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第65話 事業展開

ウィットフィールド村から戻ったローザの報告を受けたブラウンロウは、オリバーから託された事業計画書の冒頭を目にし、思わず身をのけぞらせた。


「紳士淑女の皆さま。

絹に劣らぬ光沢を備え、麻のように強靭で、綿のように快適な——

これこそが我らの新布であります!

華やかな舞踏会にふさわしく、また日々の労働にも耐え得る。

高貴なる方々にも、勤勉なる庶民にも、等しく恩恵を与える織物。

これこそが、未来の英国を纏う衣であります!」


どうやらチャドウィックの繊維工場が目指しているのは、単なる絹生産ではない。

すでに麻×綿の混紡技術を確立し、快適性と耐久性を兼ね備えた繊維の生産に成功しているという。

その延長上に絹を加え、絹・麻・綿を組み合わせた、ファッション性・耐久性・快適性すべてに優れた混紡繊維の開発を進めているのだ。


しかも今年、新設された特許庁において、混紡繊維と専用の紡績機・織機の特許申請をすでに済ませている。

高額な羊毛に代わり、安価な麻と綿を基盤にしつつ、高級品には絹を加える——狙いは明快だった。

この繊維は、羊毛よりも耐久性・快適性・ファッション性のすべてで勝るのではないか?


「オリバー……ただ歌がうまいだけの小僧ではないようだな」

ブラウンロウはにやりと笑った。

幾多の事業を手がけてきた彼の目から見ても、これは将来一大産業に成長しかねない計画であった。

しかも投資枠はまだ三割残っているという。


「ドリス、すまないが至急モリスを呼んでくれ。それから内務省のエドウィン・チャドウィック氏に面会できるか、使いを出してほしい」

「これからでございますか?もうすぐ退庁のお時間では……」

「かまわん。駄目でもともとだ」


内務省から返事が届くと、急遽呼び出された執事モリスを伴い、ブラウンロウは慌ただしく出かけていった。


――


エドウィンは、妻メラニーの事件以来、ウィットフィールド村の別邸を頻繁に訪れていた。村は目覚ましい発展を遂げている。


もとは宿屋と雑貨屋が一軒ずつあるだけの小さな村。

それが今では 酒場三軒、宿屋二軒に増えた。

能力給と昇給制度の導入で工場の稼働率と一級品の歩留まりが飛躍的に向上し、工員の収入が上がったことで、村の消費が活性化したのだ。


中でも秀逸だったのは、原材料費の高い羊毛依存からの転換。

調達の容易な麻×綿の混紡繊維は、耐久性と快適性を両立させ、需要は恐るべき勢いで増大。

供給不足も手伝って、羊毛を凌駕しかねない勢いを示していた。

さらに麻・綿・絹の三種混紡の技術開発も進み、先日特許が認められたばかりである。


工場の話だけではない。娘エリザベスからは 教会教育の制度化の提案が上がっていた。学力向上が生産性の向上に直結する——それは工員の識字教育で、すでに実証済みである。

「お父様、聞いていますか?」

怖い顔で見据えるエリザベスは、しぐさも主張も実母アリシアに似てきている。

ここ数か月で驚くほど成長した娘の姿が、エドウィンには眩しかった。

若いころ、理想に燃えるエドウィンとアリシア、トーマスはイギリスの貧困をよく語り合った。

だがアリシアは亡くなり、トーマスはインドへ。

エドウィンは救貧委員会委員長にまで上り詰めたが、理想は実現しなかった。

清朝との戦争に勝利し阿片貿易で利権を得る一方、国内のインフラや衛生、教育への投資は後回し。

ロンドンにはスラムが広がり、貧困は深刻化していた。

表向きの繁栄は、モルヒネで痛みをごまかす病人のようなものだ。


だが、オリバーという謎の少年が現れて以来、エリザベスとウィリアムは基礎教育と職業訓練を、アミラは公衆衛生を、そしてオリバーは養蚕を基盤とした新産業を——村という小さな箱庭で、次々と成果を上げていった。

