第76話 狐と狸
ブラウンロウには、モンクスという甥が一人いた。
「叔父上が絹の混紡事業に投資しているだって?」
その話を聞いたモンクスは考え込む。
彼は貿易会社を営んでおり、主要な輸入品目の一つが絹だった。
早速、秘書を呼んで情報収集をさせる。
事業は順調に進んでいた。
国産の蚕繭を使い、絹・麻・綿の混紡繊維を開発しているという。
その中心人物は、ハムステッド村で養蚕を始めた十三歳の少年オリバーだとの報告だった。
彼が作ったとされる事業計画書も入手された。
「十三歳?そんな子供が……」
眉唾な話にモンクスは眉をぴくつかせる。
ふと、十三年前に失踪した従妹アグネスの記憶がなぜか甦り、すぐに消えた。
胸の奥にざらついた違和感が残る。
「エバンスさんにアポを取ってもらえるか?」
彼はエバンス商会のエバンス氏に会いに行く。
エバンスはかつて東インド会社で共に働いた同僚であり先輩でもあったが、今は同じ業界のライバルでもあった。
「モンクスか。何の用だ?」
「あなたのところの絹の事業はどんな調子ですか?」
「順調だ。絹は高く売れる。そんなことを聞くために来たのか?」
モンクスはニヤリと笑ってソファに腰を下ろした。
エバンスの屋敷はいつ来ても装飾過多で、金の匂いと競争心が同居していた。
「実はね。私の叔父が新しい事業に投資を始めたようなんですよ」
「ほう!」
エバンスの目が猫のように光る。
ブラウンロウが動けば多額の資金が動く。
うまく利権に絡めば、中間マージンだけでも莫大な利益となる。
その様子を見てモンクスは心の中でほくそ笑む。
だが、小さな工場一つの話だと聞いて、エバンスの興味は急速に冷めた。
「ですが、あなたのところも絹の輸入でかなりの利益を上げているのでは?」
「だからなんだ?たかだか小さな工場が混紡繊維を多少売ったところで、絹の需要の一%にも満たん。我々の事業に大きな影響はない」
その言葉に、モンクスはテーブルに視線を落とした。
冷笑を隠すためだ。
エバンスの目は鋭い。
「それはその通りですね。ですが、叔父が関わっているとなると、少し気になるのでは?」
「ふん、じいさんの気まぐれだろう。新しいおもちゃを見つけた気分なんじゃないか?」
「小さな事業でも有望なら、見逃す手はないのでは?」
「それが俺に何の関係がある?」
空気が一瞬、重くなる。
互いに腹の探り合いをしているのがはっきり分かる。
「まあ、つれないことを。では率直に申し上げましょう。叔父は恐らく混紡繊維で一儲けしようと考えている。そして私も、この事業に興味がある。この事業の将来性は高い。」
「なら、ブラウンロウのところへ行け」
「投資枠はすべて埋まったようですね」
「なら諦めろ」
「諦める?とんでもない」
モンクスの口元には笑みがあったが、その瞳の奥は冷ややかだった。
「何が言いたい?」
「実は、原材料はすべて国産の絹・麻・綿なのです。その養蚕事業の中心人物が、例の十三歳の少年だと」
「ほう、大した少年ではないか」
「まったくです。恐らく裏で誰かが動いているのでしょう」
ここで一拍、沈黙が流れる。
外の馬車の車輪の音がやけに響いた。
「ブラウンロウじゃないのか?」
「叔父はそんな面倒なことはしません」
「じゃあ誰だ?」
「それはまだ分かりません。ただ、面白い情報がありまして」
「なんだ?」
「養蚕の桑林は、その少年の祖母が利用権を持つだけの土地だというのです」
「利用権だけ?本来の所有権は誰だ?」
「ダンカンという男です。彼女が亡くなれば相続権を持つそうです」
「では、その土地はやがてダンカンのものになる?」
「ええ。ただ、胡散臭い話がありましてね」
モンクスは、ダンカンと祖母、つまりナンシーとの間で裁判が行われた経緯を説明した。
エバンスの唇がゆがむ。
「なるほど……お前の好きそうな話だな」
「ダンカンという男、実に胡散臭い。しかし、その男が今は窮地にある」
「なぜだ?裁判に勝ったんだろう?後は婆さんが死ぬのを待つだけでおいしい話が転がり込むじゃないか」
「はは、確かにそうですね。ですが彼には事情がある」
「ほう、なんだ?」
「つまり今、文無しなんです」
「破産したのか?」
「その通りです。わずかに残った現金も、ほとんど使い果たしたようです」
「ふん、無能な男だ」
モンクスは小さくうなずいた。
そこに優越感と軽蔑が混じる。
「まったくです。そこで私は、彼から桑林の所有権を買い取りたい」
「はは!お前のことだ、相場の半額まで値切るつもりだろう。哀れな被害者がまた一人増えるな」
「人聞きの悪いことを言わないでください。それじゃ、私がまるでユダヤの金貸しみたいじゃないですか」
「たいして違わんだろ?……で、俺に何をやらせたい?」
モンクスは気まずそうに咳払いした。
「叔父が関わる事業なので、表立って土地を買ったことを知られたくないのです」
「ふっ、なるほどな。お前はブラウンロウの財産を狙っているからな。まさにハゲタカだ」
「ありがとうございます。誉め言葉として受け取っておきますよ」
「……で、俺の名前を貸せ、と?」
「話が早くて助かります。利益の三割でどうでしょう」
「残念だ。話にならん」
交渉の空気は一気に冷たくなる。
しかし最終的に、モンクス六割、エバンス四割で話はまとまった。
二人は早速、ダンカンとの面会を手配する。




