第62話 スキル・リーディング
心眼智を習得してから、他のスキルも驚くほど急速にレベルアップするようになった。
その理由は、ヨーダが提供する情報端末が大幅にアップグレードしたからだ。
これまでは平面的なディスプレイに表示されるテキストや画像、音声が主なコンテンツだったが、今では現実と見紛うほど精緻なVR空間モードが追加された。
この世界に転生して良かったと思うことが最近増えてきたが、不満を挙げるとすれば、ゲームやSNSが楽しめないことだ。
前世では空気のように当たり前だったネットの存在。
自分がこれほど依存していたなんて、この世界に来て初めて気づかされた。
だが、心眼智が生成するVR空間は、そんな不満を補って余りある価値があった。
初めてそのモードを使ったとき、ヨーダはスター・ウォーズの老師にそっくりな姿で現れた。
...えっ! ヨーダ、お前って本物のヨーダだったの?...
【そんなわけないでしょ。これは単なるサービスですよ】
このVR空間では、シミュレーショントレーニングが可能だ。
ヨーダが組み手の相手をしてくれる。
もちろん、ライトセーバーも使えるが、ビクトリア時代には存在しない武器ゆえ実用性はなく、代わりにダガーと連射式スリングショットの訓練を重ねた。
これらはこの時代で手に入るか、自作可能な武器だからだ。
ダガーを選んだ理由は、『隠密』スキルと組み合わせた奇襲で、一撃で上位の敵を無力化できるからだ。
VR空間内で、ヨーダが作り出すスケルトンやゴブリンを相手に訓練を積んできた。
ただし、VRでの訓練は経験値にはなるが、実際の肉体のレベルには反映されない。
現実世界でスキルを実行した際に、蓄積した経験値が反映され、効率よくレベルアップしていくのだ。
前世でプレイしたTESシリーズでは、隠密と短剣スキルを極めるだけでメインクエストをクリアできた。
それがオリバーの好みの戦闘スタイルだ。
実際、隠密は恐ろしいスキルだ。
最高レベルの隠密は、戦闘の達人でも看破できない。
気配も姿も消した敵が、突然現れて急所を突くのだ。
VR空間でモンスターを相手に経験値を積み、森で小動物を相手にレベルを上げる。
この繰り返しで、オリバーはスキルをカンストさせた。
そして今、戦闘レベルを上げる最適な相手が現れた。
レベル4とレベル8の敵だ。
ミッションの目的は、被害者の救出を最優先にしつつ、戦闘レベルを8まで引き上げるパワーレベリング。
オリバーの戦闘レベルは現在3。
難敵だが、ヨーダのサポートと強力な限界生存スキルの効果で、簡単にやられることはない。
いざとなれば、100メートルを10秒台でダッシュしながら3キロ走れる。
この時代で追いつけるのは騎馬くらいだが、馬が入ってこられない場所も多く、威圧スキルが効くので脅威は少ない。
VR空間での経験値は十分に積んでいる。
この実戦で、レベルが面白いように上がるはずだ。
隠密を発動したまま、オリバーはロンドンの街を疾走した。
心眼智の効果で、馬車の位置や内部の状況がリアルタイムで把握できる。
レベル8の敵はただのチンピラではない。
戦闘訓練を積んだプロの戦闘員、あるいは暗殺者の可能性が高い。
いずれにせよ、まともな世界の人間ではない。
【目標を発見。前方500メートルです】
ヨーダの声が響くが、すでにオリバーは目視で確認済みだ。
御者台に座る、目のあたりに大きな傷のある悪相の男。
警戒している様子だが、こちらには気づいていない。
隠密状態のまま、オリバーは音もなく御者台に飛び乗り、男の肩口の中枢神経を強く圧迫する。
男は声もなく崩れ落ちた。
【戦闘レベルが4になりました】
オリバーは男を蹴り落とし、代わりに御者台に座って馬車を進める。
馬車内のレベル8の敵はまだ気づいていないようだ。
緊迫した会話が聞こえてくる。
「これが例のものか?」
男の恫喝するような声。
「だったら何?そんなもの、くれてやるわ。それが目的なら私たちを解放して!」
女性の声が反発する。
だが、男は無言で刃渡りの長いナイフを取り出した。
その目が残忍に光るのが、オリバーにもわかった。
...クソ! 助けられないか?…
オリバーは一か八かの賭けに出る。
男が立ち上がる瞬間を狙い、馬に激しく鞭を入れる。
タイミングは完璧だった。
男の体がぐらりと揺れ、倒れそうになる。
「何やってんだ、バカ野郎!」
男が叫ぶが、その言葉が終わる前に、オリバーは猛然とタックル。
馬車の後方へ突進し、男とともに転がり落ちる。
【戦闘レベルが5になりました】
【戦闘レベルが6になりました】
馬車は一気に走り去った。
二人は絡み合ったまま地面を転がり、次の瞬間、互いに蹴り合って距離を取る。
男の前に、般若面と黒いマントで身を包んだオリバーが立つ。
片方の目から涙を流す、日本人が見たら奇妙に思う。
そんなデザインの悲し気な般若面だった。
「何者だ、貴様?」
オリバーは答えず、じりじりと後退。
男は大きく息を吐き、少林拳のような構えを取る。
奇声とともに鋭い蹴りが飛んでくる。
【回避不能。打撃点に筋肉硬化を発動してください。ダメージと同時に自己回復マックスで修復を推奨】
心眼智で動きは見えるが、体が追いつかない。
一撃を食らい、オリバーは吹き飛ばされる。
男は倒れたオリバーに一瞥もくれず、馬車を追おうとする。
【動作の分析を完了。予備動作として登録しました】
