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第91話 絶望のお針子部屋

「ばあちゃん、俺そろそろ寝るわ」

「おや、今日は早いんだね。疲れたのかい。ゆっくりお休み」

夕食を終えて部屋に戻る。

厨房から蜂蜜の壺を一つ失敬してきた。

これから大仕事だ。

メアリーの内面に『超共感』でダイブして彼女の回復を試し見なければならない。

どれくらいのカロリーと心的エネルギーを消費するか分からないので、エネルギー変換効率の高い蜂蜜を用意しておいた。


いつものようにベットの上で結跏趺坐して『天眼智』を発動

はるかロンドンまで意識が届く。

そしてメダム・エリーヌのお針子部屋へと滑り込んでいく。

『超共感』の発動準備が始まると意識が同期する。

メアリーの記憶の再生が始まる。


父さんが亡くなり、それから数日後には母さんが亡くなった。

ホリーと私は二人残される。

泣きじゃくるホリーを私は抱きしめて、この妹だけは守ってみせる。

そう思うことで、絶望の深くて暗い淵から自分自身を救い上げようとしていた。

教区の役人がやって来て、私たちは救貧院に連れていかれる。

「二人で旅をしよう。ほら!虹が出れるでしょ?あそこが出発点よ。」

「本当に!私見たいものがいっぱいあるの。」

村を離れるのを泣き叫んで嫌がるホリーに私はそう言って村を離れた。


「誰のおかげで生きていられると思っているんだい!」

罵声と蔑みの言葉を毎日浴びた。

まるで生きること自体が罪だと決めつけられている。

救貧院の大人たちは孤児たちを呪われた卑しい動物のように扱った。

それが慈悲なのだ。

そう教えられて育ってきた。

私たちはその慈悲にすがって生きていく。

それ以外の道は閉ざされていた。

8歳でお針子部屋に奉公に出される。

ホリーは繊維工場に奉公に出されることになった。

もうホリーを守ってあげることができない。

「おねえちゃん、おねえちゃん、いや~~~~」

泣きじゃくり、私にしがみつくホリーは教区の大人に引きずられ、悲鳴のような泣き声が尾を引くように響き渡り...やがて消えていった。


8歳のメアリー

私はお針子部屋の下働きとなった。

【共感値:5%→20% 心的エネルギー消費:-10%】

記憶の糸が、ゆっくりと解けていく。

幼い少女の身体に、冷たい石畳の感触が足裏に刺さり、埃っぽい空気が肺を満たす。

お針子部屋は、救貧院の奥深くにあり、薄暗いランプの光が、針の影を長く伸ばす。

部屋には20人ほどの少女たちが、肩を寄せ合って座っていた。

皆、骨ばった手で布を縫い、指先は針の傷で赤く腫れ上がっている。

「もっと速く!怠け者はパン抜きだ!」

監督の女の怒鳴り声が、部屋に響く。

彼女は鞭を腰に下げ、少女たちの背中を睨みつける。

私の...メアリーの...手が震え、針が布を貫く。

痛い。指の皮がめくれ、血が染み出す。

隣のキャロラインが意識が朦朧となったのか、ゆっくりと体が前に倒れそうになる。

朝5時から夜の10時まで、水と薄い粥だけ。休憩は許されず、トイレすら我慢する。

倒れた時点で少女は治療へ送られ、そのほとんどは戻ってくることはできない。

「キャロライン、がんばろ!」

私は彼女を支えて、身体をさする。

こうすることでなぜか多くの少女が少しだけ元気になることを知っているからだ。

【弱い回復スキルを所有しています。共感値100%になれば、ブーストの加算がかかります】

「ありがとう、メアリー」

キャロラインのすがるような目を見て、微笑む。

「無駄口叩くんじゃないよ。あんたら、食いつぶし者を養っているのは、教区の善良な人たちだ。そのために働くのは神のために働くのと同じことだ。もっとそのために祈れ」

支配階級の「慈悲」は、ただの鎖。

教区の役人たちは、私たちを「神の恵みで生かされている」と説きながら、賃金は一文たりとも渡さない。

生き延びるために縫う。

それが、私たちの罪と罰。

早く一人前のお針子になれば、ホリーに会いに行ける。

彼女は寂しい思いをしていないだろうか?

