第118話 インド音楽
エドウィンからファッションショー実施のゴーサインが届いた。
例の工場のタスクホースのメンバーには、新たにホリーとミリアムも参加していた。
終業後の事務室に集まった面々は、会議というよりお茶会のような雰囲気だった。
エリザベスが差し入れだと言って持ってきたチーズとポテトケーキをつまみながら、紅茶を注ぐ香りが漂う。
「……で、オリバー。そのファッションショーってのは、いったい何なんだ?」
ウイリアムがまじまじとオリバーの顔を見つめる。
「私もそれが知りたい!」
エリザベスも同調し、同じようにオリバーを見た。
「えっと……それはですね……」
オリバーが一通りファッションショーの概念を説明すると、ウイリアムが早速突っ込みを入れてきた。
「それって、ショーダンスとどこが違うんだ?」
「舞台装置、音楽、照明、そしてファッションモデルは踊り子とは違うんですよ。」
そうは言ってみたものの、ウイリアムの指摘はこのプロジェクトの成否を左右する重要な点でもあった。
猥雑な舞台ダンスと混同されてしまえば、意味がないどころか逆効果になる。
だが、オリバーには秘策があった。
この時代の人々は、彼の前世にあったような「音と光が人間に与える心理的効果」をまだ知らない。
オーケストラや教会音楽にも一部そうした要素はあるが、一定のリズムと光の同期が生み出す高揚感はその比ではない。
人を非日常のトランス状態へ導くことができるのだ。
「……全然、分からん。」
「実際に見てもらうしかないですね。」
そう答えたものの、それが最大の難題だった。
実際の演出構成を作ること自体は、ヨーダに頼めば数秒で完了する。
使用楽器の提案から照明器具、作曲、ナレーターのセリフに至るまで、AIもどきの能力は驚異的だった。
仮想世界で試作した舞台を見たオリバーは、「これは行ける!」と確信した。
だが――現実は違う。
この世界でそれを実現するには、一流の演出家の存在が必要だと悟った。
オリバーの構想を理解し、舞台員を的確に指導できる人間が必要だったのだ。
更にこの時代で使える楽器に限定して演出をする必要もある。
「アランさん、例のもの、できてますか?」
「おう、できてるぞ。だが、あんなもん何に使うんだ?」
アランが取り出したのは、小型の蒸気機関だった。
熱を加えると駆動し、「シュシュポッポ」と汽車そのものの音を立てる。
「おい、オリバー、お前……」
今度はウイリアムだけでなく、全員の視線が疑いの色を帯びた。
「待ってください。困ったな……」
「うむぅ……」
「分かりました。一週間だけください。」
結局、その夜はバツの悪いまま終わった。
オリバーがいくら熱弁をふるっても、肝心の「音の奇跡」は誰の耳にもまだ響かない。
演奏者探しも難航しており、一流どころの音楽家は話すら聞いてくれなかった。
「全く意味が分からん!」と一蹴されるのが関の山である。
沈黙が長く続いた。
ウイリアムがため息をつき、エリザベスは気まずそうに紅茶をかき回していた。
ミリアムが気を利かせて話題を変えようとしたが、皆の頭の中は「果たしてそれは実現できるのか?」という疑念でいっぱいだった。
「……まぁ、オリバー。焦るな。」
タイラーが苦笑しながら立ち上がった。
「こんな時は考えるより、飲んだ方が早い。」
そう言って、どこからかスコッチの瓶を取り出した。
「え? どこでそんなものを……」
「エドウィンの倉庫に余ってたやつさ。たまにはいいだろ?」
ウイリアムが肩をすくめ、アランが笑いながらグラスを並べる。
やがて、机の上にチーズとポテトケーキ、そしてスコッチが並び、重い空気は次第にほどけていった。
「で、オリバー。お前の“音の魔法”とやら、成功したら俺たちもドレス着て踊るか?」
「勘弁してくださいよ。」
皆が笑った。
気づけば、会議はすっかり宴会に変わっていた。
エリザベスがピアノの鍵盤を叩き、アミラがリズムを取る。
ホリーがふざけて歌い出し、ウイリアムがそれに野太い声でハモる。
オリバーもつい笑いながらグラスを掲げた。
...まぁ、これはこれで良いか..