【ダメージの修復を完了しました】
オリバーは走り去る男の足を狙い、近くの太い枝を投げる。
男は後ろを向いたまま軽くジャンプでかわし、振り返る。
「ちっ…」
男は苛立たしげに舌打ちし、オリバーを睨む。
やがて近づき、トドメを刺そうとする。
オリバーは既に無力化していると信じ切っている様子だった。
その瞬間、オリバーは男の手首を握り、筋肉強化の派生スキル
「剛腕」を発動。
思い切りねじ上げるが、男は魔法のように体を回転させ、オリバーの手から逃れる。
次の瞬間、軽業師のような動きで真上から鋭い抜き手を繰り出してきた。
【回避不能】
再び筋肉硬化でしのぐが、今度は真下への打撃。
逃げ場がなく、強烈なダメージを受ける。
だが、男も手首にかなりのダメージを負ったようだ。
【相当な達人ですね】
普通なら頭が潰れてもおかしくない一撃だったが、オリバーは立ち上がる。
「何なんだ、貴様は?」
男の目には、異常なものを見るような色が浮かんでいた。
【予備動作を確認】
男の動きがいくつか登録された。
男は首を鳴らし、気息を整える。
蹴り、抜き手、蹴りの連続攻撃が流れるように繰り出される。
二撃をかわすも、三撃目を受けてしまう。
だが、今度はダメージを軽減しながら吹き飛んだ。
【これは拾い物でしたね。戦闘レベル8以上の価値がある、少林寺拳法の達人のようです。スキルリーディングを開始します。】
...そ、そうかよ。こっちはそれどころじゃないんだけど…
頭がぐらつく中、オリバーは立ち上がる。
【戦闘レベルが7になりました】
男の顔に、初めて恐怖が混じる。
【あと一歩でミッションクリアです】
男の表情が一変し、余裕が消える。
再び気息を整え、激しい攻防が始まる。
オリバーは押されながらも崩れない。
相手の動きに少しずつ対応できるようになる。
何度かダメージを受けるが、そのたびに立ち上がる。
少しずつ予備動作登録の効果が高くなっていく。
【スキル・リーディング率90%】
敵の技が体に染み込んでくる。オリバーは大きく息を吐き、逆襲に転じる。
男の顔が驚愕に歪む。
突然、オリバーが同じ流派の技を繰り出したからだ。
一進一退の攻防が続く。
【戦闘レベルが8になりました。ミッションクリアです】
その瞬間、オリバーの抜き手が男の肩口にヒット。
男は苦痛に顔を歪め、不利を悟ったようだ。
汗だくで、屈辱と憎悪に満ちた目でオリバーを睨む。
【行きましょう、潮時です】
...そうだな。馬車が心配だし…
オリバーは一気に間合いを詰め、男の巾着を奪い取る。
巾着の中をスキャニングした結果、貴重な宝石が入っているのが分かる。
これが目的の盗品に違いない。
「貴様!」
驚く男を尻目に、オリバーは猛ダッシュで逃げる。
100メートルを10秒台で走り、3キロを軽々とこなすオリバーに追いつけるはずもなく、男はみるみる遠ざかる。
心眼智で馬車を追跡すると、5キロほど離れた道をゆっくり進んでいた。
すぐに追いつき、マスクとマントをしまい、馬に組み付いて馬車を止める。
中に入ると、若い男女が縄を解こうともがいている。
「大丈夫ですか? 何かあったんでしょうか?」
オリバーは手早く二人の縄を解く。
「君は?」
男が尋ねる。
「通りすがりの者です。御者がいないのに馬車が走っていたので、おかしいと思ったんです。それにさっき、誰かこの馬車から落ちましたよね。強盗ですか?」
「そのようだな」
女性が乱れた髪をかき上げながら答える。
その表情に、なぜか既視感を覚えた。
「これ、強盗が馬車から落ちたときに落としたものです。調べてみたら宝飾品が入っていました。あなた方のものでは?」
「ああ!」
女性が安堵の声を上げる。
「君はこれを届けるために馬車を追いかけてきてくれたのか?」
「はい、大事なものかと思ったので」
「ありがとう! 本当に貴重なものだったんだ。君の名は?」
「オリバーです」
「私はローズ。こちらはロレンソ。よろしく」
「それより、ローズ、ここはどこですか?」
ロレンソが尋ねる。
「私にわかるわけないだろ」
「ここはロンドンの北東部の林地です」
オリバーが答える。
「なんだって! まずいな」
ローズが難しい顔で腕を組む。
「お父上に叱られますね」
ロレンソが呟く。
「俺、これで失礼してもいいですか? 友人が待っていて、さっきの強盗が追いかけてくるかもしれないので、この街道は外れたほうがいいですよ」
「待ってくれ。君はこのあたりの地理に詳しいのか?」
ローズが尋ねる。
「はい、子供の頃はロンドンで育ったので」
心眼智があれば、すべてが俯瞰できる。
「悪いが、ロンドンのベルグレイヴ・スクエアのまで案内してくれないか?それと、もう一つ頼みがあるんだが…」
「俺にできることなら」
「そうか! ありがたい!」
ローズの目が輝く。
彼女の話では、今日は父親の誕生日だという。
だが、このままでは遅れてしまう。
厳格な父に遅れた経緯を説明してほしいというのだ。
【是非、受けるべきです】
...え、なんでだよ?...
【理由は後で説明します】
...はぁ? 何をもったいぶってるんだ?...
【そうではありません】
ベルグレイヴ・スクエアなら、トムが待つ飯屋の前を通る。
お礼に紅茶とクッキーくらいはご馳走になれるかもしれない。いや、晩飯くらいはいけるか?
そんなさもしい考えを笑いながら、オリバーは馬車の手綱を取った。




