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第63話 ブラウンロウ伯爵

馬車を飯屋の前に停めて中へ入ると、トムが一人で酒を飲んでいた。

「どこへ行っていたんだ?」

少し不満そうに口をとがらせるが、事情を説明すると「そうか……」と一言言って、それ以上は追及してこなかった。

これからローズの父親の屋敷へ行くので同行するかと尋ねると、「行かない」と答える。

代わりにハムステッド村の元農夫の友人を訪ねたいとのことで、宿屋で落ち合う約束をして別れた。


門を叩くと中年の女中が出て来て扉を開いた。

ローズの姿を認めると、あからさまに顔をしかめる。

「お待ちでございますよ」

「やあ、ドリス。お父上のご機嫌はいかがだ?」

「もちろん、不機嫌……でございます」

不機嫌、を強調する。

女中はニヤリと笑い、ローズの肩に手を置いた。

「いまさら何ですか? さっさと早く行って言い訳なさいませ」

「そ、そうだな。ああ、それと彼はオリバーだ。私たちを助けてくれた恩人なので連れてきた」

強盗に遭ったことを伝えると、ドリスは大声で喚いた。

「ですから、あれほど御者付きの馬車を使いなさいと申したではありませんか!」

「何を騒いでいる? ローズ、早く来なさい」

厳しい声で老紳士がローズを睨んでいた。

ふと、老紳士とオリバーの目が合う。

「おお! 君はあの時の……」

オリバーの記憶が甦る。

――ウィンザー家の葬儀に遅れたオリバーを助けてくれたブラウンロウ氏である。

「はい、その節は大変お世話になりました」

「ははは、相変わらず子供らしからぬ物言いだな」

ブラウンロウの機嫌は急に良くなり、愉快そうに笑った。

…いかんいかん!…

つい前世のサラリーマン時代に染みついた言い回しをしてしまった。

「だが、なぜ君がここにいる?」

「それなんです、父上」

すかさずローズが遅れた理由を説明し、オリバーがその証人だと告げると、再びブラウンロウの機嫌は急降下した。

「お、お前という娘は!何たることだ」

「申し訳ありませ~~ん」

「まぁまぁ、無事だったのだから」とドリスがたしなめると、老紳士は不承不承、小言を止めた。

「君には世話になったようだな。どうだ、今日は私の誕生日なのだ。親族といっても、今ではこのローズくらいしかおらん。気軽な誕生会だ。良ければ一緒に祝ってもらえまいか?」

