第75話 危険なスキル
じりじりと精神が削られていくのが分かる。
【注意してください。あなたの自我は今、潜在スペクトルと同化中です。自我消失までのカウントダウンを開始します】
自我の消失は実質、死と同義だった。
『超共感』。
このスキルを使用すると、心的エネルギーをすべて使い切った時点で自己の自我意識は共感中の相手に吸収され、消失してしまう。
恐ろしいリスクを背負った、使い勝手最悪のスキルである。
ヨーダの声と同時に、大量の幻影が立ち上がる。
これはメタ認知モードの影響で、自我意識がもつ感情と記憶のすべてを、走馬灯のように一度に俯瞰できるのだ。
これを仮に「メタ認知情報」と呼ぶこととする。
オリバーは前世で見た都市伝説系ユーチューバーの話を思い出していた。
彼は盛んに「多元宇宙」「五次元的視点」を解説していた。
人間は三次元の存在でありながら、意識だけは四次元、五次元を垣間見ることができる。
未来を想像し、過去を思い出し、別の可能性を推測する。
その積み重ねが意識の特殊能力だ、と。
都市伝説めいた話だと笑っていたはずだった。
だが今、オリバーはそのすべてを体験している。
これはまさに映画「インター…テラー」の世界だ。
無数の未来と過去が、光の糸のように絡み合い、ひとつの網目となって広がっている。
それを究極まで高速化して一瞬で俯瞰し、他者の潜在意識に触れる。
これこそが、メタ認知モードの本質だった。
この認知モードを使って他人の潜在意識の中にある情報を5次元認知する。
これが『超共感』スキルの機能だ。
共感する範囲は相手の表層意識に現れてこない潜在意識も含まれている。
そのため、既に失われた情報ですら再生されてしまうのだ。
…誰の自我意識なんだ?…
【恐らくダンカンのものです】
…なんで、よりによって!…
メタ認知情報を時系列に再構成すると、それが過去の記憶の中の情景であるように見えた。
オリバー(すなわち共感中のダンカンの自我意識)は、村の女に鞭を振り下ろす自分を見ていた。
女は泥にまみれ、地面に額を擦りつけて平伏する。
農民は醜く、薄汚く、愚かで節操がない。
「愚か者が!」
オリバーは嫌悪感に顔を歪め、再び鞭を打つ。
「これでは地を這う虫とさほど変わりがないではないか?」
それが彼の本心だった。
だが、この情報はオリバーの求めるものとはまったく関連がなかった。
場面が変わる。
人相の悪い男に命令を下していた。
父上はまた、俺を軽んじた。
なぜ女中ごときに温情を与える。
女中頭だった女に小さなコテージと広大な林地の利用権を与えたうえ、遺書に「所有権に変更して贈与する」と残していたのだ。
林地には薪の採取以外にはたいした価値はなかった。
だが、二人の兄たちと比較して、なぜ自分の相続分が半分に満たないのだ。
それは本来、自分が受け取るべきものを赤の他人に与えてしまったからだ。
分不相応な施しがどれほどオリバーを苛立たせるか、まるで理解していない。
遺書には、消えてもらわなければならない。
人相の悪い男はオリバーに尋ねる。
「殺しても良いんですかい?」
「好きにしろ。だが遺書だけは俺のところへ持ってこい」
人が一人死ぬかもしれない。だが、それがなんだというのだ。
村人などネズミと同じように増えたり減ったりする。
自分が気にするほどのことではなかった。
この情報だ!
【情報の獲得に成功しました。メタ認知モードを解除してください】
ヨーダの声が鞭のようにオリバーを打つ。
…簡単に言いやがって…
ヨーダの言葉に、オリバーは内心で舌打ちをする。
実はここからが大変なのだ。
ダンカンの潜在意識の持つ強力なエネルギーに飲まれかけた自我を、必死に『精神強化』と『平静』で引き戻す。
この二つのスキルとセットでなければ危険どころか自殺行為になりかねない。
これがこのスキルの最大の特徴だ。
全身から力が抜け、視界が白く霞む。
【心的エネルギーの最大値が上昇しました。精神強化がレベル7に上昇しました】
ベッドに崩れ落ちながら、オリバーは息を吐いた。
…危なすぎるスキルだな…
特に今日のダンカンとの共感はかなり危なかった。
『平静』スキルがすでにレベル10で受動発動になっていなければ、恐怖感だけで心的エネルギーが枯渇しかねなかった。
『平静』スキルはそれを中和してくれたことで、生還できたと言って過言ではない。
ヨーダは『精神強化』レベル6程度で『平静』レベル10が受動発動中であれば、生還率は99%なので問題はないとの判断をしていた。
…残り1%もあるじゃねぇかよ!…
と突っ込みたくもなる。
【大成果ですね。ダンカンが殺害を指示していたのはナンシーさんの息子でしょう。そして指示を受けていた男は…】
…ああ、あいつを俺は知っている…
その男の顔は見たことがあった。
馬車に乗ったナンシーの孫のオリバーを弓で射殺した男と同一人物だ。
彼はジャックと呼ばれていた。
【次はジャックを逆引きしましょう。村人の記憶の断片を検索するのです】
…逆引きってなんだよ?…
と思った。
これは『心眼智』の応用編だ。
『心眼智』で意識を広げ、村人全体に「ジャック」のイメージを投影する。
「ジャック」が誰かの記憶の底にあれば、なんらかの反応が返ってくる。
一瞬、強い反応が返るが、すぐに消えた。
だが、それが誰であるかは特定できた。
それはハムステッド村の高齢の老婆。
オリバーは直接会いに行く。
しかし彼女は、過去どころか今日の食事すら思い出せない。
認知症に冒されていたのだ。
残念ながら有効な情報を引き出すことは不可能だった。
せっかくの手掛かりは、また途絶えてしまった。
結局、遺書の手がかりは見つけることはできなかったが、心的エネルギーの最大値の上昇と『精神強化』『平静』スキルが共にレベル10に上がる成果があった。
さらに、ダンカンは一つ大きな考え違いをしている。
盲目のナンシーとまだ幼いオリバーは、暴力で簡単に消せると単純に信じ込んでいるのだ。
だがロンドンの魔窟・セント・ジャイルズの暴力集団がオリバーによって壊滅させられたという事実を、ダンカンは知らない。
一人や二人程度の安い刺客を送ったところで、簡単に返り討ちにされることを。
ナンシーのコテージに近づく怪しい男たちは、ことごとく般若面の男の制裁の対象となった。
やがて、誰もダンカンの口車に乗る者はいなくなる。
そのうち宿に泊まる資金も尽きれば、村を出ていくしかなくなる。
そして、さらにダンカンにとって信じられない事実が発覚する。
ダンカンの牧場と家屋敷を買った人物はブラウンロウだったのだ。
牧場は廃止され、ハムステッド村を再建することが約束された。
村人たちは、もともと村のあった場所への居住を許される。
これでダンカンにできることはなくなったはずだ。
裁判に勝った時の余裕はすでに消えていた。
こうなれば遺書など探す必要はない。
ダンカンに資金が尽きて出ていくのを待つばかりだった。
問題は解決したように見えた。




