第18話 戦闘ミッション その2
サイラスは、10歳にも満たない少年の無駄のない動きに内心で舌を巻いた。
油断していた。
無力な男と子供の二人、少し脅せば逃げ出すだろうと思っていたが、あっという間に味方の二人が無力化され、馬車は棺を乗せたまま突破されてしまった。
…あれがオリバーか?…
ノアから聞いた少年の容貌に似ている。
サワベリー葬儀店の人気商品「子供用特別葬儀」は、オリバーの憂い顔と整った容姿に皆が騙されているからだとノアが言っていた。あの少年だろう。
確かに、ご婦人方には魅力的な顔立ちだ。
オリバーは距離を取り、こちらの様子を伺っていた。
サイラスは怪我をした二人を撤退させ、残った部下に命じた。
「ノアをここへ連れてこい。」
部下は一瞬怯んだような顔をしたが、すぐ無表情に戻り走り去った。
「ゴードン、どう思う?」
「アイツがオリバーってガキなら、葬儀に行けなきゃサワベリーの評判はガタ落ちっすよ。そういう話じゃなかったですか?」
「ノアの話が本当ならな。」
「いいんですか? 棺は行っちまいましたぜ。」
「大丈夫だ。まだ時間はある。だが、アイツは何なんだ?」
サイラスの違和感は高まるばかりだった。
訓練された戦闘員なら感じない違和感だ。だが、目の前の少年はせいぜい10歳の子供に過ぎない。
それになぜ逃げない?
もちろん、逃がすつもりはない。
確かに先ほどの動きは見事だった。計算された無駄のない動き。
だが、それは運が良かっただけだ。戦闘力でこちらが劣っているわけではない。正面からやり合えば、勝ち目がないのは明白だ。
「おい、オリバー!」
サイラスが叫ぶと、少年の表情が一瞬動いたように見えたが、すぐに無表情に戻った。
……ふっ
サイラスは笑った。
少年が無理に無表情を装っていること。
それこそがオリバーの証明だ。状況もそれを裏付けている。
「ゴードン、腕の一本でも折ってやれ。」
これで全て片がつく。サイラスはそう確信した。
「了解!」
【戦闘レベルが1を習得しました】
ステータス上昇のメッセージがオリバーの頭に響く。
…おい、逃げられねえのかよ? 俺の戦闘レベル1じゃねえか! …
【そうですね。ですが、勝つ必要はありません。攻撃を徹底的に回避してください。面白いように回避レベルが上がりますよ】
…当たったらどうなるんだよ?…
【筋力強化を局所的に使い、しのいでください。ダメージを受けても自然治癒が自動発動します。余裕があればブーストをかけてください】
…でも、今何時だ? 9時までに喪服着てウインザー邸に行かなきゃいけねえんだぞ!…
【率直に言えば、葬儀が失敗すればサワベリーの評判は落ちます。今後のビジネスはジリ貧でしょう。あなたも罰を受けますが、せいぜい飯抜き程度。大きな問題ではありません】
その言い草には、目的のためなら手段を選ばないマキャベリズムの匂いが漂い、オリバーは顔をしかめた。
【何度か回避すれば、相手の動作パターンや予備動作を特定できます。数回繰り返せば回避力は爆上がりです。この機会に回避力ステータスを上げることは、あなたの生存率を上げる極めて重要なミッションです】
…なんで急にこんな状況になるんだよ?…
【偶然だと思わないでください。これは必然です。この世界で目立った能力を使うと、こうした事態は日常的に起こり得ます。受け入れてください】
…日常的って…
【レベル6が来ます。パワータイプの戦闘員です。一撃目を慎重に躱してください】
ゴードンが長い棍棒を槍のように突き出し、突進してきた。
感覚速度10倍速効果で、オリバーは一撃目を難なく躱せると踏んだが、そう簡単ではなかった。
突きは予想以上に鋭く、まるで棒が伸びたように見えた。
肩口を掠め、衣服の生地を突き破りながら突き抜ける。
衝撃でよろめく。
【回避力がレベル1に上昇しました】
