第32話 捜索
男たちが逃げ込んだのは、ハムステッド村からそれほど遠くない丘の上に建つ立派な館だった。
ハムステッド村自体は廃村になっていたが、この館を中心に小さな小屋がいくつか建っている。
…ここは?…
【ナンシーさんが話していた地主、ダンカン氏の館と推測されます】
…じゃあ犯人はそのダンカンって奴か?…
【ほぼ間違いありません。ただ、理由を特定する必要があります】
…わかるのかよ?…
【推測は可能ですが、まずは状態スキャニングで逃げ込んだ男たちの報告を盗聴しましょう】
…なるほど!…
ふたたびスキルを発動すると、視覚と聴覚が拡張され、館内の様子が見えてきた。
「なにも出来ずに戻ってきただと?この役立たずどもが!いいか、明日は必ず鶏小屋に毒を混ぜて、畑の野菜はすべて食べられないように荒らしてこい。いいな?」
ワイングラスを片手に、高級そうなガウンを羽織った男が怒声を上げる。
跪いた三人の男たちが、うなだれて頭を下げる。二人は腕と脚から血を流し、苦しそうに呻いていた。
「承知しました。明日には良い報告をさせていただきます」
「その言葉、忘れるなよ。……もういい、下がれ」
【確定ですね。犯人はダンカンです】
…そうだな。だけど何のために?…
【ナンシーさんへの恨み、あるいは土地とコテージが目的でしょう】
スキルを切り替え、館全体を俯瞰して情報を収集する。
かなりの量の銃器が保管され、周囲の小屋には十数人の男が住み込んでいる。その中には戦闘レベル5以上の屈強な男が少なくとも3人。
防犯にしては度が過ぎる。荒事を企んでいる者たちにしか見えない。
【どうしますか? 明日の夜、またあの男たちが襲撃してきますよ】
…明日まで待つ必要はないよな。先制攻撃を仕掛けるか…
「威圧」がレベル6になっていた。その威力を試す好機だ。
都合のいいことに、男たちは三人で集まって酒を飲んでいる。
毒性ハーブの効果が切れたのだろう。傷を負った二人も手当てを受け、落ち着きを取り戻したようだ。
オリバーの戦闘レベルは3、相手はレベル4が一人、レベル2が二人。
分は悪そうだが、回避力はレベル5。汎用的な予備動作ならすべて先読みできる。
近くの井戸から水を汲み、泥を練って顔中に塗る。
そして黒い布で全身を覆った。声を出されたら厄介だ。
オリバーは身を潜め、機会を待つ。
やがて、一人の男が尿意を催したのか、草むらへ向かってきた。
これを逃さず、男のテンプル(側頭部)を狙って棍棒を振るう。
男の意識はあっけなく刈り取られた。
林に引きずり込み、周囲に人気がないことを確かめてから活を入れる。
男が訳の分からないといった表情で頭を振る。
立ち上がろうとしたところで足払いをかけ、肩を踏みつけた。
声を出そうとした口を塞ぎ、いよいよ本番だ。
泥を塗り、黒布で覆った不気味な姿で「威圧Lv6」を発動し、正面から睨みつける。
「声を出したら殺す」
低い声で恫喝すると、男は涙を流しながら震えだした。
「聞かれたことに答えろ。嘘だと判断したら、その場で殺す」
…効果抜群じゃないかよ!…
【まぁ、ほどほどに】
「昨日と今日、お前がしたことを話せ。大声は出すな。いいな?」
男はこくこくとうなずいて話し始めた。
井戸にイノシシの死骸を投げ込んだこと、柵を壊そうとしたこと、鶏に毒餌を与えようとしたこと。
「なぜそんなことをする」
「ダンカンさんがあの土地を欲しがってるんだ。婆さんが出ていけば、あそこはダンカンさんのものになる」
…なるほど…
ダンカンの意図はわかった。
「いいか。オレはいつでもお前を殺せる。死にたくなければ、あの土地には二度と近づくな」
顎を掴んで目を近づけ、「威圧」を叩き込むと、男は白目をむいて気を失った。
ちょうどその時、男が戻らないのを不審に思ったもう一人が近づいてくる。
同じ手順で恫喝すると、泣きながら逃げ出した。
最後の一人は最初の二人ほどではなかったが、やはり心を折るのは難しくなかった。
「助けてくれるなら、何でもする」と言うので、昨日ナンシーの井戸に投げ込んだイノシシの死骸を運ばせ、今度はダンカンの館の井戸へ投げ込ませた。
