第52話 一か八かの賭け(続き)
オリバーは『状態スキャニング』でモニタリングを続けた。
血流を止められたメラニーの細胞が、じわじわと活動を弱めていく様子が、まるで顕微鏡越しの映像のようにリアルタイムで伝わってくる。
…ヨーダ、あとどれくらいだ…
【残り八分です】
あと三分以内にウイリアムが到着しなければ、手術の成功率は一気に落ちる。
その時——外から馬車が止まる音と、いななきが響いた。
「来たか!?」誰かが叫ぶ。
廊下を駆ける足音。
ウイリアムとトムが息を切らせて飛び込んできた。
「ペーストは用意済みだ。道具はすべて煮沸してある」
どうやら馬車の中で全工程を済ませてきたらしい。
【残り五分。トムのおかげで二分の余裕ができました】
さすが「伝統農法」レベル10、段取りにかけては神業だ。
「では、本手術に入ります」
裁縫用の鋏を削り、曲げて作った簡易鉗子が数種類並べられる。
「トーマスさん、アミラさん。この鉗子で患部を開いて固定してください」
「わかった」
……あと何分だ?……
【三分二十秒。細胞の一部で壊死が始まっています】
「次はこっちの鉗子で動脈を挟みます。これで糸を抜いても血は止まったままです」
【残り二分十秒】
「では、ガーゼで血がこぼれないようしっかり押さえてください」
【一分三十秒】
「仮糸を抜きます。動脈縫合、開始」
【五十五秒】
その瞬間、トーマスとアミラは奇跡のような光景を見た。
後にも先にもこのようなスピードで外科手術が行われることをついぞ見ることはなかった。
オリバーの針が、目にも留まらぬ速さで仮糸を外し、動脈壁を縫い直していく。
「縫合完了!」
【十秒、間に合いました。止血鉗子を外してください】
手早く鉗子を外す。出血はない。
……結果は?……
【血流回復、成功です。これからペニシリンペーストを塗ってください。塗布部位を映像化します】
「トム、ペニシリンペーストを」
「ここだ」
「では、ガーゼを外して感染予防を。アミラさん、ゆっくり剥がしてください」
アミラが剥がした側の傷口に、緑色のペーストをすばやく塗る。
……どうだ?……
【殺菌効果を確認】
「ではトーマスさん」
「うむ!」
縫合を終え、最後にペニシリンペーストを塗ったガーゼで傷口を覆う。
【全工程終了です。お疲れさまでした】
オリバーの額から汗がどっと噴き出し、その場に尻もちをつく。
【カロリー残存二%。至急補給が必要です。『生存限界』が発動しました。マイトファジーによる劣化細胞の捕食を促進します。】
「……みなさん、お疲れさまでした。手術は成功です」
その言葉が空気を震わせた瞬間、誰もが一斉に息を吐いた。
押し殺していた呼吸が一気に解き放たれ、部屋の空気が柔らかくなる。
アミラはそっと鉗子を置き、トーマスは両手を膝につき、深く頭を垂れた。
「……助かったのか?……」
エドウィンの声はかすれていた。
妻の手を固く握り、うなだれたまま動かない。
その肩がわずかに震えていた。
エリザベスはその彼に寄り添って母の手をそっと握る。
ペニシリンの匂いと、熱湯で消毒した布の温かい蒸気がまだ漂っている。
机の上では、メラニーの胸が規則正しく上下し、顔色はほんの少し赤みを取り戻していた。
【容体は安定しました。】
その様子を確認した瞬間、体の力が一気に抜ける。
そのオリバーをトーマスがもの問いたげに見ていた。
「……間に合った……」
小さく呟いて、オリバーの意識は深い闇へと沈んでいった。




