第13話 ノアの壊れる心
一方その頃、サワベリー葬儀店の厨房では、ノアとオリバー、そしてシャーロットが、薄暗がりの中で遅い夕食を取っていた。
ここ数日の忙しさは尋常ではなかった。
とくにノアは疲労と苛立ちに満ちていた。にもかかわらず、隣に座ったオリバーは、犬の残り物を平然とした顔で食べている。それがますますノアの神経を逆撫でした。
…何なんだよ、こいつは…
散々、嫌がらせをしてやった。殴ってもやった。なのに、オリバーは一度たりとも涙を流さず、媚びもせず、苦痛を訴えることもなかった。
最初は効いていた。そう思っていた。
怒りに任せて殴ったあの日——ノアは拳が止まらなかった。思い切りオリバーの顔面を殴りつけた瞬間、衝撃に傷んだのは自分自身の拳のほうだった。
まるで鉄球を殴ったかのような激痛が、ノアの手に走った。
骨は折れていなかったが、うずくまるほどの痛みに襲われた。
シャーロットが、恐怖に凍りついたように言った。
「ノア……やりすぎだよ」
オリバーの顔を見上げた瞬間、ノアの心に何かがひび割れた。
——そこにいたのは、まるで地獄からやってきた悪魔だった。
が、その表情はすぐにいつもの心配そうな少年の顔に戻った。
「大丈夫ですか? 冷やしたほうが良いですね」
そう言ってオリバーは、タオルを水に浸し、それをそっとノアの拳に当てた。
不思議なことに、スッと痛みが引いた。
今までの苦痛が嘘のようだった。
…こいつは、本当になんなんだ?…
最近では、親方のサワベリーもオリバーをやたらと褒めるようになった。
葬儀に同行するのは、いつもオリバー。ノアは一度も呼ばれなかった。
…気に入らない…
汗だくになって古びた作業着で働いている間に、オリバーは上等な喪服をまとい、涼しい教会で牧師の説教を聞いている。それだけで褒められるのだ。
…なぜだ…
すべてオリバーのせいだ。
あいつさえいなければ、こんな不条理はなかった。
もしオリバーが涙を流して「ノアさん、もう許してください」なんて言ったら、どんなにスッキリすることだろう。
だが——そうはならない。
ノアは知っていた。
胃の奥から苦いものがこみ上げる。
…あいつは何かを企んでる。親方は騙されてるんだ…
あまりの食欲のなさに、ノアは早々に席を立とうとした。
その時、サワベリーが入ってきた。
「ノア、オリバー、至急だ。子供用の上物の棺を追加で用意しろ。今日中だ。明日の早朝、ウィンザー様のお屋敷に届ける。住所はここだ」
「……え? 今からですか? 夜明け近くまでかかっちまいますよ」
「だからどうした。夜明けまでにできれば上等じゃねえか。白い上物のペンキ、忘れるなよ」
「……はい」
ノアは不満げに答えた。
出ていこうとしたサワベリーが、ふと足を止めて振り返る。
「オリバー、先方様はおまえをご指名だ。どうやら今日の葬列を路上でご覧になっていたらしい。いたく感心なさってたぞ。明日もよろしく頼む」
「はい、親方。ありがとうございます」
オリバーはにこやかに答え、頭を下げた。
その瞬間——ノアの心のどこかで、ピキッと音がした。
何かが壊れた。
怒り。憎しみ。嫉妬。絶望。
それらが心の奥底でぐつぐつと煮えたぎり、ノアの胸の内を真っ黒に染めていく。
黙ってサワベリーが出ていくのを見送る。
次の瞬間、自分でも何をしているのか分からなかった。
工具箱から金槌を抜き取り、オリバーの背後に忍び寄る。
そして、無言のまま——
後頭部めがけて、振り下ろした。
オリバーの身体がぐらりと揺れ、床に崩れ落ちた。
シャーロットの「ひい...」と悲鳴が聞こえた。
その後はもう、何がどうなったのか分からない。
ノアは無我夢中で、すっかり日が暮れた街へと駆け出していた。




