第72話 没落
ダンカンの屋敷。
高価な家具や絵画が並ぶ応接間も、どこか寂れた雰囲気を帯びていた。
昼間なのにカーテンは半分閉ざされ、埃っぽい光が差し込んでいる。
執事を失い、屋敷の管理は目に見えて乱れ始めていた。
そこへ弁護士が重い足取りでやって来る。
「旦那様、率直に申し上げます」
書類の束を机に置き、沈痛な面持ちで続けた。
「家屋敷と牧場を売却なさること。牧童や警備員、屋敷の使用人の解雇。これ以上債務を膨らませれば、取り返しがつきません。」
「馬鹿な!私は地主だぞ。この私が屋敷を売り払うだと?」
ダンカンは顔を真っ赤にして怒鳴ったが、弁護士は目を伏せたまま静かに言葉を重ねた。
「旦那様、これは現実です。それに....裁判の件ですが」
弁護士は一瞬ためらった後、深く頭を下げた。
「私もこの件からは手を引かせていただきたく存じます。その代わり、屋敷と牧場の整理だけは誠心誠意、務めさせていただきます。」
理由は告げない。
だが表情には「勝ち目がない」「あなたに巻き込まれるのは御免だ」という意思がありありとにじんでいた。
「ちょっと待て……!」
「残念ですが、これがあなたとの最後の仕事とさせていただきます。」
「貴様まで……!」
机を叩くダンカン。
だが弁護士は静かに頭を下げ、書類を残して部屋を去った。
残されたダンカンは椅子に崩れ落ちる。
窓の外では牧童たちがざわめき、給料未払いの噂が広まりつつある。
ゴロツキたちも、もはやいつ裏切るか分からなかった。
「金」と「味方」が次々と消えていく。
その現実が、じわじわと迫っていた。
数日のうちに弁護士の手腕で屋敷と牧場の売却先は決まった。
だが市場価格の三分の二程度。
牧童や使用人への未払い賃金を清算した結果、ダンカン牧場の倒産は大きな混乱もなく完了した。
…と思ったのは甘かった。
「おい、ダンカン。今まで世話になったな!」
そう言いつつ、ごろつきの一人が腹に拳を叩き込む。
息が詰まり、その場に蹲る。
「誰が倒れていいと言った!与太ってんじゃねぇぞ!」
最初はニヤニヤしていた連中の顔が、次第に怒りで歪んでいく。
今までの理不尽を思い出したのだろう。
彼らはダンカンを散々小突き回し、侮辱的な暴言を吐き捨てて去っていった。
苛立ちと絶望の渦の中、ダンカンはひとり広間でウィスキーを煽っていた。
その時...、
廊下の奥から物音がする。
覗いてみると、妻クラリッサが二人の息子(長男ヘンリーと次男トマス)を伴い、大きな鞄を抱えているのが目に入った。
「おい、何をしている!」
クラリッサは顔を青ざめさせ、きつく唇を噛んだ。
「見れば分かるでしょう。私は子どもたちを連れて屋敷を出ます」
「なんだと?」
「あなたと一緒にいては破滅するだけ。アンセルも金も消え、弁護士にも見限られた。もう希望なんてない!」
クラリッサの腕を乱暴につかむ。
「勝手は許さん!お前はこの屋敷の女主人だ、逃げるなど...」
「屋敷?どこにあるのです?これはもう、あなたのものではないのですよ」
クラリッサは必死に振り払おうとするが、力では敵わない。
その時、次男トマスが叫んだ。
「お母さんを離せ!」
小さな体で父の腕に組み付き、必死に引き剥がそうとする。
敵愾心に満ちたその目は父親を見るものではなかった。
長男ヘンリーも母の前に立ちふさがり、父を睨みつけた。
「父さん、いい加減にしてください。ぼくたちは、もうあなたを信じられない」
ダンカンは言葉を失った。
己の血を分けた息子にまで見限られた。
その事実は、どんな屈辱よりも重く胸を圧迫する。
クラリッサは涙をこらえながら子を抱き寄せ、低く告げた。
「私たちはもう、あなたと心中するつもりはありません。これでお別れです」
三人は屋敷を後にし、残されたのはダンカンと虚ろな広間だけ。
屋敷の庭先には、秋風に舞う枯れ葉が絶え間なく散っていた。
枝を晒した樹々は黒々とした影を落とし、主の衰えを映すかのようだった。
クラリッサと二人の息子の背が遠ざかっていく。
ダンカンは玄関先に立ち尽くし、ただその姿を見送るしかなかった。
足元に一枚の枯れ葉が落ちてくる。
拾い上げようとした瞬間、乾いた葉は指先で粉々に砕けた。
「クソッ……どいつもこいつも……!」
声は低く掠れ、やがて獣のような唸りに変わる。
やがて、ダンカンの魂は暗い孤独の闇に飲み込まれていった。
胸の奥底に残ったのは、凍りつくような孤独と、炎のような怒りだけ。
「オリバー……お前さえ……お前さえいなければ!」
なぜか分からない。
だがこの時、ダンカンの心にオリバーへの激しい憎悪と敵愾心が芽生えた。
手近な成功者に向けた嫉妬かもしれない。
だがそれはやがて、執念に変わっていく。
何が何でも破滅させてやる。
一度は怒りのまま立ち上がったが、めまいを覚えてソファに崩れ落ちる。
ふと、机の上の裁判所からの封筒に目が止まった。
そこに記された担当判事の名。
どこかで聞いた名だった。
やがて、記憶は鮮明になってくる。
「そうだ、あいつだ」
どんな手段を使おうとも最後に勝ったものが正義なのだ。
そうダンカンは信じて疑わなかった。
ダンカンの口元に、不気味な笑みが広がっていく。




