第35話 つぐない
汚染された井戸の浄化は、予想以上に厄介だった。
細菌は自然に消滅するとしても、長い時間がかかる。
【灰を大量に用意してください。灰を付けたたわしで井戸の壁を洗い、濁水をポンプで吸い上げます。清水になったら再び灰で洗浄。これを3回繰り返してください。その後、ひたすら水を汲み出して入れ替え続けてください。概ね正常化しますが、念のため1週間は浄水器を通してください。】
...そんなに大変かよ?...
【気合と根性ですよ!】
...ちぇっ。...
オリバーは不満げに舌を鳴らしつつ、やるしかないと腹を括った。
たわしが必要だったので、ウィットフィールド村の商店へ向かった。
店に入ると、金髪のお姉さんが両手で頬杖をつき、くすっと笑う。
「あの、たわし3個ください。」
気まずく上目遣いで見ると、彼女は妙に間延びした声で答えた。
「ふーん、たわしね。いいわよ。」
たわしを紙に包み、オリバーがお金を渡して受け取ろうとした瞬間、彼女の目はネコ科の獣が獲物を見つけた時のように光った。
「ほら!」
お姉さんは商品を引っ込め、オリバーはズッコケる。
何が起きたか分からず、顔を赤らめて涙目になるオリバーを、彼女はケタケタ笑いながら見つめた。
「キャサリン、いい加減にしなさい!子供をからかうな。」
店の奥から、黒のベストに白髪交じりの頭を刈り込んだ男が出てきた。
「君がブライアンの言ってた子だな。悪かった。娘が……これは詫びだ。また来てくれ。」
男はキャンディを匙ですくって紙袋に詰めてくれた。
「また来てね、バイバイ!」
キャサリンは悪びれず手を振る。
ブライアンは、オリバーをハムステッド村に引き取られた遠縁の子だと村人に説明していた。
たわしを無事に手に入れ、オリバーは帰路についた。
キャンディを舐めながら馬車から眺めるウィットフィールド村は、豊かな田園風景が広がり平和そのものだった。
【尾行されてますね。】
...だな。...
馬車の後をつかず離れず追う男がいた。
トムだとすぐ分かった。
一度、馬車を降りて追い払おうとしたが、トムは即座に逃げた。
だが、しばらくするとまた後をつけてくる。
【戦闘レベル1、武器なし、栄養状態も悪い。実害はないかと。】
「状態スキャニング」の分析結果を確認。
実害はないにせよ、ナンシーのコテージには近づいてほしくなかった。
だが、トムは話しかけるでもなく、ただひたすら尾行するだけ。
そのままコテージに着いてしまった。
トムのことは気になったが、オリバーは手漕ぎポンプと灰を用意し、井戸の浄化作業を開始した。
2月初旬の寒さは身を切るようだった。
井戸の底は震えるほど冷えたが、「生存限界」スキルの修行だと思い、灰を手に壁を擦り始めた。
1時間で限界が来た。
井戸から這い出て、薪に火を点ける。
すると、トムが近づいてきた。
「なんだよ?」
トムは答えず、たわしを手に井戸の底へ降りていく。
「おい! 何のつもりだ!?」
この寒さで、井戸の作業は「生存限界」スキルがなければ低体温症の危険がある。
「上がってこい!」
トムは無視し、黙々と壁を擦った。
【大丈夫そうです。トムの「生存限界」はレベル5。あなたより1レベル上ですね。】
...マジかよ!?...
【さらに、「伝統農法」はレベル10でカンストしてます。】
...なんでそんなすごい奴が、こんなことに?...
【深刻な社会矛盾ですね。】
トムは驚くほど有能だった。
指示せずとも作業を熟し、井戸の洗浄は予想以上に効率よく進んだ。
2日目の夕方にはほぼ完了し、浄水器は念のためで済む状態に。
その後も、トムはナンシーの畑を整備し、鶏小屋を拡張。
「伝統農法」の手腕を存分に発揮し、収量が上がった。
空いた土地にオーツ麦を植えた。
ナンシーに勧められ、食事は受け取るが、コテージには入らず、薪のそばで一人食べた。
薄汚れた服はナンシーが洗い繕い、こざっぱりした姿に。
森に掘っ立て小屋を建て、そこに住み着いた。
ナンシーが家に入るよう何度も勧めるが、トムは頑なに拒んだ。
つきあってみると、どこまでも善良な男だった。
オリバーはこの奇妙な共存を受け入れることにした。
トムは飢えを凌ぎ、ナンシーとオリバーの生活も向上した。
だが、ナンシーはトムの過去を知らない。
オリバーが少しでも漏らせば殺す、とトムを脅しているからだ。
...これ、いいのか?...
【まぁ、なるようになるでしょ。】
いつにも増して無責任なヨーダだった。




