第29話 泡沫の夢(続き)
初老の男が鋭い眼光をオリバーに向けた。
よく肩になじんだ上質のツイードジャケット、ノリの効いたピシッとしたシャツ。腕利きの職人が好む服装だった。
「ここで何をしてる? 背負ってるのはなんだ?」
オリバーは言葉に詰まった。
「ローズヒップだな。なぜお前がそんなものをここで採ってる? 誰の許可を得た?」
「あの、ナンシーさんに頼まれて……」
「ナンシーに頼まれただと?」
男はオリバーを頭からつま先まで舐め回すように見て、眼光をさらに鋭くした。
「その服はどうした? それはオリバーの服じゃないのか? お前はいったい……」
その時、コテージの扉が開き、ナンシーが顔を出した。
「オリバーかい? ローズヒップは採れたんだろ? さあ、中へお入り。」
ナンシーは首をかしげ、気配を伺うように周囲を見回した。
白く濁った目が、虚空を探る。
「おや、誰かいるのかい?」
「俺だ、ナンシー。ブライアンだ。」
「おや、ブライアン! よく来たね。クリスマスを一緒に祝いに来てくれたんだろ?」
ナンシーが心底嬉しそうに笑った。
「何やってるんだい、二人とも。さっさと中へお入りよ。オリバー、ジャムを作るからローズヒップを台所に運んでおくれ。」
ブライアンは驚きと不信に目を丸くし、オリバーとナンシーを交互に見つめた。
ナンシーに促され、オリバーとブライアンは食堂に通された。
「ちょっと待ってておくれ。ジャムの仕込みは新鮮なうちにやった方がいいからね。」
ナンシーはそう言うと、奥に引っ込んだ。
ブライアンがオリバーを睨みつけた。
嘘を許さない、そんな眼光だった。
「説明してもらおうか。オリバーはどうした?」
オリバーはこれまでの経緯を包み隠さず話した。
ナンシーの孫、オリバー君が盗賊に襲われ、死んだこと。馬車と荷物を届けるよう頼まれたこと。
ナンシーに真実を伝えたが、彼女が受け入れられなかったこと。
ブライアンは悲痛な表情で天を仰いだ。
「じゃあ、こういうことか? お前はオリバーが死んだのをいいことに、ナンシーを騙してなりすましてるってことだな?」
「最初は誤解だったんです。でも、俺はナンシーさんに言いました。俺はあなたの孫じゃないって。でも、ナンシーさんは……」
「ちゃんと説明しただと? じゃあ、さっきのナンシーはなんだ? お前をすっかりオリバーだと信じてるじゃねえか。この野郎、うまく騙したつもりか? 俺はそんなこと絶対に許さねえ!」
オリバーは唇を噛み、うつむいた。
「大体、お前はどこから来た? 親はどうしてる?」
「俺は救貧院で育った孤児です。最近までロンドンの葬儀屋で年季奉公してましたが、事情で辞めました。」
「なんだと!? 食い詰め者の孤児が人を騙してここに居座ってるってことか! ふざけるな!」
ブライアンの声が響く。
…万事休すか…
オリバーががっくりと肩を落とした。
また、あのサバイバル生活に逆戻りかを思うと気が滅入る。
それよりもここでの生活に既に捨てがたいほどの愛着を感じていた。ここを離れると思うと胸が張り裂けそうになる。
「何を騒いでるんだい? さあ、二人とも、今日はクリスマスだ。ごちそうだよ。ブライアン、ワインは飲むだろ?」
ナンシーが慣れた手つきで料理を並べた。
スープ、鶏の丸焼き、ジャム付きのパン、甘いクッキー。
暖炉の火が部屋を温める。
「チャドウィック様はお元気かい?」
「ああ、エリザベスお嬢様もお元気だ。かわいがられてるよ、安心しろ。」
「そうかい、よかった。」
「トーマス様がインドから戻られた。奥様はインド人だ。」
「なんだって?」
ナンシーが素っ頓狂な声を上げた。
「インド人の奥様って、あの人らしいねえ。」
「ああ。エドウィン様の話じゃ、子供の頃から破天荒な方だったらしい。今はマッコイ様に半分勘当されて、エドウィン様の屋敷に居候だ。」
「まぁ、呆れた。でも、懐かしいねえ。アリシアが生きてた頃は、時々お会いする機会もあったよ。」
「ああ、アリシアのことは本当に残念だったな。」
「あんたのせいじゃないだろ。もう昔のことさ。それに、神様からオリバーって可愛い孫を授かった。それで十分だよ。」
ブライアンは困惑に目を瞬かせた。
短い沈黙。ブライアンが意を決したように言った。
「なあ、ナンシー、そのことなんだが……ここに座ってる奴は誰だ?」
「変なこと言うねえ。オリバーに決まってるじゃないか。」
「いや、そうじゃねえ。あんたは目が見えねえから騙されてるんだ。こいつは食い詰め者の性悪なガキだ。どこの誰とも知れねえ!」
ナンシーが不思議なものでも見るような顔でブライアンを見る。
「何を言われたか分からない」とでも言うような顔だった。
「なあ、ナンシー……」
「バカなこと言うんじゃないよ!」
凍りつくような冷たい声でナンシーが遮った。
体を小刻みに震わせ、目からボロボロと涙がこぼれた。
「帰っておくれ。そんなバカなこと言うなら、もう友達じゃないよ。なんて酷い人なんだ!」
「待ってくれ、ナンシー! 俺はお前が心配で……」
ナンシーはその言葉に耳を貸さず、寝室に引っ込んだ。
ブライアンは呆然と立ち尽くした。
「あの、ブライアンさん、話を聞いてもらえませんか?」
ブライアンが我に返り、オリバーを見た。
「ああ、俺もお前と話がある。外に出るか?」
「はい。」
外は、冬にしては意外と温かい日差しだった。
「俺は確かにナンシーさんを騙してる。それは本当に申し訳ないと思ってます。でも、いつまでもここに居座るつもりはありません。」
「いずれ出ていくってのか?」
「はい。でも、今俺が出てったら、ナンシーはどうなるんです?」
高く積まれた薪、よく整備された鶏小屋、補修済みの柵、畑の脇に積まれた腐葉土と鶏糞の堆肥。
それはブライアンの目でもだれか誠実なものの仕事であると見て取れた。
「これはお前がやったのか?」
ブライアンが感心したように言った。
「はい、ナンシーさんと一緒にやりました。」
「よくできてる。大したもんだ。」
「俺はオリバー君に頼まれて馬車と荷物を届けたら、すぐに出ていくつもりでした。でも、ナンシーさんはまだオリバー君の死を受け入れられないんです。あなたが納得できないのは分かります。でも、しばらく俺をナンシーさんの孫にさせてください。お願いします。」
オリバーは深く頭を下げた。
ブライアンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「分かった。お前の好きにしろ。だが、俺はお前をいつも見てるぞ。忘れるな。」
「ありがとうございます!」
「今日はこれで帰る。塩、胡椒、砂糖、ナイフを届けに来ただけだ。荷は置いていくから、ナンシーに渡してくれ。」
「分かりました。」
「俺は隣村のチャドウィック様の繊維工場で働いてる。村で聞けばすぐ分かる。何かあったら知らせてくれ。時々来る。」
ブライアンはそう言い残し、去っていった。
オリバーはコテージを見上げた。
…ここは居心地いいけど、いつかは出ていかなきゃな。…
【その通り。この世は泡沫。永遠なんて妄想ですよ。】
…ちぇっ! …
ヨーダのまるで他人事のようなその一言にオリバーは恨みがましく舌打ちした。




