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第88話 ホリー

才能のある女性デザイナー候補を発掘し、一から育てる。

オリバーの目標は定まった。

狙い目は、仕立て屋でお針子として下働きをしている女性たちだ。

だが、彼女たちの反応は男性デザイナーと同じだった。

仕事を失うことを恐れているのだ。


ふと、オリバーの目を奪ったのは瀟洒なブティック《メダム・エリーヌ》のショーウィンドウに飾られたドレスだった。

それは彼が開発した混紡繊維の可能性を確信させるほど美しいデザインだった。

「はぁ……」

オリバーは大きくため息をついた。

このセンスを混紡繊維で活かしてくれる者がいれば、どれほど美しいドレスが生まれることか。

そう思うとまたため息が漏れた。

だが次の瞬間、彼は思わず足を止める。

馬車から降りて来た女が店の前でその足を止める。

クロワッサンを片手にコーヒーを飲みながら、うっとりとドレスを眺めているその女性に目が釘付けになったのだ。

夜の影のように彼女を包み込む黒のドレス。

大胆でありながら品のあるデザインセンスだった。

細い肩紐が肌をかすめ、背中を大胆に露わにしたオープンバックが、朝陽にきらめく鎖骨を際立たせている。

シルクのように見える生地は腰から裾へと滑らかに落ち、膝下で控えめに広がるAラインのシルエットは、風に揺れるたびに微かなさざ波を立てていた。

「はぁ……」

オリバーは別の意味でため息をつく。

一体、誰がこれほどのドレスを仕立てたのだろうか。


ふと、その女性が優美な仕草で振り返った。

黒のサングラスをずらし、切れ長の美しい目がオリバーを射抜く。

「なんだい!どこのエロオヤジがジロジロと見てるかと思ったら……あんた、オリバーじゃないか」

オリバーはギョッとした。

見覚えのある顔。

チャドウィック家の繊維工場で働く女工、ホリーだった。

彼女はかつて仲間の女工たちとオリバーをからかい、女子寮へ誘ったことがある。

正直、苦手な相手だった。

(まずい……)

「オリバー、誰ですか、それ?」

踵を返して逃げ出そうとしたが遅かった。

面白い玩具を見つけたかのように、ホリーはオリバーの腕をがしりと掴んだ。

「あたしから逃げ出そうなんて、いい度胸だね。せっかくだ、朝飯でも食いに行こうじゃないか。ごちそうしてくれるんだろ?」

楽しそうにニヤリと笑う。

「えっ!俺のおごりかよ?」

「当たり前だろ。女を誘っておいて金をケチるなんて、男の恥だよ」

誘ってないだろ、と言いたかったが、この女に常識は通じない。

だが、改めてホリーの黒いドレスに目をやった瞬間、息を呑んだ。

それは工場の女工が着るにはあまりにも上質で、彼女の白い肌と切れ長の目を一層引き立てていた。

「その服……どうしたんだ?」

「これかい?姉さんが仕立ててくれたんだよ。工場の二級品の混紡繊維を買い取って仕立てたのさ」

ホリーは自慢げに笑い、その場でくるりと回ってみせる。

オリバーの顎が落ちた。

「二級品?そんな馬鹿な……どう見ても絹だろ、これ!」

そこには、仕立て屋の技量が凝縮されていた。


「で、ででで、デザインは誰が?」

「姉さんだよ」

再びオリバーの顎が落ちた。

天才だ!

「その姉さんはどこにいるんだ?」

「ここだ……」

ホリーは寂しげに目を伏せる。

「あんたに頼みたいことがあるんだ」

いつもの調子とは違う真剣な目で見つめられ、オリバーは少し戸惑った。

「いや、まあ話は聞くよ。でも、姉さんに会いに来たんじゃないのか?」

「そのつもりだったんだけどさ……」

「なあ、ホリー。何か事情があるんだろ?」

いつものホリーらしくない態度。訳ありに違いない。

それにしても、彼女は朝っぱらからどうしてこんな豪華なドレスを着ているのか?

疑問がむくむくと湧き上がる。

「私、リージェント・ストリートのカフェ・ロイヤルに行きたいんだ。あそこのジャムが美味しいらしいんだよ」

ホリーが媚びるように上目遣いでオリバーを見る。

ドレスのせいか、恐ろしいほどの色気を放っていた。

…これは断れない。…

オリバーは肩を落とし、頷くしかなかった。


結局、オリバーのおごりでカフェ・ロイヤルに行くことになった。

街を二人で歩くと、皆がホリーに注目した。

オリバーは従者か護衛にでも見えたのか、店ではホリーには即座に案内がついたが、オリバーは無視だった。

しばらく他愛もない話を交わし、ホリーはなかなか本題を切り出さない。

オリバーはそろそろ財布の中身が心配になってきた。

「……で、話ってなんだよ?」

ホリーは遠慮なくスコーンやジャムを注文しながら、あくび混じりに言った。

「あ〜あ、せっかく現実を忘れて楽しんでたのに……お前って本当に気が利かない奴だな」

…放っとけ!…

オリバーは拗ねたように横を向いた。

その時、仕立ての良い服を着た紳士が声をかけてきた。

「ホリー!君か?昨晩は楽しかったな。君が週末だけなんて残念だよ。来週もぜひお願いするよ」

そう言い残して紳士は去っていった。

「誰だよ、あれ?」

「ああ、あれね。客だよ」

「お前……何やってるんだ?」

「誤解するなよ。ダンスクラブで踊ってるだけさ。それなりの稼ぎになるんだ」

「お前、工場でもそれなりに稼いでるだろ?足りないのか?」

「全然、足りないねぇ」

「なんでだよ」

その問いに、ホリーの顔が急に歪んだ。

…泣いてる?…

オリバーは驚き、狼狽した。

この状況で泣かれるとは、一体どういうことだ。

前世の中年時代の経験からすれば、これは騙されるパターンだ。

【表情筋を読みましたが、嘘泣きではありませんよ。あなたも天眼智でそれくらい読めるでしょう】

…ヨーダ!お前、いたのか!…

「オリバー、あんた工場の上の人に顔が利くだろ。姉さんを助けてくれ」

そして、ホリーはついに打ち明けた。

それはビクトリア時代ではありがちな過酷な一人の女の話であった。

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オリバーも女性には弱いのね
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