第68話 契約
オリバーのもとにブラウンロウの資本参加の報は、エリザベスからいち早く届いた。
「オリバー、あんたどんな魔法を使ったのよ。あのブラウンロウ伯爵が資本参加するって、私まだ信じられない!」
エリザベスは驚きと興奮を隠さなかった。
驚いたのはオリバーも同じだった。
ブラウンロウが自分に好意を示してくれているのは感じていた。
だが、好意だけで多額の投資を決める人物には見えなかった。
「それ、本当の話なのか?」
「なによ!私が嘘をついてるって言うの?あんた、オリバーのくせに生意気なのよ」
オリバーは慌ててバックステップで距離を取る。
もう十三歳だ。相手がエリザベスであってもヘッドロックは勘弁してほしかった。
「まあいいわ。今日、お父様が来ればすぐに本当だって分かるから」
その日の夕方、エドウィンが工場に現れ、オリバーは工場長室に呼ばれた。
果たして、エリザベスの言葉は本当だった。
エドウィンは弁護士を伴っており、正式に絹の専属売買契約を締結するために来ていた。
当面の間、絹の供給はチャドウィック家の繊維工場に限られる──それが条件だった。
加えて、絹混紡繊維工場の歩留まり70%を維持する責任を、オリバーが実質的に負うことになった。
五年後の契約更新は、その成果にかかっていた。
「ひとつ問題がありまして……オリバー君、君はナンシーさんの本当のお孫さんではない。それは事実ですね」
問いかけたのは、チャドウィック家の弁護士だった。
タイラーのほうを見ると、彼が頷いた。すでに事情を聞いていたのだろう。
「はい、それは事実です」
「心配しなくても大きな問題にはなりません。ですが、正式にナンシーさんと養子縁組をしていただければ、契約上もずっと簡単になるのですが、いかがでしょう?」
オリバーは困惑して下を向いた。
「まあ、待ってください。私も彼の事情は娘から聞いています。養子縁組が難しいなら、別の方法も考えましょう」
最終的に──ナンシーを契約代表者とし、オリバーが管理責任を負う形で契約を裏打ちし、ブライアンが保証人となることで無事成立した。
「しかし、オリバー。君には驚かされることばかりだ。どうやってあのブラウンロウ氏を説得したのだ?」
「さぁ?」と答えるしかなかった。
だが、これはオリバーにとって信じられないほどの大成果だった。
収益性の高い事業の実質オーナーになったことで、孤児という出自のハンディキャップは解消されたのだ。
ブライアン、エリザベスをはじめとする工場の仲間たちと打ち上げをした。なぜかローザも参加していた。どうやらペニシリンに興味を持ち、アミラのもとを頻繁に訪ねているらしい。
誰よりも喜んだのはナンシーだった。
「これであんたも一人前だねぇ。本当に嫁を探さないとね」
「ちょっと待ってくれよ」と言おうとしたが、本心では「それでもいい」と思う自分がいた。
結婚をして、子どもを育て、その成長を見守る──それだけで幸せだと思えた。
この地方は美しく、村娘たちはきれいな子が多い。
女工や村娘のオリバーを見る目が変わっていることも感じていた。
前世の記憶を含めても、ようやく自分にも春が来たのだと思えた。
――
その夜も、日課の結跏趺坐で心眼智を発動させた。
すでに寝る前の習慣になっていた。
心眼智を傘のように広げる感覚で意識を拡大していく。
毎晩繰り返すうちに、その範囲は広がり、今ではハムステッド村を中心に5km離れたウィットフィールド村まで意識を届かせられるようになっていた。
人々の営みが、まるで箱庭のように見えてくる。
ふと、違和感を覚えた。──ダンカンの屋敷だ。
意識を一点に集中すると、情報が鮮明になり、ダンカンと執事アンセルの会話が聞こえてきた。
その内容に、オリバーの危機感と怒りは一気に高まった。
こともあろうに、ロンドンのセント・ジャイルズで、金のためなら何でもする連中にナンシー殺害をそそのかしているのだ。
セント・ジャイルズはイギリス最悪のスラム街のひとつ。過密で不衛生、迷路のように入り組んだ危険な場所だった。
ダンカンも許せないが、アンセルという執事はさらに悪質だった。
人殺しを恥ずかしげもなく誘発するなど、人間のやることではない。
アンセルが馬車で出発したのを確認すると、オリバーはその後をつけた。
セント・ジャイルズに到着したアンセルが、やくざの親分らしき男と話をつける一部始終を心眼智で傍受する。
やはり食わせ物だった。ダンカンはただの愚か者にすぎない。
アンセルは牧場資金を横領しており、その額は牧場経営を傾けるほどだった。
「ダンカンって、あいつ本物のバカなのかよ?」
オリバーは思わず呟く。
【そのようですね。仕事はアンセルに丸投げで、一度も監査すらしていなかったのでしょう】
「なんでそれがナンシーばあちゃんのせいになるんだよ」
【さぁ、それを私に聞かれても】
やがて、襲撃を企てているのがブレイデンという男とその部下だと分かった。
それで十分だった。戦闘スキルの経験値の養分にしてやろうと思った。
【残念ながら、戦闘スキルの経験値にはなりませんね】
「なんでだよ?」
【相手はレベル7を筆頭に、ほとんどがレベル3~5。十分な戦闘力ではありますが、大した経験値にはなりません。次はレベル9以上を探すべきでしょう】
「クソッ! 何の役にも立たねぇのかよ」
三日後、ブレイデンたちはハムステッド村に現れた。