【共感値:25% →45% 心的エネルギー消費:-20%】

年月が、渦のように流れる。


12歳、ドレスメーカーに正式に奉公に出される。

そこでも部屋はさらに狭く、埃と汗の臭いが染みつく。

1日14時間、針仕事の合間に掃除と洗濯。

給金は週5シリング。

ホリーに送る分を残し、自分は空腹を抱える。

「これを縫ったのはだれですの?美しいわね」

客の夫人たちが褒める声が、時折聞こえる。

才能の芽生え。

好きなスケッチで思いのままにドレスを描いてみた。

スケッチを直すだけで、布が生き物のように息づく。

店主の目に留まり、デザインの仕上げを命じられる。

だが、それは呪い。

店主の目が、嫉妬で曇る。

「余計なことを考えるんじゃない。お前は私の命じたことを忠実にこなしているだけだ。良いね。それを忘れるんじゃないよ」

他の針子たち...寡婦のサラ、病弱なベティ...が、私を羨む視線を向ける。

「メアリー、あんただけ特別扱い……」

いや、そんなものじゃない。

私たちは皆、同じ鎖で繋がれている。

周囲の仲間は一方で私に依存し、一方ではその才能を忌む。

複雑な感情が生まれる。

だが、私の存在が彼女たちの間で象徴化され始めたのは恐らくこの頃に始まったのであろう。

そのことを店主は利用した。

仕事が増えれば、私のせい。食事が減るのも私のせい。そのように印象を操作し始めた。

支配階級の仕打ちは、私を「代表」として集中させる。

【共感値:55%→75% 心的エネルギー消費:-20% 残量30%】


メアリー15歳。

メダム・エリーヌは宮廷ご用達の高級ドレスメーカーとしての地位を確立する。

社交界での人気は圧倒的になった。

店主の私に対する要求はさらに厳しくなる。

私のデザインが求められ、体が削られる。

この頃から時々、白日夢が見えるようになった。

懐かしい故郷で父も母も健在だ。

ホリーと一緒に朝靄の草原で野苺の実を摘んで口に含むと、酸っぱい中に微かな甘みで幸福感に満たされる。

ホリーが満面の笑みを浮かべて野苺を頬張り、口の周りは真っ赤になる。

夢は途切れ、絶望は前よりも手ごわい敵になって現実が襲い掛かる。

なぜだかわからないが、周囲の人たちの私への注目はさらに大きくなっていった。

それにつれて店主の私への仕打ちもより激しいものに変わっていった。


久しぶりにお針子道具の買い付けのため市場へ..

2人の仲間と共に出かける。

店の外は私たちにとって天国のように新鮮な空気を与えてくれた。

店を出てしばらく行ったところで若い男から声をかけられた。

「あの!少しお話を」

ジェームズと名乗った明るい目をした青年は、興味深い表情でメアリーを見つめていた。

「やっと、会えた。メアリー・ウォークナーさんですね」

青年は名刺を私に渡すが、文字を読むことが出来ない。

困惑する私に、

「ああ、失礼。雑誌記者ですよ。噂聞いてますよ。メダム・エリーヌのデザインはあなたですよね」

私はぎょっとなる。

「いいえ、違います」

私は必死に逃げた。

私だけが知らなかったのだ。

店主の憎しみに満ちた目、周囲の腫れ物扱いの態度の原因を。

顧客は単純なバカばかりではない。

デザインの微妙な違いから、異常に発達した嗅覚を使って、私の存在を嗅ぎ分け、それが噂となっていたのだ。

【共感値:75%→95% 心的エネルギー消費:-15% 残量15%】


メアリー17歳。

奇跡が起こった。

ああ!神に感謝します。

ホリーが私を訪ねてきたのだ。

あの幼かったホリーが美しい14歳の娘になっていた。

「姉ちゃん、会いたかった」

泣きじゃくるホリー。私も涙が止まらなかった。

私はホリーの話に驚きが隠せなかった。

繊維工場の過酷な環境は知っていた。

ホリーがどれだけ苦しい思いをしているのかと思えば、きれいな空気の中で安全管理された機械を使い、しかも、一日の労働時間は八時間。4人部屋だが独身寮まであり、結婚すれば個室の寮に入ることが出来るというのだ。

...ああ!あまりに辛い現実に夢を見てるんだね..

