。」


 迷いなく頷いた彼の瞳に、嘘はなかった。

 その瞬間、胸の奥が静かに震えた。

 あの夜、私は彼に見られていた。

 ただの“影”ではなく、誰かの視線の中にいた。


 それが、嬉しかった。

 少しだけ、照れくさくて。

 でも、心のどこかが温かくなった。


 「君が笑っていたのを、見ていました。それが、嬉しくて。でも、少しだけ……遠く感じました。」


 その言葉に、言葉を失った。

 彼の声が、心に触れた気がした。

 遠くから見ていた人が、今、目の前で言葉をくれる。

 それが、どれほど勇気のいることか、私には分かる気がした。


 「レオ様は、踊らないのですか?」


 問いかけながら、彼の答えを待った。

 彼は、少しだけ目を伏せて言った。


 「踊る理由が、まだ見つかっていないのかもしれません。」


 「……それは、誰かと踊りたいと思ったことがないということ?」


 「いえ。思ったことは、あります。」


 その言葉に、胸が静かに高鳴った。


 誰かと踊りたい……

 その“誰か”に私は含まれているのだろうか……


 まだ確かではないけれど、彼の言葉の奥に私への想いがあるような気がした。


 図書室の静けさの中で、ハーブティーの香りが二人の間を満たしていた。

 言葉は少なかったけれど、その時間は、舞踏会よりもずっと心に近かった。





「続きが気になる」「面白かった」と思って頂けましたら、リアクションやブックマーク、広告下の【★★★★★】で応援いただけると嬉しいです。誤字脱字のご連絡ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