第74話 口頭弁論
「オリバー、吉報だ。ダンカンが破産した」
ダンカンの不幸にブライアンの言葉は容赦ない。
「やっぱり!」
「なんだ、知っていたのか?」
「いえ……なんとなく、そんな気がしていただけです。ダンカンはどうしたのですか?」
「家屋敷も人手に渡り、今はウィットフィールド村の宿にいるそうだ。執事のアンセルに全財産を持ち逃げされたらしい」
「裁判はどうなりますか?」
「ダンカンに裁判費用を払う資金はないはずだ。うまくいけば被告代理人不在で、ナンシーの勝訴がそのまま結審するかもしれん」
妻子にも逃げられ、悲惨な状況だった。
そのことはオリバーも心眼智で知っている。
だが、奇妙なことにダンカンは宿に居座り、焦る様子をまったく見せない。
屋敷にいた頃と同じように、宿の最上の部屋を借り、傲慢な態度を崩していない。
資金があるのは確かだが、それも長くは持つまい。
一方オリバー側は、多数の証人の供述書をすでに提出済みだった。
特に、かつてのハムステッド村教会牧師と、領主の弁護士助手であった若者の証言は、極めて信頼性が高いとデックス弁護士も確信していた。
牧師を弁護士助手の証言は判決を有利に導くはずだ。
ロンドン郊外の衡平法裁判所。
小さな法廷は、ウィットフィールドやハムステッドの住民で埋め尽くされていた。
彼らにとって、この裁判は生活の行方を左右する重大なものだった。
それにしても、ダンカンは驚くほど人徳がない。
ダンカンが村に対して行った『囲い込み』は例え合法であっても、村人から見ると詐欺に近い。
既にダンカンを支持する村人など一人も居ない。
それどころか強い敵意と反感を持っている。
そんなダンカンに自分たちの「養蚕事業を乗っ取られたたまるか」と考えるのは当然の心情であった。
デックス弁護士が立ち上がる。
「裁判長。この件につき、複数の証人による供述書を提出しております。第一に、ハムステッド村教会の牧師。第二に、故領主の弁護士助手であった人物。彼らは共に、領主の遺書を直接確認したと証言しており、土地はナンシー夫人に譲渡されるべきだと明言しております」
傍聴席からざわめきが起こる。
ハムステッドの人々の間では遺書の存在は周知の事実であった。
だが、ダンカンの顔が不気味に自信に満ちている。
オリバーはその表情に妙に引っかかりを憶える。
やせ細ったダンカンの弁護士が立ち上がる。
「裁判長。我が依頼人は代々この土地を所有してきました。原告側の提出した供述書は、ただの紙切れにすぎません。遺書そのものが存在しない以上、証言の信憑性など担保できないのです」
説得力のない弁論に、傍聴席から嘲笑が漏れる。
だがダンカンは椅子にふんぞり返り、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
…怪しいな。…
【そうですね。心眼智で判事の表情を観察してください】
オリバーが視線を定めると、判事の表情から様々な感情が読み取れた。
「不本意」「屈辱」「悔悟」、そして「隠された怒り」。
平静とは言い難い。
「静粛に」
リッチ・ボイヤー判事は机を叩き、淡々と告げた。
額にはうっすらと汗がにじんでいる。
大きく息を吸い込んで、意を決したように述べ始める。
「供述書に証拠能力は認めない。被告側が証人喚問を要請していない以上、証言の真正性は検証不能である。よって本件は、被告ダンカン氏の勝訴とし、ここに結審する」
一瞬、法廷は凍りついた。
「なっ……!」
デックスが立ち上がり抗議する。
「裁判長!証人は健在です。審議を継続し、喚問を行うべきでは...」
「不要です」
判事は冷徹に遮った。
傍聴席が怒号と悲鳴に包まれる。
オリバーは立ち上がり、判事を鋭く睨みつけた。
その視線に判事は一瞬たじろいだが、すぐに表情を取り繕った。
ダンカンは立ち上がり、高笑いを響かせる。
「ははは!見たか!俺を出し抜こうなど百年早い!」
【推論の結果が出ました。99%の確率で、判事はダンカンに弱みを握られています。この裁判は不正です】
判事は足早に退廷した。
オリバーは廊下で追いつき、声をかける。
「判事さん、少しだけ」
「君は……原告のオリバーか。裁判は終わった。個人的な話は慎むべきだ」
オリバーは真剣な表情で判事を見据えた。
「判決のことを責めたいわけじゃありません。言いたいのは、あなたが失いかけているものについてです」
「な、なんだと……!」
判事の顔色が蒼白になる。
「判事には判事の、農民には農民の、それぞれの誇りがあります。それを失えば、その人の人生は奈落に落ちるのと同じです。俺が言いたいのは、それだけです」
そう言い残し、オリバーは踵を返した。
振り返ると、判事は窓の外のイチョウを見つめ、自嘲気味に呟いた。
「勝手なことばかり言いよって……」
しかし次の瞬間、声の調子が変わる。
「遺書を探してくるのだ。私はそれを待っている」
その言葉にオリバーは一礼し、その場を去った。
…遺書か。簡単に言ってくれるぜ。それがないから苦労してるんだろ…
【ですが、遺書さえあれば裁判に勝てます。判事はそう言ったのです】
…いや、偽物を作れって意味じゃないだろ。あの人、まだ正義感は残ってるはずだ…
【偽物ではなく、再生するのです。弁護士の息子が内容をよく覚えているのでしょう? 紛失したから再生した、という形なら法律的にも通ります】
…でも、判事はダンカンに弱みを握られている。認めるだろうか?…
【領主の長男エドワード氏の裏付けがあれば話は変わります。ビルマに送って事情を説明するのです。ナンシーさんの命が狙われていると知れば、必ず味方してくれるはずです】
…だが時間がかかりすぎる。その間にダンカンが何を仕掛けるか分かったもんじゃない…
ダンカンにとっては、ナンシーさえ消えれば養蚕事業を手に入れられると信じている。黙って待つはずがない。
【では、遺書を探しますか?】
…探せるならとっくに見つけてる…
【一つ、試す価値のある方法があります】
…なんだって?…
【ハムステッド村の住人すべてと『超共感』スキルで接続してください。彼らの記憶や感情の断片から、遺書の行方を示す手掛かりを見つけられるかもしれません】
…本当に意味があるのか? 知ってるならもう見つかってるだろ…
【そうとは限りません。断片的な記憶が誰かに残っている可能性は高い。確率にして三割、それだけあれば挑む価値はある】
…なんでそんなこと分かるんだよ?…
【単純に村人の記憶を共有するのではなく、メタ認知を用いて再構築し、有効な情報だけを抽出するのです】
ヨーダの言葉は難解で、オリバーにはよく理解できなかった。
だが、有効ならそれで構わない。
【ただし、『超共感』は極めて危険です。精神を大きく消耗します。その代わり、『精神強化』のレベルが飛躍的に上がるでしょう】
危険でも構わない。ナンシーを守れるのなら、わずかな可能性にでも賭けるべきだ。
遺書の再生は同時並行で進めればいい。
デックス弁護士に確認すると、エドワード氏の裏付けがあれば上訴の見込みは極めて高い。判事も無視はできないはずだ、という結論だった。
オリバーは意を決する。