喜んでいる暇はなかった。ゴードンはすでに次の動作に移っていた。
気づいた時には遅かった。回避不能な膝蹴りが腹部に繰り出される。
かろうじて筋力強化で打点をピンポイントに硬化させる。
強烈なダメージが腹部に入る。
幸い、オリバーとゴードンの体重差が大きかったため、衝撃で後方へ大きく吹き飛ばされ、ダメージが緩和された。
【衝撃緩和スキルがレベル1に上昇しました】
【自然治癒スキルがレベル8に上昇しました】
空中を吹き飛ばされながら、ゴードンの次の動作が見えた。
棒を鋭く横に振り抜く。だが、オリバーの吹き飛び方が予想外に大きかったため、なんとか躱せた。
【回避力がレベル2に上昇しました】
【敵の横振り、突き、膝蹴りの予備動作の分析が完了しました。連携パターンを認知しました】
5メートル後方の樹木に吹き飛ばされ、枝を片手でつかんで衝撃を緩和する。
【衝撃緩和スキルがレベル2に上昇しました】
ゴードンを振り返ると、次の動作に入っていた。驚くことに、予備動作にガイドラインの映像が浮かび、数秒先の動きが視覚化された。
今度は余裕を持って回避できたが、次の予備動作にはガイドラインがなかった。初の動作だ。
不注意だった。
ゴードンの足の動きを見落とし、回避不能な状態で足を払われ、派手に転がされる。
受け身で衝撃を緩和するが、嫌な予感がして首を振り返ると、ゴードンの靴底が背中を踏みつけるべく振り下ろされるところだった。
回避は不可能。筋力強化で防御箇所を硬化させる。
だが、先ほどと違い衝撃が緩和されず、もろにダメージが入る。
【足蹴りの予備動作の分析が完了しました】
激しい衝撃に胃液がせり上がるのをこらえ、自然治癒にブーストをかける。
見ると、足蹴りの予備動作にガイドラインが表示されていた。
ゴードンが片足で立った瞬間、不安定な状態を狙い、筋力強化で硬化させた拳を踝に叩き込む。
ゴードンはたまらず後ろにひっくり返る。
オリバーは一気に後方へ飛び退き、十分な間合いを取った。
【戦闘スキルがレベル2に上昇しました】
間合いという戦闘の必須概念が腑に落ちる。
ゴードンは焦っていた。
一撃で仕留めるつもりだったのに、相手は予想外にちょこまかと逃げ回る。
しかも、見た目より遥かにタフだ。
足払いで転ばせた。
どうやらお楽しみもここまでか。
ゴードンの唇が歪む。地面に這う少年の姿に、ぞくぞくする愉悦が湧き上がった。
弱えやつを潰す瞬間がたまらねえ。
オリバーの小さな体は、まるで虫けらのように無力に見えた。踏み潰せば悲鳴を上げ、恐怖で歪む顔が見られる。その想像だけで胸が高鳴る。いつもこうだ。力のない者をいたぶる瞬間、血が沸騰するような快感が全身を駆け巡る。
「クソガキ、終わりだ!」
ゴードンはわざとゆっくり靴底を振り下ろし、少年の怯える一瞬を味わおうとした。
体重を乗せて踏みつける。確かな手応えが足に伝わる。
やりすぎたか?
一瞬、躊躇がよぎる。別に相手を哀れんだわけじゃない。殺してしまえばサイラスに命令違反を咎められる。それが怖いだけだ。
だが、そんな心配は一瞬で消えた。
驚くことに、少年は右に転がって逃げようとした。
「逃がすかよ!」
片足を上げる。これで終わりだ。
その瞬間、踝に鋭い衝撃を受け、ゴードンはひっくり返った。
何が起こったのか一瞬理解できず、呆然とする。
痛みより驚きが強い。だが、すぐに怒りがふつふつと湧き上がってきた。
このクソガキ、俺をコケにしやがった!
ダメージ自体は大したことなかった。
立ち上がると、少年はすでに十分な間合いを取り、ゴードンの動きをじっと観察していた。
さっきは素人そのものの構えだったのに、今は慎重に間合いを取っているのが明らかだ。
…どういうことだ?…
振り返ると、サイラスが冷ややかな目でこちらを睨んでいた。
その視線に、ゴードンの背筋に冷たい汗が滲む。




