第78話 落ちぶれて
ダンカンに残された資金は底を突きかけていた。
そのため、今では、ビルマに赴任中の兄エドワードの留守宅へ小銭をせびりに行く。
それが日課となっていた。
応対に出た執事は、ダンカンの顔を見るなり苦々しい表情を浮かべる。
「いいのか?アシュベルン伯爵家の名誉。それを守るのが、兄君の留守を預かるおまえの役目じゃねえのか」
「私を脅すつもりか」
「脅し?何を言ってる。ただ、金がなければ結局どんな結果になるか……想像力を働かせることだな」
二度と来るなと言いながらも、執事は渋々小金を渡した。
それを酒と賭け事で使い果たすと、ダンカンはまたやって来る。
今や彼はアシュベルン家の疫病神だった。
ロンドンの安酒場。
「二度と来るな!」
酔いつぶれたダンカンは、罵声と共に雨の路地へ放り出された。
惨めだった。
「ふざけるな……オレを誰だと思っている。いつか後悔させてやる、必ずだ!必ずだ!」
馬糞まみれの路地に転がりながら呪詛を吐く。だが、誰も相手にしない。
….のはずだった。
「あの、ダンカン様でいらっしゃいますか?」
仕立ての良い服を纏った男が声をかけてきた。
酔眼にかすむ目で、ダンカンは男を睨む。
「ダンカン様だと?ああそうだ、ダンカン様だよ。それがどうした!」
面白くもなさそうに笑う。だがそれは、狂気じみた哄笑に近かった。
しかし男は怯む様子もない。
「私どもの主人がお話したいと申しております。ご同道願えませんでしょうか」
「主人?誰だ」
「詳しくは馬車にて。おい、ご案内しろ」
屈強な二人の男がダンカンを抱え上げるようにして馬車へ押し込む。
辿り着いたのは、贅を尽くした豪奢な建物。
玄関には「エバンス商会」の看板が掲げられていた。
支配人室に通されたダンカンの前に、一人の男が現れた。
「ダンカン様ですね。私はこの商会の支配人、エバンスと申します。どうぞお見知りおきを」
「……何の真似だ。貴族の落ちぶれた姿を笑いに来たか」
「惨め?とんでもない。あなたは被害者ですよ。ただ、運が悪かっただけです。私はその運命に同情し、何かお力になれぬかと考えた次第です」
「目的は何だ」
「目的など。ただ、貴族であるあなたがこのまま不遇に甘んじる必要はないと思いましてね」
エバンスの目は笑っていない。
「率直に申し上げましょう。養蚕事業の権利、あなたにも主張の余地があると考えております」
「なんだと?」
「ナンシーという老婆は目が見えないとか。そして孫のオリバーはまだ十三歳。林地を適切に管理できるとは到底思えませんな。違いますか?」
「……何が言いたい」
酔いを振り払うように、ダンカンは頭を振った。
「管理が行き届かなければ、いつ何が起こるかわからない。それはあなたにとって将来の不利益に直結します。不服を申し立てる権利は、あなたにある」
「だが……裁判には金がかかる」
「心配には及びません。同情的な弁護士もおりますし、リッチ・ボイヤー判事のお考えも……」
「なぜそれを知っている」
「ははは、私を信じていただければよろしい。悪いようには致しません」
否も応もなかった。
その夜ダンカンは久方ぶりに、メイドに仕えられ、柔らかな寝台に身を沈めた。
これこそが本来の自分の姿。
エバンスという男は信用ならない。だが、敵ではない。
何より、あのガキ...オリバーの成功など許せなかった。
ダンカンの心には、理不尽な憎悪がじわじわと広がっていった。