「可哀想な子」

ホリーを痛々しい思いで身体をさすってやった。

「違うんだ。姉ちゃん、本当のことなんだ」

ホリーは必死に説明して、すぐに私にここを辞めて工場に移るように迫る。

俄かには信じかねた。

それに直ぐに地獄の社交シーズンが始まる。

今、私がやめればこの部屋の誰かが倒れるまで働くこととなる。

それを乗り切ったあとで工場に行ってみよう。

ホリーの誇張があったとしてもここよりはましであろう。


社交シーズンのピークがはじまる。

王族の舞踏会用ドレスが山積みになると、30時間連続労働。

水とパンくずだけ、指は血まみれ、視界がぼやける。

咳が止まらず、肺に水が溜まる。

だが、なんとか乗り切れる。

そう思ったその日、運命の日が訪れる。


ジェームズ

あの雑誌記者の男が、強引にお針子部屋に乗り込んできた。

怒り狂う店主に対して、

「メアリーさん、取材をお願いします。サザーランド公爵夫人が陛下に送られたあのドレスは、あなたのデザインじゃないのですか?」

「警察を呼びますよ。出ていきなさい」

甲高いヒステリックで耳障りの悪い声が響き渡る。

それにも怯まずジェームズはお針子部屋に飛び込んできた。

二人の長身の同僚とともに力づくで入って来たのだ。

これを止めることは出来なかった。

入ってきた3人は別の意味で驚く。

「うっ!なんだ、ここは」

3人の逞しい男たちは口を押えて苦し気に咳き込む。

狭い部屋には、血の気の失せたやせ細った少女たちが、まるで幽鬼ように座り込んでいた。

ジェームズの明るい目がメアリーをとらえる。

「メアリーさん!あなたは....」

その時、通報で駆け付けた警察官が大声で叫ぶ。

「不法侵入と暴力行為の現行犯だ。逮捕しろ!」

彼らは拘束されて店から引きずり出された。

「あんたのせいだよ!」

店主の憎しみ。

それは既に周知のこととなり、その結末を固唾を呑んで見守っていた。

私は退職を申し出た。これ以上ここにいることは出来ない。


そして、事件が起こる。

染料の壺を持ってくるように命じられた私を誰かが突き飛ばした。

思わず手放した染料の壺は大量の絹生地を台無しにする。

その全てはメアリーの責任となった。

それは彼女の負債として計上され、返済するまで退職は許されなくなった。


ホリーが訪ねてくる。

一刻も早くここを出るのだと、強く私に迫る。

悲しみに胸が潰れそうになった。

「ダメなの……」

たった一人の妹と共に泣いた。

これほどの悲しみがあるのかと……

私が一体、何をしたのでしょうか?

