第31話 陰謀
嫌な予感がして、オリバーは夜明け前に目を覚ました。
冷たい空気に体が小さく震える。ジャケットを羽織り、玄関の扉を開けると、まだ月が空に残っていた。
ふと鼻を突く異臭が、彼の感覚を研ぎ澄ませた。
…これは…
「状態スキャニング」を起動する。すぐに井戸の中から異常が検知された。
…まさか…
ロープを使って即席のハーネスを組み、井戸の中へと慎重に降りる。
そこには腐敗したイノシシの死骸が沈んでいた。
水を汲み上げようにも、汚染は深刻だった。
ヨーダの診断は一週間の使用禁止を告げた。
幸い、森の奥に小川がある。そこまで水を汲みに行くしかない。
だが、小道に差しかかると目を疑った。
厳重な柵が設置され、「危険!立ち入り禁止」の看板が打ち付けられていたのだ。
…誰が、こんなことを…
【調査する必要がありますね】
ヨーダの声に、オリバーは頷いた。だが、今は水の確保が急務だ。
「...今日の分だけでも浄化できないか?」
【簡単な浄水器を作りましょう。材料は川砂、炭、砂利。あなたの大工スキルで十分です】
即座に行動に移す。材料を集め、古い水樽を加工し、ろ過装置を構築する。
1時間後、最初の清水がちょろちょろと流れ出した。
ナンシーが目を覚ます頃には、二人分の水が確保されていた。
…しかし、誰がこんな真似をしたんだ。…
【調べるのは簡単です。恐らく犯人は今晩もやってくると思います。そして、看板を立てさせたのが誰かが重要なヒントとなります】
…なるほど!…
一方その頃──。
ダンカンは暖炉の前でウイスキーグラスを傾けていた。
「で、うまくやったか?」
「はい。闇夜に紛れて腐ったイノシシを井戸に放り込みました。あれはもう使えませんね」
部下が得意げに報告する。
続いて、執事が図面と書類を差し出した。
「フォックス家名義で林地を囲いました。猟区指定を理由に立ち入り禁止措置を申請し、既に許可が下りております」
フォックス家はダンカンの妻の実家――貧乏貴族だが、ダンカンの言いなりだった。
「つまり、あの婆さんのコテージは水が使えない。そういうことだな。」
ダンカンがニヤリと笑うと、執事も追従するように笑った。
「その通りでございます。」
ダンカンは先代領主の三男だった。
領主が亡くなった際、長男と次男は相応の財産を相続したが、ダンカンが得たのはその半分程度の土地と資産。
先代領主は、ダンカンの欲深さを危惧し、大きな権力を与えることを恐れた。
だが、ダンカンは納得などしていなかった。
先代領主は4通の遺書を残し、3人の息子と、領主館で長年仕えた元女中頭のナンシーに渡した。
ナンシー宛の遺書には、彼女のコテージと畑、隣接する林地の終身利用権を所有権に変更する内容が記されていた。
ナンシーは目の病で女中頭を辞したが、先代領主はその誠実さを愛し、彼女と息子に厚遇を与えた。
遺書は弁護士の立ち会いのもと、3人の息子とナンシーの息子に手渡された。
だが、その日のうちに悲劇が起きた。
ナンシーの息子は、遺書を届ける途中で崖から転落し、死亡。
遺書も共に失われた。
遺書の内容を弁護士から聞き及んだダンカンが「赤の他人に俺の財産が奪われた!」そう逆恨みしたのだ。
怒りに燃えたダンカンは、流れ者のジャックを雇い、ナンシーの息子から遺書を奪うよう命じた。
──事故だったのか?それとも...。
ジャックの報告ではナンシーの息子が遺書を移送中、崖から落ちる事故にあった。遺書は息子とともに谷の底に消えた。
ダンカンにとっては好都合な結果であった。
それが失われたことを「天の配剤」と受け取った。
「赤の他人に、俺の土地を奪われてたまるかよ...!」
ダンカンは欲に駆られていた。
羊毛需要の高まりを当て込み、ハムステッド村の「囲い込み」を議会に申請し、廃村を羊の放牧場に変える計画を立てた。
計画はことのほか順調に進んでいた。
さらに、隣村のチャドウィック家の繊維工場が稼働率を上げ、収益が見込めると知り、ナンシーの林地にも目を付けた。