ウィットフィールド村は高い学力と生産性を誇り、工員や農民の生活水準は中間層に近づきつつある。

貧困層の少ない“特異な地区”へと変貌していた。

その中心にいるのは娘エリザベス——だが、多くの提案を生み出しているのは、どうやらオリバーである。


村の古老が笑顔で話しかける。

「エドウィン様、今年の村祭りは盛大にやります。ぜひお言葉を」

「奥様の具合はいかがで?」

「うちの野菜をどうぞ」

いつの間にか、すっかり人気者になっていた。村が発展したのだから、感謝されるのは当然だ。

——だが、それは自分の手柄ではない。

エドウィンはどこか 後ろめたさを覚えながら、その好意を受け流した。


オリバーは温厚だが、ある一点では頑固だった。

「ワークハウスでの労働は、労働と呼べる代物ではありません。最低限の食事と寝台のために命を削るだけの“罰”です。人を本当に育てますか?」

「黙れ!それは議会で議論を尽くした。理想論で覆るものではない」

「黙りません。では伺います。五歳の子どもに命がけの仕事を、薄いポリッジ一杯のために強いる倫理がどこにあります?」

「なんだと!」

新救貧法は「労働なき施しは堕落を招く」という理念のもと、屋根と食事の代償として労働を課した。

だが現実は、貧民を監視・抑圧する装置に堕していた。

エドウィンは制度設計に一定の合理性を見ていたが、現場は理想からほど遠い。

意欲は削がれ、救済よりも罰として機能していた。

そこに現れたオリバーは「意欲は強制ではなく、学びと報酬で育つ」と主張した。

実際、能力給を導入すると工員は短期間で学力と技術を伸ばし、難解な機械を自在に扱うようになった。

生産効率は予測どおり三倍に達し、村全体も副次的に繁栄し始めた。

——これは驚くべき実証だった。

だが同時に思う。これを全国規模に拡張できるのか、と。

トーマスと交わした議論が脳裏をよぎる。

「オリバーの理屈は分かる。しかしインドやビルマの現実は厳しい。紛争には軍事費が要る。内需に回す余裕はない」

まさにそのとおりだ。

帝国は外需拡大に依存し、海軍維持費は巨大だ。

内需へ舵を切るには予算配分を根底から改めねばならない。

富裕層が議会でそれを認めるのか?

「小さな村の偶然の成功だろう。帝国には外へ拡大する義務がある」

——したり顔の議員たちの顔は、すぐに思い浮かぶ。

結局、オリバーの夢はウィットフィールド村の実験に留まるのか。

いまだ 三割の資本金が埋まらない現実は、彼の限界の証左にも見えた。


——だが、この日の出来事は、その見立てを覆す。

エドウィンは、突然のブラウンロウからの面会依頼に驚いたが、断る理由はない。英国経済界に隠然たる影響力を持つ人物である。

退庁後、ウェストミンスターのコーヒーハウスで落ち合うことになった。

「エドウィンさん、ご無沙汰ですな。お忙しいでしょうから単刀直入に。——娘がウィットフィールド村を訪ね、このようなものを持ち帰りまして」

「……私の工場で立案中の事業計画書ですね」

「ええ。オリバー君から娘に託されたと聞き、拝読しました」

エドウィンが意図を測りかねていると、ブラウンロウは言った。

「残り三割の出資、私にさせていただけませんか?」

「な、なんですって!」

思わず椅子を鳴らす。

「こちらは秘書のモリス。経理の手続きは彼に一任しています。早速お願いできますかな」

「失礼ですが、本当に成功すると……?」

「成功、とな?それを私に問いますか。ひと言で言えば、供給が皆無な領域に潜在需要の高い産品をピンポイントで差し込む——起業として見事です」

正直、エドウィンは絹事業に懐疑的ではなかったが、麻・綿の成功で十分だと考えていた。

なぜなら 絹貿易の既得権を持つ商社の反発が目に見えていたからだ。

「それだけではありませんぞ」

ブラウンロウは意味ありげに笑う。

「……と言いますと?」

「娘ローザが詳細に見分しています。村は急速に豊かになっている」

「確かに。昇給で景気は良いのでしょう」

「面白いと思いませんか。村が栄えれば商店が増え、酒場ができ、その利益が再び消費を生む。金が回れば回るほど人々は豊かになる。これが英国全土で起きれば——利は膨大です」

それはトーマスが語っていた理念に近い。国力=国民の豊かさ。

「ただ、絹事業は本当に——」

「貿易商の妨害が心配ですかな?」

「ええ。ウィットフィールドの小成功なら目立たない。だが全国規模になれば、これまでの成果ごと潰されかねない」

「海軍や東インド会社が怖いですか?彼らの繁栄は、そこまで盤石ですかな」

「どういう意味です?」

「やってみましょう。横やりはすぐには来ません。仮に失敗しても、残るものがある。あなたにも私にも政治的な影響力は多少ある。味方する議員も出ましょう。いざとなれば——共闘しませんか」

「……そんな約束は今はできません」

「結構。ゆっくり考えてください。ともあれ、私はこの事業への参加を申し出ます。異論はありませんな」

「……もちろんです」

そう答えたものの、これでオリバーの絹事業は確実に前進する。

その先に見える景色が、必ずしも明るいとは限らない。

だがエドウィンは、自分もすでに抜き差しならぬ当事者になっていることを、改めて思い知った。

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