こうなれば開き直るしかない。
開き直ってみるとその夜は非常に楽しかった。
夜更けの工場に、楽しげな笑い声が響いた。
そして、いつの間にかタイラーが持ち込んだスコッチを飲み始め、会議はただの宴会になった。
三々五々、解散。
「まぁ、楽しかったからいいか」と自分に言い聞かせ、オリバーは帰途についた。
門を出たところで、アミラに呼び止められた。
「オリバー、これ、もしかして役に立つかしら?」
彼女が差し出したのは、日本の鼓に似たインドの楽器……タブラだった。
アミラが軽く叩いて見せると、乾いた音が胸の奥まで響いた。
ナンシーのコテージに戻ると、彼女はまだ起きていた。
「オリバー、今日は遅かったね。おや、お酒飲んできたのかい?」
「ああ、ばあちゃん、まだ起きてたの?今日は会議だよ。」
「工場の会議ではお酒を飲むのかい?」
「まぁ、後半は宴会だったけどね。」
正直に白状すると、ナンシーは笑った。
「楽しかったかい?」
「うん、楽しかった。」
…ああ、ここが俺の家だ。..
今ではつくづくそう思うようになっていた。
オリバーは、この穏やかな空間に心からの安堵を覚えた。
前世では家庭に興味を持ったこともなかった。
だが、この世界では……家族が欲しいと思う自分がいた。
村娘たちの間では、オリバーは少しばかり話題の男になっていた。
前世の自分とは違い、見栄えもよく、養蚕事業の経営者でもある。
「ハイスペック男子」などという言葉があれば、まさにその類だった。
……そんな彼の胸に、ふと別の顔がよぎった。
自分を殺そうとした、あの日本から来た少女。
殺意の奥に、儚い悲しみのようなものを感じた。
心がきりきりと痛む。
…いやいや、あり得ないだろ。俺、何考えてるんだ。..
オリバーは頭をぶるぶると振った。
「オリバー、どうしたんだい?」
「いや、何でもないよ。」
「おや、それは何だい?」
「ああ、これ? アミラさんが貸してくれたインドの楽器だよ。」
「見たことがあるね、その楽器。」
「へぇ、どこで?」
ナンシーの目が遠くを見る。
「もうだいぶ前のことさ。旦那様がインドから来た劇団員だった人を雇ったことがあるんだよ。あの人たちはどうしただろうね。」
ナンシーは今でも亡くなった前領主を「旦那様」と呼ぶ。
「インドの人だったの?」
「旦那様はそうおっしゃってた」
「へぇ、イギリスにインド人がいるんだ。」
「東インド会社がロンドンで催した植民地興行で連れてこられたらしいけど、興行が終わったら用済みさ。行き場を失ったインド人の夫婦を旦那様が憐れんで屋敷で雇ったんだけどね……かわいそうなことをしたよ。」
「何かあったの?」
「家人の中には、肌の色を嫌がる者がいてね。酷い嫌がらせをされてた。
特に、ダンカン坊ちゃんがね……。あの人たちはよく顔を腫らしていたよ。」
領主はそれを憂い、館の外の小屋に彼らを移した。
ナンシーが時々、食事を差し入れていたという。
「確か、カレラって人だったね。食事を持っていくと喜んでね。お礼にその楽器でインドの音楽を聞かせてくれたよ。」
だが、結局前領主はやむを得ず、彼らを解雇しロンドンへ送った。
「一度、お礼の手紙をくれたことがあったね。
私の箪笥のどこかにあると思うから、探してごらん。」
その夜。
仮想世界に入ると、ヨーダが何のつもりかインド風の衣装をまとって座っていた。
「お前、何してるんだよ?」
【実は、インド音楽を演奏してみようと思いましてね。】
ヨーダが手を振ると、二人の演奏者が現れた。
【インドの楽器はロンドンでも手に入ります。これを使えば、人をトランスパーソナルな高揚感に導くことが可能です。やってみましょうか?】
演奏が始まった。
アンダーグラウンド・テクノのような単調なビートに、旋律が重なっていく。
確かに高揚感がある。
【タブラを二つにしますね。】
音が重なり、さらに高揚が増す。
【蒸気音を加えます。】
「おお、いいじゃないか!」
演奏者たちが霧のように消える。
【あとは照明を工夫すれば、この時代ではかなり衝撃的な演出になります。ファッションショーが成功すれば、業界への影響は絶大です。】
「だけど、演奏者はどうやって見つけるんだ?」
【何のために“天眼智”があるんですか?】
そうだ――ナンシーが言っていた、カレラ。
彼を見つければ、演奏者の問題は解決する。
オリバーは目を閉じた。
夜の霧の向こうで、かすかな太鼓の音が聞こえたような気がした。
あの音を探せばいい。
そうすれば、新しい何かが始まる。そんな気がしていた…