遺書の消失を良いことに、ナンシーの終身利用権を無効化する裁判を起こす。
だが、長男と次男の反対で裁判は失敗。
ナンシーの死後の相続権のみがダンカンに認められた。
だが、待つつもりなどなかった。
終身利用権は、法律を盾にすれば簡単に奪える。
盲目の老女がコテージと林地を維持できるはずがない。
ナンシーの息子が死に、土地が荒れると踏んでいたが、10歳の孫オリバーとナンシーの友人たちの尽力で、コテージは見事に維持されていた。
苛立つダンカンは再びジャックを雇い、荷を運ぶオリバーを襲撃させた。
だが、襲撃は失敗。
オリバーは何事もなかったかのようにナンシーと暮らしていると報告が入った。
ジャックは前金の5ポンドと共に逃げたと思われていたが、厚かましくもダンカンのもとに報酬を求め現れた。
怒り狂ったダンカンはジャックを痛めつけ、非合法な組織を通じ、交易船の奴隷労働者として売り飛ばした。
今、ダンカンは新たな策略を巡らせていた。
ナンシーに水を使えなくすることを画策した。
「水がなけりゃあの婆さんも終わりだ。次は何を仕掛ける?」
執事が目を細めた。
「井戸の次は、食料ですな。穀物を燃やすか、鶏を毒で殺すか……。」
数年後には長男を凌ぐ財産を手に入れる自分の姿を想像し、ほくそ笑んだ。
その夜、夕食後、ナンシーがお茶を淹れてくれた。
オリバーと二人、暖炉の前で湯気を立てるカップを手に持つ。
話は意外な方向へ向かった。
「そろそろ、あんたの嫁さんを探さなきゃねえ。」
「へっ!?」
オリバーの目が点になる。
「いやいや、何だよそれ! 俺、まだ11歳だぞ! 早すぎるよ!」
「何を言ってるんだい。早いもんか。気立ての良い娘は、すぐ他の男に取られちまうよ。ハムステッド村はなくなったけど、隣のウィットフィールド村は繫盛してるって話だ。秋には村祭りがある。一緒に行こうね。」
…村祭りか!…
その言葉に、オリバーの心は強く惹かれた。
思いを巡らせると、胸がワクワクしてくる。
ビクトリア時代の村祭り
どんな音楽や踊り、屋台があるんだろう?
…男女がそこで出会って、告白するのかな。…
ほのぼのとした風景が頭に浮かぶ。
考えてみれば、ここに根を張り、村の気立ての良い娘と未来を築く
それ以上の幸せがあるだろうか?
ニヤニヤと頬を緩ませ、はっと我に返る。
ナンシーの目が見えないことに感謝した。
気まずさと恥ずかしさで、額に汗が滲む。
だが、今夜はまだ一仕事ある。
「ばあちゃん、俺、先に寝るわ。」
「そうかい。おやすみ。」
屋根裏の自室に入ると、オリバーはベッドの上で結跏趺坐した。
「状態スキャニング」「感覚速度10倍速」「感覚強化」の三連コンボを最大範囲で発動。
長丁場を覚悟したが、敵は意外と早く現れた。
【侵入者確認。総数3名。】
ヨーダのメッセージが頭に響く。
焦点を3人に合わせると、情報が流れ込む。
【レベル4が1人、レベル2が2人。2人はハンマー、レベル4は短銃と毒物の袋を所持。】
…目的を推測してくれ。…
【昨日、井戸を汚染した者なら、ハンマーで柵の破壊、毒物で鶏小屋の餌箱を汚染するつもりでしょう。】
…クソッ! ふざけやがって!…
月のない夜だった。
オリバーは小窓を開け、闇に紛れる3人の輪郭を捉えた。
「感覚強化」で、闇夜でも敵の動きがくっきりと見える。
1人がハンマーを振り上げるのが見えた。
オリバーは音もなく小石を投げた。
毒性のハーブを塗った小石は、鋭く空を切る。
「痛てっ!」
男が声を漏らし、ハンマーを落として蹲る。
「どうした?」
別の男が囁く。
「何かに噛まれた! ちくしょう、痛え!」
痛いはずだ。
小石は腕の肉を削り、貫通している。毒性ハーブが痛みを増幅させる。
オリバーはもう一撃。
別の男の脚を狙い、小石を放つ。
「ぐっ! 俺もやられた!」
「ちくしょう! 何がいるんだ! 一旦引き上げるぞ!」
襲撃者たちは音もなく退散した。
だが、オリバーは彼らの後を追う。
闇に紛れ、足音を殺し、まるで影のように。敵は気づく様子もない。