初めて真剣に神に問うた。

これでホリーに会えるのは最後になるかもしれない。

ホリーが以前に持ってきた混紡繊維で仕立て上げた、彼女のための黒いドレス。

それを渡すことができたことは、せめてもの慰めであった。

悄然と帰っていく彼女を見送ると、すべての力が身体から奪われていくのが分かる。

だが、ホリーは定期的に通ってきて、マスクや食料を私のために置いていってくれた。

1年も経ったころ、店主はホリーの面会を禁じた。

ホリーが持ち込む食料などが店の規律を乱しているというのだ。

それ以来、会うことができなくなった。


ある日、日曜日の朝である。

黒いドレスを着た美しい女が、開店前の店のショーウィンドウを眺めていた。

それは私がデザインしたドレスをまとったホリーだった。

いつも片手でクロワッサンをかじりながら、コーヒーを飲んでいた。

「お行儀が悪いわよ。」

聞こえていないことは分かっていたが、そう語りかけることが唯一の楽しみであった。

彼女は毎週、日曜日の朝、ここを訪れていたのだ。

店主の要求はより厳しいものとなり、私は衰弱していった。

そんな生活が1年経過したころ、いつもの日曜日。

ホリーが来ていた。

いつもと違うのは、やはりショーウィンドウを覗いていた男の子がいたことだ。

ホリーはその男の子のほうへ、くるりと回転して振り向いた。

その仕草はもう、少女ではなく大人の女のように優美に見えた。

そして、何かを親しげに話しかけ、まるで陽の光のような明るい笑顔で楽しそうに笑った。

人の良さそうなその男の子が困ったような顔をするのは、なんだかおかしくて、私も笑ってしまった。

ホリーの幸福そうな顔を見ると、気持ちが安らぐ。

安心すると、身体の力がすべて抜けていくような感覚。

どれほどの無理が身体に蓄積し、蝕んできたのか。

今になって、それらが一斉に襲いかかってきた。

意識が遠のいていく。

召される時が来たのだ。

最後にホリーに会えた。

そして、名無しさん。ホリーをお願いね。

わずかな神の慈悲に感謝した。

諦めが心地よく、全身を満たしていく。


【共感値:95%→100% 心的エネルギー消費:-5% 残量10%】

オリバーの魂に、激しい衝撃が走る。

【エネルギー残量9%。危険領域に入りました。心的ダメージの衝撃に備えてください】

メアリーの呼吸は、今にも止まりそうだった。

肺に、もう息を吸う力がない。

「ホリー、ごめんね。もうあなたに会えない。一緒に行きたかったね。父さんと母さんと暮らしたあの村へ」

彼女は一筋の涙を流して、死を受け入れた。

それが唯一の救いであることを、悟ったのだ。

【『生存限界』を発動します。共感対象者と呼吸を共有します】

オリバーに、電撃のような衝撃が走る。

一方、メアリーの胸が、わずかに上下する。

呼吸が、繋がった。

【残量8%。ミトコンドリアの活性化を確認。オートファジーを全てマイトファジーに変換して効率を最大化します。肺細胞を集中再生します】

オリバーの視界が、歪む。

まるでメアリーの細胞内が、巨大な戦場のように広がる。

赤く腫れた肺胞が崩れ、毒素が渦巻く。HUDヘッドアップディスプレイが点滅し、数値が踊る。

修復率:0%。

オリバーは歯を食いしばり、精神を集中させる。

汗が額を伝い、心臓が爆発しそうに鳴る。

「うぉ~~」

まるで古のウォリアーのように目を見開き歯を食いしばってオリバーは叫んでいた。

【対象者の特定治癒ポイントを発見しました。術者の補助を必要とします。彼女の故郷へのゲートを映像化します。そのゲートを利用して彼女を導いてください。故郷に戻った幻想により、細胞再構成効率に100%のボーナスが付きます】

メアリーの意識が、ふと浮上する。

いつの間にか、ゆっくりと深い呼吸をしていることに気が付いた。

これほど深い息をするのは、いつ以来のことだろう。

ふと見ると、子犬のような影が私にすがりついてくる。

その毛並みは神々しく光っていた。

必死に、何かを伝えようとしている。

何度もメアリーの服を咥えて引っ張る。

その先には、光るトンネルが見えてきた。

「私、死ぬのね」

メアリーは安らかな気持ちで、子犬に導かれてトンネルをくぐる。

そこには、故郷の村が広がっていた。

青い空、黄金の麦畑、父さんと母さんの笑顔。ホリーの小さな手が、こちらを振る。

喜びに胸が満たされる。涙が、止まらない。

【特定治癒ポイント効果及び小回復スキル...ブーストがかかりました。修復率45、56、67……75%。エネルギー残量2%。緊急離脱します】  

「ぶはぁ~!」

オリバーは、深い水底から上がってきたように、大きく息を吐いた。

メアリーのベッドサイドで、彼女の胸が規則的に上下している。

生きてる。

それを確認すると視界がクリアに戻り、HUDがフェードアウトする。

目を開くとコテージにベットの上に居た。

予め用意した、蜂蜜の壺に口を突っ込み、ごくごくと飲み干す。

応急措置だが、これでカロリーは急速に回復する。

【当面の危機は脱しました。クエストの序盤部分は成功です】

「これが序盤かよ....」

オリバーは苦笑し、額の汗を拭った。

まだ、終わっていない。

本番はこれからだ。

そう考えながらオリバーは深い眠りに落ちていった..


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