第37話 楔を打ち込む
ダンカンの干渉が消え、オリバーは初めて「自由」を感じていた。
この国では市民権は中級以上の者にしか認められず、それ以下は社会の「お荷物」と蔑まれる。
だが、オリバーの自由はナンシーの終身利用権に寄生しているに過ぎない。
ナンシーがいなくなれば、彼は再び権利のない下層民に逆戻りだ。
それでも、チャンスは掴んだ。
この機会を活かせば、小さな商売を始める資金を貯められるかもしれない。
オリバーは森に踏み込み、「状態スキャニング」「感覚強化」「感覚速度10倍速」の三連コンボを発動。
ブナ林のざわめき、湿った土の匂い、遠くの鳥の鳴き声までを捉え、森全体の情報を吸収した。
集めたデータを「思考強化」「思考速度10倍速」で分析し、ヨーダに流して多角的なシミュレーションを重ねる。
単なる資源分析にとどまらず、イギリスの社会・経済を俯瞰し、可能性を探った。
専門家5人のチームが1ヶ月の間、寝食を惜しんで働きやっとなんとか出来る作業量だった。
それを、オリバーは1時間で終えた。
最適解が導き出された。
森には広大な桑林が広がっている。
これを活かせば、最高品質の絹を生産できる。
ただし、蚕の養殖はここで行い、生産は繊維工場に委託するのが最適と判定。
隣村のチャドウィック家の繊維工場が候補に挙がり、計算に織り込まれていた。
第一歩はサンプルの作成だ。
だが、イギリスで蚕の養殖経験者を見つけるのは至難の業だった。
オリバーはナンシーに相談した。
「心当たりはないねぇ。ブライアンに聞いてみな。繊維工場なら何か知ってるかもしれないよ。」
確かにその通りだ。チャドウィック家の工場なら、蚕の扱いに詳しい者がいる可能性がある。
【トムは確かに過ちを犯しました。ですが、彼は本当に悪だったでしょうか?】
ヨーダが唐突に質問を投げかける。
このスターウォーズの老師もどきは時々、意味不明は禅問答を仕掛けてくることがある。
「なんだよ、急に説教か?トムに何かするつもりはないぞ。」
【わかってますよ。ただ、考えるべきことがありますよね。】
【この時代の『囲い込み』を、どう見ますか?】
「囲い込みだと?トムはその被害者だと言いたいのか?」
農業の大規模化。時代の流れ?
いや、日本人だった「俺」から見れば、それは農村の崩壊だ。
美しい里山が「経済合理性」の名の下に潰された日本の歴史が脳裏をよぎる。
杉の植林、減反政策。
米価下落を抑えるはずが、食料自給率を下げ、花粉症の元となる杉林を生んだだけ。
ちぐはぐな政策が放置され、農村は荒廃した。
ビクトリア時代の為政者を笑えない、とオリバーは苦笑した。
【その通りです!】
「おい、なんで急にテンション上がってんだ?バグったか?」
オリバーは内心で突っ込んだ。
【今回のクエストの主要ミッションは「農業生産の持続性」の確保です。】
「…どっかで聞いたようなお題目だな。」
だが、よくできたシミュレーションゲームでは、持続性のある技術や政策は重要だ。
同じ投資でも、回収期間が10年と30年では大違い。
持続性の高い技術には投資が増え、住民の可処分所得が上がり、内需が安定する。
副次的なサービス業も育つ。
今のイギリスは、産業革命の効率化に溺れている。
植民地から原材料を輸入し、本国の工場で加工して諸外国に売る。
加工貿易は一部の資本家に富を集中させ、内需は悲惨なほど貧弱だ。
本物の国力とは言えない。
イギリスは外需に依存する帝国主義の化け物であり、国内を蝕むディストピアだ。
工場の機械化と農村の破壊で、「仕事のない人々」が溢れている。
社会的に「無意味」な者に懲罰的労働を押し付ける
――それが「新救貧法」の思想だ。
だが、教育も選択肢も自主性も奪われた者に、希望はあるのか?
答えは、断じて否だ。
希望がないものに未来はない。
「で、つまり何が言いたいんだよ?」
【『囲い込み』や『新救貧法』へのアンチテーゼが必要だと思いませんか?】
「俺みたいなガキが社会批判したって、誰も相手にしないだろ。アホらしい…」
【社会批判しろとは言ってません。それはマスコミの仕事でしょう。】
「じゃあ、何だよ?」
【あなたは蚕の生産を始めようとしています。もし、ここで働く労働者や労働環境の質が飛び抜けて優れ、生産性が他の工場を圧倒したら、どうなると思いますか?】
「…なんだと!?」
それは、このディストピアに楔を打ち込む強烈かつ痛快なアンチテーゼだ。
元日本人でシミュレーションゲームを愛したオリバーの胸が熱くなった。
ゲーム愛好家なら、2周目、3周目はあえて難易度を上げた「縛りプレイ」を楽しむ。
この現実世界でそれができるか?
答えはYesだ。
ヨーダの演算能力は、量子コンピュータにスーパーコンピュータ10台を連ねたレベルと踏んでいる。
桑林を活かし、労働者に希望を与え、チャドウィック家の工場と協力する。
条件は厳しいが、リターンは腐った経済政策に楔を打ち込む挑戦だ。
こんな「縛りプレイ」に燃えないプレイヤーはいない。
「やってやろうじゃないの!」
オリバーはそのプランに夢中になり、未来に明るいものを感じた。




