第7話 オリバーは考える
「異常だ....」
オレはつぶやいた。
この救貧院というところはやたらと貧乏人に厳しいことは知っていたが、たかだかもう少し食わせろと頼んだくらいでマン夫人のあの激高ぶりはどう考えてもオレには精神異常者にしか見えなかった。
【状況説明が必要でしょうか?】
オレの疑問に呼応してヨーダの声がする。
...あのババアってちょっと頭の神経が切れてるじゃねぇの?てか、やばい奴?...
【いいえ、精神病の類ではありません。】
...じゃ、何なんだよ?...
【イギリスではこれまでエリザベス救貧法によって、貧民の保護をしてきました。しかし、1834年に制定された新救貧法は、怠惰な者を罰するために制度化された、道徳的経済装置です。中央政府の知識人たちはこう考えました――
『もし、働かない人間の方が楽な暮らしをしていると、国中が働かなくなる』】
...そりゃまあ、そうかもな...
【そこで彼らは、こう決めたのです――
『救貧院の生活は、最下層の労働者よりも常に劣悪であるべきだ』と。
空腹、孤独、屈辱、強制労働――それらすべては、“怠けた報い”として制度的に設計されました。】
...なんだそりゃ?...一見筋は通っているようで、何かがおかしい。そんな発想のように思える。
【現時点でのイギリスの中央政府の政治思想が極めてあなたのような立場の貧困者に過酷であることが彼女の残忍な言動を正当化しているのです】
...政治思想?人を殴る蹴るが正当化されるそんなもんがあるのかよ?オレはたかだかもうちょっと食わせろって言っただけだぞ?それにあいつは孤児への補助金を横領してるじゃねぇかよ....
【それくらいの誰にでもある些細な役得であると納得しているのでしょう。重要なのは労働至上主義と功利主義を彼女が遵守していることです。それがどれほど冷酷な合理主義であったとしてもです。働かない者には、パン一切れすら“贅沢”とみなされます。】
...さっぱりわかんねぇ!ババアの小遣い稼ぎのためになんでオレたちがここまで腹減らして、あのババアは働きもせず、うまいものたらふく食ってんだぞ。ジョーイが死んだのだってそのせいだぞ!ジョーイだけじゃねぇ。...
【確かにこの制度には重大な欠陥があります。ですが今は、現実を直視しましょう。あなたの言動は問題行動として教区役人へ報告されるでしょう。そして教区役人を通して救貧委員会へ報告されます。それがどれほど危険な状況であるか理解していますか?】
...どうするって言うんだよ。...
【最も危険な奉公先との年季奉公契約を強要されることが予測されます。その場合、1年以内にあなたが生き残れる確率は30%程度にまで減少します。】
...まさか、煙突掃除か?...
このワークハウスから煙突掃除夫へ奉公へ出た孤児がいるが、そいつらは全員死んだって話を聞いたことがある。実質死刑執行に等しい。さすがにオレも怖かった。
【その可能性が極めて高いことが予測されます。あなたは“社会に寄与していない消費者”であり、“監視され、矯正または処分されるべき存在”なのです。】
...そりゃ狂ってるよ。そもそも9歳の幼児にそれ要求する制度のほうがおかしいだろ...
【ですが、あなたはただの幼児ではありませんよね。日本人として40年のキャリアをもつ経理課長です。私に言えるのはあなたが感じている違和感を強く主張することが問題を打解する可能性があるということです。】
...何言ってるんだ、こいつ?余計なこと言ったらぶん殴られるだけだろ...
ヨーダは時々なんの解決にもならない意見を言うことがある。正直言って意味不明だった。
だが、オレはこんなバカな政策を実行している奴らに心の底から怒りを感じていた。