男は怯えた表情のまま逃げ去っていった。
…これで明日の襲撃は中止だな…
【どっちが悪党なのかわからなくなってきましたよ】
ヨーダが珍しく皮肉を言う。
…だけどよ、これでダンカンはあの三人が裏切ったと思うだろ。とりあえず一日は稼げた…
【これで諦める男ではなさそうですね】
強欲そうな脂ぎった顔を思い浮かべ、気が滅入る。
翌朝、早起きして浄水器でその日の分の水を浄化する。
「ばあちゃん、俺、ウィットフィールド村まで行ってくるわ」
ナンシーにそう告げた。
「おや、そうかい。気を付けて行っておいで」
畑では野菜はふんだんに採れるが、オーツ麦と塩は村の商店で買うしかない。
それに、昨日やったことの“結果”も見ておきたい。
ウィットフィールド村にはチャドウィック家の繊維工場がある。
一人で解決できる問題ではない。頼れるのはブライアンだ。
村に入ると、まず塩とオーツ麦を購入する。
商店の娘は青い瞳の典型的なブロンド美人。年齢は二十前後だろうか。
…いかんいかん、何考えてるんだオレ…
ナンシーの言葉に、いつの間にか影響されている自分に気づき、気恥ずかしくなる。
チラチラと顔を見ていたオリバーに、娘は「ハハン」と鼻を鳴らして笑った。
オリバーは顔を赤らめ、その場を退散する。
チャドウィック家の工場はすぐに見つかった。
ビクトリア時代の工場といえば、危険・汚い・臭い・不衛生――ロクな職場ではないと身をもって知っている。
だが、中からは意外にも明るい笑い声が聞こえてきた。
ブライアンを呼んでもらうと、事務室を示された。
扉を開けて中に入ると、ブライアンの姿が見えた。
オリバーに気づくと、「おっ!」と声を上げ、こちらへ歩み寄ってくる。
「何かあったのか?」
「はい、ちょっと厄介な問題が……」
ここ二、三日の出来事を説明すると、ブライアンは怒りを露わにした。
「誰だ、そんなことをする奴は」
「確かな証拠はないんですが、多分、地主のダンカンさんかと。柵を壊そうとした連中は、ダンカンさんの館に入っていくのを見ました」
「クソっ! 酷いことしやがる」
「おばあさんとダンカンさん、何かあったんですか?」
「ああ、ちょっと訳ありでな。だがダンカンがそこまでするとは……」
ブライアンは唇を噛む。
ナンシーは先代領主の館で女中頭を務めていた。その息子のダンカンとは因縁がある。
ダンカンは子供のころ、自分にだけ厳しいナンシーを嫌っていたが、領主の信任の厚い彼女に逆らうことはできなかった。
さらに、ナンシーが引退後に領主からコテージと畑、森の終身利用権を与えられたことも根に持っていた。
「自分がもらうべき土地をナンシーに横取りされた」――それがダンカンの言い分だ。
裁判まで起こしたが、ナンシーを慕う兄二人の反対で失敗している。
ナンシーの土地の権利は特殊で、実際にはナンシー一代の利用権だ。
彼女の死後、その所有権はダンカンのものになる。
終身利用権には条件がある。利用者が土地の管理を適切に行えない場合、その権利は喪失する――というものだ。
「もしダンカンの部下が嫌がらせに出たのなら、確実になにか企んでいる。しかも相当に強硬な手段だ」
「そんな! それって不正行為じゃないですか? 警察に訴えて保護を求められないんですか?」
「警察は簡単には動かん。確かな証拠がない限り、当てにはならない」
司法が頼りにならないなら、オリバーひとりではどうしようもない。
ダンカンは金で屈強な男たちを雇っている。あいつらが大挙して押し寄せたら勝ち目はない。
「どうにかなりませんか?」
ブライアンは腕を組み、黙り込む。
その時、事務室の扉が開き、若い男が入ってきた。
「ブライアンさん、綿花が今日ロンドンに着きました。明日入荷しますよ。」
男はそう言ってからオリバーを見る。
「あ!」と叫び、言葉を継いだ。
「君はオリバー・ツイスト君じゃないか!」
…誰?…
見覚えのない男だったが、彼は親しげに手を差し出し、握手を求めてきた。




