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第42話 アリシアの残影

エリザベスは8歳まで救貧院で育った。

5歳の時、母のアリシアが亡くなった。

事故だと聞いている。

母が亡くなったその日の夜。

母の友人がエリザベス訪ねてきた。

彼女に連れられてエリザベスは救貧院に送られた。


アリシアは優しく、強い人だった。

彼女がいてくれれば、何も怖くなかった。

だが、突然去り、二度と戻らなかった。

8歳になるまで、エリザベスはアリシアの記憶を支えに、過酷な労働と飢えに耐えた。

だが、ある日を境に、その記憶が薄れ始めた。

それは致命的な痛手だった。

8歳で限界を迎え、派遣先の工場で倒れ、救貧院に戻された。

心は生きる執着を失い、ただベッドに横たわるだけだった。  

ある日、配膳係の中年女性が、近くで寝る赤ん坊に独り言を呟いた。

「諦めな。生まれてきたのが悪いんだ。今のうちに召された方が幸せだ。後は神様が面倒見てくれるよ。」

8歳のエリザベスにも、その意味は分かった。

赤ん坊の命が今日で終わる。

何も悪いことをしていない赤ん坊が、なぜそんな目に遭うのか。

涙が溢れた。

ベッドを這い出し、赤ん坊に添い寝した。

すでに高熱を帯びていた。

この年齢では耐えられない症状だ。

せめて少しでも温めてあげたいと、痩せた体で赤ん坊を抱きしめた。

柔らかい体から伝わる熱に、また涙が溢れた。  

どれだけ時間が経っただろうか。

奇跡が起きていた。

赤ん坊の熱が引き、寝息が健やかに変わっていた。

「神様…!」

思わず声が出た。

自分の体に力が戻っていることに驚いた。


朝、配膳係の女性が来た。赤ん坊の強い視線に貫かれ、「ひぃ!」と叫んでひっくり返った。

...よし!...

エリザベスは小さくガッツポーズを取った。  

この世界の理不尽に一矢報いた。そんな気がした。


その日から、彼女は赤ん坊の配膳を任された。

赤ん坊はエリザベスを見ると、親しげに笑った。

二人は目で語り合い、友情のような絆が生まれた。

言葉を話せない赤ん坊が親友だなんておかしいと思ったが、一緒にいるのは楽しかった。

自分の短い人生に親友ができたことが嬉しかった。

ある日、粥を食べさせながら頭を撫でると、赤ん坊が小さな手を伸ばしてきた。

愛らしい手。

エリザベスは両手で優しく包んだ。  


あの時、一体何が起こったのだろう?

エリザベスは突然、暗い牢獄に立っていた。

孤独で、悲しかった。

小さな光が浮かび、もどかしげに誘う。

勇気の光が心に灯った気がした。

光に導かれ闇を進むと、光はリング状に広がり、その中には巨大な炎に立ち向かう女性――アリシアがいた。

「ベス、何メソメソしてる? 人生を楽しめ、いいか、笑うんだ!」

...酷い! 急にいなくなったくせに!...

