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第215話 分岐する幕末

完敗だ……。そう確信した。

オリバーは『筋力強化』による防御すら間に合わず、その身に強烈な打撃を許してしまったのだ。

河上彦斎は、決して抜刀一辺倒の剣客ではない。

それどころか、機を見て剣を捨て、泥臭い蹴りで勝ちを拾いにくる老獪さがある。

その強さは、幾多の死線を潜り抜けてきた実力の裏付けに他ならなかった。

水中でもがきながらも、自動発動したスキル『生存限界』がダメージを癒やし始める。

数メートル先に彦斎の姿が見えた。

彼はオリバーの方を向き、何かを手振りで示している。

(何のつもりだ?)

なぜか、その顔は微かに笑っているように見えた。

やがて、彼が浮上していくのが見えた。

その先には、仄かな灯火が揺れている。

(やられたか……)

万事休す。敵は川にまで網を張っていたのか。

浮上すれば、今度は船の上から攻撃を受けるに違いない。

オリバーは闇に紛れ、慎重に水面へ顔だけを出して様子を窺った。


一艘の小舟が、小さな提灯を掲げて浮いていた。

「もう、彦斎! あんた本当に大丈夫? ほんまアホなんやから」

「そう言わんでくだされ。ちゃんとお礼はさせていただきますゆえ」

「絶対やで。それより、そのオリバーさんてイギリスのあんちゃんはどこよ?」

「それが、よくわからんのでござる。多分、その辺りに……」

「もう、頼りにならへんなぁ。この寒さや、水の中に長くおったら死んでまうで!」

「面目ござらん……」

「オリバーさーん、いますかーっ?」

(ど、どうなってるんだ? 今、俺のことを心配してなかったか?)

【確かに、そのように聞こえましたね】

(だろ?)


『感覚強化』の出力を高め、耳と目を澄ます。闇の中に、彦斎と一人の若い女性が船の上にいるのが浮かび上がった。

俗に言う「小股の切れ上がった」……スタイル抜群の美女がそこにいた。

「ほんま、どないなっとんねん。あんたら、岸からこの船に乗るはずやったんちゃうの? 私はあんたから確かにそう聞いてたで」

「はぁ、確かにそう申しましたが……それが、オリバー殿の力が思った以上に強く、つい勢いがついてしまい……」

「川に転がり落ちたいうんかいな。アホ!」

「面目ござらん!」

(おい、あいつ本当にあの『人斬り彦斎』だよな?)

【はい、間違いありません。遺伝情報を解析してみますか?】

(いや、いい……)


「オリバー殿ーっ、ちょっと話をしませんか!」

彦斎の声に促され、オリバーはゆっくりと体を船へ向けた。

「あっ! いた!」

「おお、咲殿! お手柄でござるぞ」

オリバーは訳も分からないまま、小舟に引き上げられた。

「さっ、オリバーさん。これに着替えてください。寒かったでしょう」

この真冬、濡れた着物はさすがに堪える。

咲という娘が差し出してくれた乾いた服に着替えると、急速に体温が戻ってきた。

「ほな、いこかいな」

「あの……行くって、どこへ?」

「あんたもしっかりしぃや。神戸に決まっとるやろ」

「えっ……俺を、神戸に連れて行ってくれるんですか?」

「そやで」

「……どうして?」


問いかけると、咲は呆れたように彦斎を睨んだ。

それがしがお願いしたのでござるよ」

「彦斎さんが?」

「おお、某の名をご存じであったか」

「あ、いや……有名人、ですから」

「ああ、そういうことでござるか。人斬りの名が知れているというのは、あまり誇れることではござらぬが……」

彦斎は少し苦笑いをしてから、真剣な眼差しを向けた。

「それで、なぜ助けるのかという話であったな。実は、去るお方に頼まれたのでござる」

「そのお方とは?」

「久坂玄瑞殿でござるよ」


オリバーは息を呑んだ。

「えーっ!」

「某、久坂殿には大変お世話になり申した。先日、久坂殿が神戸に来られた際にお会いしたのですが、その時に『オリバーという男が京へ行ったら、困ったときに助けてやってほしい』と」

「そ、そうだったんですか……」

「あなたはイギリス人ですが、決して敵ではない。それどころか、混乱するこの国を守ってくれる男だ。――久坂殿はそう仰っておられた」


「久坂さんは、俺のことを他に何か……?」

「これを……」

彦斎が一冊の書物を取り出した。それはオリバーが以前、日本への見解と、イギリス・欧州の情勢、そして日本が近代国家として歩むべき道筋を記し、勝海舟に手渡した意見書だった。

「某、この書物に深い感銘を受け申した。……そして、きっぱりと『攘夷』を捨て申した」

「なんですって!?」

河上彦斎といえば、史実では明治以降も攘夷に固執した代表的な人物だ。その彼が攘夷を捨てたというのは、歴史を揺るがす大事件だった。

「この書物は、すでに岩倉殿、長州の桂殿、そして薩摩の西郷殿も読まれておられるはず。ビルマのこと、よろしくお願い申し上げます。この日本のためにも」

【どうやら、知らない間に日本の歴史に大きな変化が起こってしまったようですね】

(……そうだな。とんでもないことになった)


「話し中悪いけど、大坂が見えてきたで。あんた、ここからは走っていくんやろ?」

咲の声で我に返った。

大坂から神戸までなら、強化されたオリバーの足ならひとっ走りだ。

助けてくれた彦斎と咲に、オリバーは心からの感謝を伝えた。


「良いのでござるよ。また日本へ来られたら、一杯やり申そう」

「私は廻船問屋の娘や。イギリスとの交易の話、期待してるで!」

後に知ることになるが、この咲という娘は日本でも有数の廻船問屋の令嬢であり、いずれ日本の貿易を支える大きな柱となる潜在力を持った人物だった。


オリバーは船を降り、全力疾走で神戸を目指した。

異国の商館がまばらに立ち始めた街路を駆け抜ける。

夜が明けきった頃、清国の商船が停泊する桟橋が見えてきた。


なんとか間に合った!

朝日を背に受け、光る波と海風が心地よい、早春の朝であった。


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