第165話 神の手
オリバーはむっくりと起き上がり、意外にも明るい表情で微笑んだ。
「ご無沙汰しています」
まるで道端で知人に偶然会ったかのような挨拶に、トーマスは困惑を隠しきれない。
隣に立つエドウィン夫妻も、複雑な表情を浮かべていた。
「おお、オリバー……」
メラニー夫人は、その姿を見た瞬間、思わず涙ぐむ。
無理に気丈を装っている.......そう受け取ったのかもしれない。
「元気……であったか?……いや、すまない」
死刑囚に「元気か」と問うのは、あまりに場違いだった。
だが、他に掛ける言葉も見つからない。
「トーマス殿……」
侍医長が急かすように、その肩に手を置く。
だが、言葉が続かない。
「あの……俺が必要ですか?」
オリバーが、ぽつりと呟いた。
トーマスは目を見開いた。
「なぜ....そう思ったのだ?」
オリバーは侍医長のほうを見た。
「この方は侍医長殿だ。」
「分かりました。手術ですね?」
今度は侍医長が目を見開いてオリバーを見る。
「頼むことは出ないだろうか?頼む!」
侍医長はオリバーに頭を下げ、そして説明を始める。
オリバーは、それを黙って聞いていた。
「オリバー、私は減刑を陛下に願い出た。だが、真実だけは伝えねばならない。
恐らく、お前に減刑や名誉の回復が与えられる可能性は、今のところ低い」
トーマスがそれを言うと、場の空気が張り詰める。
「だが、助けてくれるなら.......ここにいる全員、そして首相、大法官、女王陛下が、出来うる限りの努力をすることは約束しよう」
全員が固唾をのんで、その返事を待った。
「条件があります」
その一言で、全員が息を飲む。
「私たちに出来ることなのか?」
侍医長に至ってはうっすらと汗を滲ませていた。
「はい。ローズおばさん……いえ、姉さんを今すぐ起こしてください。これから書き起こすメモを渡してください。そして準備が整い次第、現場へ急行してもらってください。助手をお願いしたいのです。」
「……それだけか?」
「はい。それだけです。……行きましょうか?急ぎましょう」
気負いを感じさせないその言葉に、奇妙なほどの頼もしさが漂う。
侍医長が、大きく息を吐くのが見えた。
「わ、分かった!すぐに準備をさせる!」
老齢に似合わぬ素早さで、侍医長は駆け出していった。
現場に急行すると、そこにはローズが待っていた。
白い覆面で顔を隠したオリバーを見るなり、彼女は強く抱きしめてくれた。
嬉しかった。
思わず、涙が滲みそうになる。
だが、オリバーは高まる感情を必死に抑え、そっとローズを引き離す。
「ブラウンロウさんは……?」
気丈な人だったが、やはり気になった。
ナンシーと共にこの人たちはオリバーにとっては大切な家族であった。
自分のせいで苦しんでいればそれは悲しかった。
「お父様は……」
ローズは一瞬言葉に詰まり、涙を拭ってから笑ってみせた。
「あの人のことは大丈夫よ。あなたは、自分のことだけ考えなさい」
「……申し訳ありませんが......」
侍医長が即す。
「急ぎましょう。ローズさん、道具は持ってきていますね。手伝いをお願いします」
「分かったわ」
「トーマスさん、始めましょうか」
「いつでもいい」
侍医長とエリオットを含めた五人は、王女が横たえられた簡易ベッドを囲み、作業を開始した。
オリバーは、すでに応急処置された七本の肋骨に目を向ける。
わずかなズレが、はっきりと認識できた。
「では、軽度の骨折部分を修復します」
その瞬間......
オリバーの手が、恐るべき速さで動いた。
みるみるうちに、七本の肋骨が正確に元の位置へ戻され、固定されていく。
三分もかからない。
しかも王女の身体は、最後まで一度も大きく動かなかった。
侍医長の顔が、目に見えて強張る。
それは、彼の知る限り、誰一人として到達していない領域の技術だった。
もちろん、自分自身も含めて。
「では、問題の部分を切開します。切開後、一分以内に終了させます。
ローズさん、トーマスさん、役割を確認します」
「私は右鉗子の挿入と固定だな」
「はい……ローズさん」
「私は、出血を出来るだけ抑えればいいのね」
「OKです」
「いいですか……行きますよ」
実際には、二十秒で片を付けるつもりだった。
輸血という概念のないこの時代では、僅かな出血が致命傷になりかねない。
最小限の時間で、傷口を閉じるしかない。
「では、行きます!」
王女の腹部が、すっと切開された。
血がにじむ。
それを、殺菌されたガーゼでローズが押さえる。
「鉗子!」
オリバーが示した位置へ、鉗子が固定される。
侍医長は、息が止まりそうになる。
目にも留まらぬ速さとは、まさにこのことだった。
肋骨は、まるで魔法を見ているかのような速さで、正確に正常な位置へ戻され、固定される。
そして、圧巻はその後だった。
侍医長は、不謹慎ながら、そう思ってしまった。
鉗子が抜き取られた瞬間、息を吐く間もなく切開部に殺菌用の軟膏が塗られ、縫合が完了する。
最後に慎重に包帯が巻かれ、止血が施された。
一瞬の出来事のように見えた。
「……お、終わったのか……」
侍医長は、大きく息を吸い込んでから呟いた。
「はい。手術は成功しました。王女様は移送可能です」
「わ……分かった」
「トーマスさん、事後の処理はお任せしてもいいですね」
「うむ……オリバー、見事だ」
トーマスは、その手際に興奮を隠しきれない様子だった。
エリオットに至っては、呆然と立ち尽くしている。
「神の手……」
ただ一言、そう呟いた。