「俺のような者がご一緒しても本当によろしいのでしょうか?」

「ああ、かまわんとも」

老紳士は温かみのある笑顔をオリバーに向けた。


ヨーダがテーブルマナーのシミュレーション映像を送ってくる。

「ほぉ、君は確か救貧院の出であったな?どこでそのようなマナーを習ったのだ」

…やべっ!…

確かに救貧院出身者が貴族のようなマナーを見せるのは不自然だ。

「お恥ずかしい話です。昔、貴族出身の人がいて、その人の見様見真似です」


話はオリバーのことに移る。

サワベリー葬儀店を辞め、今ではチャドウィック家の繊維工場で事務員をしながら養蚕業を準備中であることを述べた。

ブラウンロウは興味津々の様子だ。

「チャドウィックとは、あのエドウィン・チャドウィックのことか?大した名士と知り合ったものだな」

「はい、今はハムステッド村のナンシーさんのところで暮らしています。その縁で、運よく工場の事務員の仕事をいただけました」

オリバーの話を聞くたびにブラウンロウの機嫌は上向き、会話は盛り上がり、楽しい誕生会となった。


その機を逃さず、ローズは研究費用の援助を持ち出す。

ブラウンロウはしばらく腕を組んで考え込み、やがて口を開いた。

「良いだろう。ただし条件がある。このオリバー君の住む村と工場、彼の養蚕業の様子を詳しく見分して私に報告するのだ。その内容次第で援助してやろう」

「本当ですか?ありがとうございます!」

ローズとロレンスは深々と頭を下げる。

「ですが、なぜそんなことに?」

「良いから、黙って見てこい」

ブラウンロウはニヤリとほくそ笑んだ。


その後は久しぶりに会った家族のように打ち解け、楽しい誕生会のひと時を過ごした。

食後に出されたボルドーの赤ワインをもの欲しそうに見ていると、ブラウンロウがいたずらっぽく笑う。

「君はいくつになった?」

「はい、十三歳になりました」

「そうか、なら大人だな。ドリス、グラスを」

「はい、旦那様」

「えっ!良いんですか?」

いつも工場では子供扱いで飲ませてもらえなかった。

告白すれば、酒は前世から大好きであった。

「良いに決まっているだろう。どれ、私が注いでやろう」

援助の目処も立ち、ローズも上機嫌だった。

「本当に良いんですか?」

ロレンスは一人、心配そうである。

ドクドクと音を立てて注がれるワインに、ゴクリと喉が鳴る。

実に何年ぶりの酒であろうか。前世での最後の夜、発泡酒を飲んだのが最後だ。

注がれたワインをごくごくと飲み、「はぁ……」と息を吐く。

久しぶりのワインは実にうまかった。


「そう言えば、君はサワベリーのお嬢さんの葬儀の時に歌ったあの歌は実に素晴らしかった」

「ありがとうございます。歌を歌うことは実に気持ちが良いものです」

オリバーはこの体に生まれ変わってから、驚くほど素晴らしい声を持つようになっていた。

ナンシーが讃美歌を好むので、よく歌って聞かせていた。

「何か歌いますか?」

ワインの酔いがまわったせいか、陽気な気分になっていた。

「そうか!では一曲、君の得意な歌を歌ってみたまえ」

「では……“All Things Bright and Beautiful”などいかがでしょうか?」

ナンシーが大好きな讃美歌のレパートリーだ。



「なに……」

突然、その場が凍り付いた。

…やべ、俺、変なこと言ったか?…

「あ、すみません。あまりお好きではなかったですか?」

「いや、そうではない。君はその曲が得意なのだな?」

「あ、はい……まぁ、そうですね。あの、なにか――」

悪いことでも言いましたか?と続けようとした瞬間、ブラウンロウが慌てて遮った。

「違うんだ。その歌はな……ローズの姉が、生前よく口ずさんでいたものなのだ」

重苦しい沈黙が流れる。

「私が伴奏をしましょう」

ローズが静かにそう言って、部屋の隅のピアノへ向かった。

…本当に歌ってしまっていいのだろうか。…

胸の奥でためらいが渦巻く。

だが、伴奏が始まり、流れる旋律に背中を押されるように、オリバーは歌い出した。

心眼智が発動する。

部屋全体に、神聖な空気が漂っていくのを感じた。

オリバーはそれに応えるように、心を込めて歌う。

懐かしくて愛おしい。

そんな感情が胸の奥で渦巻き、同時に深い郷愁と喪失感がこみ上げてくる。

ブラウンロウは瞼を閉じ、ドリスは驚いたようにオリバーを凝視していた。

歌が終わった。

ローズがゆっくりと立ち上がり、戻ってくる。

「ありがとう。素晴らしかった」

そう言って、オリバーの額にやさしく口づけを落とした。


奇妙な雰囲気はそこで途切れ、再び和やかな会話に戻る。

そしてその日はお開きとなった。

「今日は楽しかった。またいつでも訪ねて来てくれ」

ブラウンロウはそう言って、馬車で宿屋まで送るよう御者に命じてくれた。

【今日は楽しめたようで良かったですね】

…ああ、みんないい人だよな。教区の小役人とは大違いだ…

【さっきの話ですが】

…なんだよ!面倒な話なら明日にしてくれ。今日は何も考えずに眠りたい…

久しぶりに心地良い酔いがまわってきたせいもあって、馬車の中でコクリコクリと船を漕ぎ始めていた。

【そうですか?では明日にしましょうか】

…なんだよ?そう言われると気になるじゃないか…

【では一言で。ローズさんの遺伝子は、あなたの母アグネスさんと九九・九九九九九九%一致しました。二人は一卵性双生児と断定できます】

なにかに殴られたような衝撃を受け、呆然とする。

つまり、あの人は……。

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