「でも、私、もうすぐ死ぬんだよ。」

アリシアがいなくなって、人生に価値などなかった。

笑えるはずがない。

「何だそれ! いいから笑え。そうすりゃ何もかも変わる。大きく息を吸って、吐け。」

言われるまま深呼吸した。

「元気が出ただろ?人生はそういうもんだ。笑ったもん勝ちだ。」

「本当だ!」

元気が湧き、アリシアと笑い合った。

夢だと分かっていた。でも、それで良かった。

今が楽しければいい。そんな開き直った気持ちだった。

「この光を見ろ。お前の希望だ。ベス、生きろ。そしたらこの光は必ず道しるべになる。忘れるなよ。」  


ベッドの上で目覚めた。

昔の夢を見ていたのだ。

「あの赤ん坊、どうしてるかな…?」

あの体験は何だったのか。ふと思うことがある。

もう一度会いたくて救貧院の分院を訪ねたが、なぜか見つけられなかった。


あの幻影から覚めた時、赤ん坊の小さな手を握りしめていた。

嬉しそうに笑う顔が愛らしかった。

翌日、赤ん坊は分院に移された。 

エリザベスはある決意を固める。

アリシアは二通の手紙を残していた。

一通はエリザベス宛で、父親の名前とアリシアに贈られたネックレスが入っていた。

もう一通は、父親――エドウィン・チャドウィック宛て。

父親に会うのは怖かった。拒絶は確実だと思った。

父と母の関係は知らない。

だが、どんなに厚かましいと言われても、生きてやる。そう決めた。

ロンドンの街を彷徨い、エドウィンの邸宅を探した。

彼は著名な政治家で、邸宅はすぐに見つかった。  

勇気を振り絞り門を叩いた。

結果は予想以上に悪かった。

汚れたワンピース姿のエリザベスは、物乞いと間違えられ、門前払いされた。

「やっぱりダメか…。」

門前にしゃがみ、空を見上げると涙が溢れた。

雪が降り、栄養失調の体はすぐに悴んだ。

熱が出たのか、座っていられず倒れ伏した。

...それでいい。...

誰かが囁いた気がした。

...そうだ、これでいいんだ。...

ここで行き倒れれば、父が自分を見つけるかもしれない。

死んでいても、手紙を検めれば、かつて見捨てた娘だと気づくはず。

悲しむか、怒るか、何とも思わないか。それはちょっと寂しい。

だが、反応が楽しみだった。

「私って嫌な女。」

自分が笑っているのに気づき、可笑しくなった。

やがて力が尽き、意識を失った。

エリザベスは命がけの賭けに出た。

  

次に目覚めた時、柔らかいベッドの上だった。

傍らには、憔悴した顔の紳士がいた。

「おお、神よ、感謝します!」

涙を流しながらエリザベスを抱きしめたのは、父・エドウィン・チャドウィックだった。

新しい母もできた。疎まれるかと思ったが、子がいなかった彼女はエリザベスを本当の娘のように愛してくれた。  

両親に愛され寄宿学校で貴族の子女としての生活も送ることが出来た。

だが、何かが足りない。そんな欠落感にしばしば悩まされる。

そこに現れたのはオリバー・ツイストと言う12歳になったばかりの少年だった。


「ベス! 何ぼさっとしてるんですか?」

オリバーの声で過去の回想から現実に引き戻された。

「もう! ちゃんと聞いてくださいよ。工員の教育と食堂の設置、どっちを優先するのが良いと思いますか?」

生意気な年下の友人に、エリザベスは目を細める。

「なんだと、オッサン!」

ヘッドロックで頭をグリグリ。

オリバーと話していると歳に似合わないおじさん臭さをどうしても感じてしまう。

「やめてくださいよ、痛いじゃないですか!」

「当たり前だろ、痛くしてるんだから!参ったか?」

「仲いいな、お前ら。兄弟みたいだ。」

ウィリアムが羨ましそうに見つめる。  

「で、ダストファンの効果はどうでした?」

「設置から1週間じゃ何とも言えないけど、アミラさんのとこに来る工員は減ってるわ。」

アランは快くスターリングエンジンの木造車を譲ってくれた。

「俺の発明が役立つなら、それが一番嬉しい。」

彼の活躍で、ダストファンの設置は瞬く間に完了。

あとは数字で成果を示せればいい。

アランは工作機械の安全性を評価し、他の工場に比べ良好だが、裁断部分がむき出しの機械は危険だと指摘。

「慣れない工員が操作するのはリスクが高い。」

「アランの言う通り、新人向けの機械操作の教育を優先すべきだな。ベスはどう思う?」

「私も教育が最優先。怪我が減れば仕事がやりやすくなるわね。」

エリザベスとブライアンが同意。

「だが、根本的には機械の安全性を高めなきゃ怪我はなくならん。いまの設計思想は価格と効率ばかりが優先されて、使う人間のことなんか考えてない。」

アランのエンジニアらしい意見に、皆が頷く。

「また予算か? ダストファンの分をやっともらったばかりだぞ。」

ウィリアムが顔をしかめる。  

やるべきことは山積みだ。

教育、食堂、機械の安全性能――全て投資が必要。

成果が出るのは1年後か? 

経営者を納得させられるか?

オリバーの「説得力」スキルはレベル8で停滞中。

確実な説得材料がないまま、チャドウィック夫妻の視察が1週後に迫る。

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